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【第10回JASRAC音楽文化賞受賞】パブリックレコード株式会社 会長 奥田憲一さん、代表取締役社長 奥田聖さん「必要とされている限り、作り続けたい」

2023年11月17日、第10回JASRAC音楽文化賞の受賞者3者を発表しました。アナログレコードの生産にあたり、最初に音溝を刻み込む「型」となる「ラッカー盤」を製造している世界で唯一の企業、パブリックレコード株式会社 会長の奥田憲一さん、代表取締役社長の奥田聖さんのインタビューをお届けします。

ラッカー盤を手にする奥田社長(左)と奥田会長(右)

「誰でもレコードを」創業~ラッカー盤の製造へ

社長 創業者(奥田実氏・故人)はレコード会社に勤めており、録音盤製造の業務に従事していました。定年前に地元に戻り、1975年に現在の会長とこの会社を始めました。

会長 創業時は録音盤の製作からです。終戦時の天皇陛下の玉音放送がありましたが、あの盤と同じものを作っていました。いわゆるダイレクトカッティング盤ですね。アマチュアがレコードを作るというような意味合いで、キヤッチコピーを「世界であなただけのレコードを」とか、「1枚だけのレコードを」と考えてのスタートです。誰でもレコードを作れるというイメージで「パブリックレコード」と。当時は家族企業で、妻も手伝っていました。全部手作業。砥石を使って盤を磨いていました。冬は冷たい水がこたえました。完成したら近所の八百屋さんなんかでもらったダンボールで発送していたんです。

社長 現在も記念品製作は主事業のひとつで、DVD、ブルーレイなど映像製作がメインとなっており学校からの依頼が多いです。先生が異動するので県内全域で取り引きがあります。ラッカー盤を作るのは創業者の夢、目標だったみたいですね。ラッカー盤というのはアナログレコードを大量生産する際に最初に音を刻み込む「型」となる盤のことです。当時、国内では作っている会社がなく、アメリカとかフランス製で、100%輸入に頼っていました。なんとか国産化したいという先代の強い思いがあったようです。

会長 録音盤製作の基礎があったので、商品化まではそれほど時間がかからなかった。録音盤もラッカーを使うんですね。昔はボール紙にラッカーを塗布して音を刻んだ「音の便り」というものがあったという郵便局の記録があります。かつて日本には弊社の他にもう1社ラッカー盤を製造するメーカーがありましたが、わりとすぐにやめてしまったんですね。それからは国内では弊社だけです。フランスの会社が火災に遭った後は、アメリカの2社と弊社の3社になった。その後アメリカの2社が合併して、ブランドとしては残っていましたが実質2社に。2020年にアメリカの会社が火災で廃業した後は、世界で弊社だけになりました。弊社がラッカー盤製造に成功した後、すぐにCDが普及して、なぜラッカー盤製造を続けるのかとよく言われました。実際にはレコードがゼロになったわけではない。10枚も売れたらプラスという考え方ですね。当時レコード会社のカッティングエンジニアが工場に見学に来て、アナログ盤は絶対残るよと。そう言って間もなく限りなくゼロになりましたが...。ただ世界的に見ると日本は特殊というようなことを言っていました。ヨーロッパはまだそれなりの需要があったようです。


変わらぬクオリティを求めて

ノイマン社製カッティングマシーン

会長 製造上、一番気を使っているのは切削性。「切れ味」ですね。カッティングした時にノイズを発生させないところです。実際に溝を刻んで顕微鏡で確認しますが、機械ではなくすべて人力での作業になります。あとは外観上の問題。フラットネス、どれだけ平らにできるか。平らにして溝のピッチの間隔を狭くできるということは、タイムが長く入るので、気を使っています。基本的に一枚ずつ手作りになるので、無責任な言い方になりますが一枚一枚違ってくるのです。良いものもあれば悪いものもある、平均値としてこのレベルであればOKというクオリティを追求しています。すべて人間の手作業になるため、経験値に頼る難しい部分もありますが、これは創業時から変わりません。レコードの音というのは、カッティングエンジニアによって大きく違ってきます。要するにカッティングエンジニアの感性によって、それぞれの会社の音が作られているんですね。ラッカー盤もかつては会社によって微妙な違いがあったので、カッティングエンジニアは「クラシックにはこの盤、ジャズにはこの盤、歌謡曲はこの盤がいい」とかジャンルで盤を使い分けていたと聞いています。

アナログ復興「必要とされる以上は」

工場内作業風景

社長 近年はアナログ回帰と言われ、受注も増えています。1日に450枚、月に1万枚程度を製造します。出荷はドイツ、次いでアメリカが多いですね。

アジアも最近増えてきました。中国を筆頭に、台湾、香港、韓国と。出荷については取引先の商社エム・ディー・シーがあり、同社が海外からの窓口になっています。世界で使われるシェアは弊社で賄っていますが、ラッカー盤そのものの市場は大きなものではないですね。

アナログレコードは最近若い人も興味を持ってくれているようですが、実は新譜が発売されないとラッカー盤は必要ないのです。旧譜の再プレスはラッカー盤に溝を刻んだマザー盤や、マザー盤を使って作ったスタンパーが残っていればできてしまう。プレス品は大量生産されますが、ラッカー盤は1タイトルでA面B面の2枚だけしか使わないんです。

ラッカーを保存するタンク

会長 一時期、別の事業が忙しくなり、ラッカー盤は効率が悪いからやめたらどうかという意見もありました。いらないと言われればそこで終わるけれども、必要とされる以上は続けて行こう、競争の中で、弊社がたとえ1社になったとしても続けようと考えていました。アメリカの会社などは売り上げが悪化したらすぐやめる、そういう合理的な傾向があるじゃないですか。うちはそうはしないぞと。

考えてみると今あるものを継続していく方が楽という言い方はないかもしれないけれど、新しいことを作り出していくことの方がはるかに難しいと思いますよ。アナログからデジタルへ。その技術力、開発力はたいへんな労力だと思います。決して大きな会社ではありませんからコツコツやっていくしかないということがあるんです。

責任と重圧を感じながら

贈呈式後にラッカー盤の前で弦会長と談笑する奥田社長

社長 ラッカー盤を製造するのが世界で弊社だけなので「この文化を守っていかないといけない」という重圧と責任を感じます。何か問題があれば弊社だけの問題でなく、業界全体の問題になってしまいますから。

アナログレコードブームは一過性で終わらずに、ずっとこの先も残ってほしいと思います。大手ショップも販売エリアが増えているようですね。日本のアーチストの新譜もCDとアナログを同時に発売するケースも多くなっています。

会長 CDは小さくて便利、アナログは大きくて邪魔だと。それで端のほうに追いやられたんですけどね。今はそれが逆に存在感があるというように言われる。音質も耳に優しいとかノイズが魅力だとか、欠点も長所に捉えてくれる部分もあるのでありがたいですね。

社長 JASRAC音楽文化賞を営利法人が受賞するのは弊社が初めてなんですね。それは光栄ですね。

会長 昔からあまり注目されず、常に控えめに、"縁の下の力持ち"という思いでやってきました。光を当てていただいて大変感謝しています。

パブリックレコード株式会社 Profile
1975年、長野県上伊那郡宮田村で創業、ピアノ教室や学校からの受注を中心にした「録音盤製造」の業務を開始。1976年、パブリックレコード株式会社設立。1982年、アナログレコードの大本となる「ラッカー盤」の製造を開始(初の国産化)。「社会に必要とされる会社にしよう」をモットーに、社会のニーズを把握して形にする商品づくりを心がけている。アナログレコード生産が激減した時期にも「必要とされる限り」の思いでラッカー盤を作り続け、現在に至る。社員45名(2023年12月現在)。