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【第9回JASRAC音楽文化賞受賞】ドリアーノ・スリスさん「日本には素晴らしい文化がある」

琵琶に出会って

日本における琵琶は、かつてはギターのようにポピュラーな楽器だったと思います。日本が戦争に負けてアメリカナイズした途端、いつの間にかそれほど一般的に親しみのない楽器になってしまった。ちょっと悲しいですね。中国の音楽大学ではバイオリンと同じレベルで琵琶を教えています。日本の琵琶とは少し違いますが、中国ではバイオリンやピアノと同じように女性琵琶奏者がたくさんいるのです。

私の場合、琵琶を一から作って売ることはあまりなく、修復の仕事がほとんどです。福岡の琵琶奏者の方から依頼を受けることが多く、時々全国からも受けています。ただこれを仕事と感じないほど、琵琶がすごく好きです。素晴らしい職人が作った琵琶を元どおりの形に修復することを常に念頭に置いています。

琵琶の修復だけでは生活できないため、81年にイタリア語やイタリア文化を教えるイタリア文化センター(現イタリア会館・福岡)を立ち上げました。イタリアを知ってもらうための映画祭や音楽祭などさまざまな催しも企画しています。

琵琶の修復へと導かれた縁

イタリア・サルデーニャ島で生まれ、育ちはローマです。妻は日本人で、彼女が旅をしていた途中、ローマで出会いました。74年に彼女と一緒に来日しました。実はそれまで日本についてのイメージは画一的なメディアの皮肉まじりの報道でしか知らなかったので、実際に来日してみて全く違うことに新鮮な驚きを感じました。

その頃私はまだイタリアの人形劇団に所属していたため、取り組んでいたシナリオ執筆や人形制作を中断し、日本の福岡に来たのです。ミラノを例にすると当時2,000人くらい日本人が住んでいましたが、福岡でイタリア人は多分自分一人。住めば住むほど日本を好きになっていったのです。

そんなある日、ラジオから流れる琵琶の音色を聞きました。すぐ弦楽器だとわかりましたが、ヨーロッパで東洋の楽器を紹介されることはあまりなく、聞いたこともない楽器の音色に関心が高まっていきました。友人が勤めていた会社にたまたま琵琶を作っている職人の息子さんがいて、紹介してもらったのが琵琶職人の吉塚元三郎さん(福岡県無形文化財)でした。そのとき、「昔は作る人がたくさんいたが、どんどん亡くなり、今は一人になってしまった。跡継ぎがいない」という話を聞き、「教えてくれませんか」と言ったら、じーっと私の眼を見て、「明日来い」と急に真顔で言われたことを思い出します。

道具は武器ではない、材料の気持ちを考えて

先生は優しくてとてもいい人でした。まずやらせてみる。その後も一旦考させるという教え方だったため、自分で古道具屋に行き、壊れた琵琶や部品を仕入れて研究したり、勉強したりして、失敗を繰り返しながらも琵琶の構造や仕組みを理解していきました。

私にとって一番大きな壁は道具でした。母国ではアルバイトで家具の修復を手伝っていたことがありましたが、日本の道具は西洋の道具とは全然違います。慣れるまで半年は怪我ばかりでした。そこで先生に言われたことは、「道具は武器ではない」ということ。私にとって大事な言葉です。ヨーロッパの道具は力が必要で、どうしても材料と闘ってしまう。でも日本の道具はそうではないのです。これは今皆に教えるときの大事なポイントですね。力を抜いて材料を撫でるようにすると日本の道具はきれいに切れます。逆に力を入れると危ないし、正しく使えない。非常にデリケートで、デリカシーがいるのです。この教えは普段の生活にも役立ちました。どんなことでも一方的に考えるのではなく、相手への思いやりも考えないといけない。修復も材料をじっくり見ることから始める。"材料の気持ちを考えて"と言ったらおかしいですが、そういう口では説明しにくいような取り組む姿勢を、今教室で教えています。

昔の徒弟制度ではヨーロッパでも、教えてもらうのではなく技術を盗めと言われました。でも私の考えは違います。自分の技術を全部教えたからといって教えることがなくなるわけではありません。教えることで生徒の技術が向上すれば自分の技術も上がることを実感していたからです。私の夢は、今教えている人がどんどん自分よりも上になっていくこと。そうならないといけないと思っています。

日本からもらった恩恵を返したい

先生が亡くなった91年からは、ずっと一人でやってきましたが、数年前に脳出血で倒れ、そのとき後継者がいないことが心配になりました。自分が習ったこと、自分が研究したことを日本の人に返す。日本からもらった恩恵を日本に返したいという気持ちが強くなったのです。このようにして1年たちましたが、高校生、社会人(男性・女性)計9人程の生徒が熱心に通っています。

日本には素晴らしい文化があります。自国の素晴らしい文化に振り向いて、自国のいいものを取り戻してもらいたいのです。そうすれば琵琶がもっと身近な楽器になると思います。筑前琵琶の奏者のおかげで、琵琶を演奏する人々が確実に増えているようでありがたいことです。

Profile
1947年、イタリアのサルデーニャ生まれ。イタリアの国立音楽アカデミーでクラシックギターの演奏を学ぶ。その後人形劇団で脚本や人形作りを担当した。1974年、来日。1975年、筑前琵琶の音色と形に魅せられ、唯一の筑前琵琶職人の福岡県無形文化財・吉塚元三郎氏に師事する。琵琶の制作、研究に取り組み、筑前琵琶だけでなく、薩摩琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、笹琵琶などの修復にあたり、琵琶の修復師となる。2022年、福岡市民文化活動功労賞受賞、及び福岡県指定無形文化財の保持者に認定される。現在、イタリア会館・福岡館長、「琵琶館」工房・教室運営。