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【第4回JASRAC音楽文化賞受賞】上地呂敏(ロビン・トンプソン)さん「日本は多様性の国。だから面白い」

2017年11月17日に発表した第4回JASRAC音楽文化賞受賞者、琉球古典音楽家の上地呂敏(ロビン・トンプソン)さんのインタビューです。

首里金城町の石畳道にて

首里金城町の石畳道

――ここは素晴らしい環境ですね

ロンドンから日本に移住する目的で、インターネットで物件を探していたんです。沖縄にするかどうかは未定だったんですが、たまたま土地を見つけて。「首里金城町の石畳道の希少物件」ということで、写真を見るとまるでジャングル。これだ!と即決しました。それでここに家を建てたんです。

――首里城近くで琉球王国の歴史を感じますね

環境は最高です。沖縄の人は不便と言いますが、全然そんなことはない。観光客は多く来ますが、夜はとにかく静かで心が落ち着きます。残りの人生を日本人として過ごそうと、妻の戸籍に入って日本に帰化したんですよ。それで上地呂敏になりました。

ロンドンでの音楽活動を経て日本へ

――1950年、ロンドン生まれということですから、60年代は「スウィンギング・ロンドン」という状況を想像してしまいます

60年代のロンドンはロック旋風でしたが、僕の嗜好はクラシックでしたね。音楽大学に入ってからはロックとかポップスとか垣根を越えた世界ですから、そうなると逆にオーケストラというもの自体、古臭くて絶対やりたくないなという感じになったんです。卒業してからはいろいろやりましたよ。演奏家としてスタジオの仕事をたくさんやっていたし、プログレッシブロックのバンド、ソフト・マシーンとも何度も一緒にやりました。日本の著名な打楽器奏者、ツトム・ヤマシタともバンドを作って活動していました

――それはロンドンで?

そうです。現代音楽のカールハインツ・シュトックハウゼンのグループに入って、演奏活動もしました。イランの音楽祭にも参加したことがあるし、世界中を回りました。その後、音楽の仕事をしながらロンドン大学の日本語学科に戻りました。

――日本語学科ということは、日本の文化に興味を持たれたということでしょうか?

ロンドンでは60年代から毎年、世界文化交流のイベントが開催されていました。13、14歳の頃ですが、そこで日本の雅楽や文楽、歌舞伎などの伝統芸能を見て、すごく感動したんです。そのときから興味を持ち、いつか専門的に勉強してみたいという気持ちを持っていました。同じ学科の1つ上にピーター・バラカン氏が在学していましたね。

――1975年に初来日されました

文部省の奨学金で留学しました。東京藝術大学に聴講生として通い、その後大学院に入学し、日本の伝統音楽を勉強しました。雅楽の研究が専門だったんですが、僕は元々演奏家なので、雅楽の楽器を中心に、特に笙(しょう)と篳篥(ひちりき)を一生懸命稽古をして、数年後にはヨーロッパの演奏旅行に参加することができました。国立劇場で演奏したこともあります。

――その後の音楽活動では坂本龍一さんのアルバムにも参加されていますね

坂本さんは芸大で僕より1年先輩でしたが、同じような興味というか、当時の現代音楽における即興演奏が私たちの接点でした。大学では話したことはあったけれど、親しくなったのは卒業後ですね。レコーディングやツアーにも一緒に行きましたよ。

魂を揺さぶった琉球音楽との出会い

――沖縄の音楽に触れるきっかけはその頃に?

当時の中曽根康弘首相が「日本の強みは単一民族だから」と言うのを聞いて、すごく反発したことを覚えています。日本は多様性のある国だからこそ面白いとずっと思っていたから。それまではずっと東京にいて、歌舞伎や能などの伝統的な文化を学んでいましたが、それとは全く対照的な、何か新しいことをやりたいと思っていたんです。ちょうど沖縄返還10周年で、国立劇場で記念の沖縄古典芸能の公演が2週間ぐらいあり、初日から通ったわけですが、初めて見たとき、感情を抑えた芸術的な表現方法にものすごく感激したんです。奇跡的な出会いでしたね。それを見て、これをぜひやってみたいなと。演劇、音楽、踊り、全てに魅了されました。

多様性のある日本の文化の一端に触れて、この音楽を自分でもできるのでは、やってみたいと思ったんです。日本の長唄や清元、常磐津などの声楽は外国人にとってはすごく難しい。でも、沖縄にはそういう垣根のようなものはなく、音楽の才能さえあれば、よそからきた私のような者でもできるんじゃないかという感覚があったんですよね。

――その時期にご結婚をされ、沖縄を訪れたのですね

妻とは東京で出会ったんですが、たまたま沖縄出身でした。そういう個人的な関係ができたからこそ、沖縄で音楽活動を続けることができたということは確かです。外国人の立場で、ビザの関係もあって、自由に仕事ができるような身分ではなかったんですが、結婚して配偶者ビザになって自由に仕事ができるようになりました。

1981年の秋に初めて沖縄を訪れました。妻のおじいとおばあの88歳のお祝いで、沖縄では「トーカチ」というんですが、これはもう本当にもうびっくりしたんですよね。今のうるま市の山城という場所です。今と違って、その頃は道路もなく、まさに中央から距離のある地域。住んでいる人たちが、1人残らず山城姓なんです。みんな山城さん。着いたときに一番びっくりしたのは、いきなりヤギを潰すわけですよ。もうびっくりした。自分の目の前でヤギを殺すなんて、とんでもないところに来たと。とんでもない、でも最高に刺激的で面白かった。で、そのおじいさんが、実は三線の師範だったんですよね。一番洗練された古典音楽の師範。本当に感激したんですよ。宮廷文化の担い手になっている人たちが、中心地から離れた地域で庶民出身の人たちの中にいるっていうのが本当にすごいなと思ったんです。沖縄の伝統文化っていうのはどっちかというと上から下に行くわけです。元々の士族のものがどんどん庶民の間に普及していく。それは本土の文化が下から上に行くのとは正反対なわけで、すごく面白い。そのときは、八重山諸島を巡って秘祭を見たりとか、いろいろな体験をしました。沖縄の独特な文化に触れてとても興奮しましたね。

沖縄の地に居を構え

首里金城町の石畳道

――1984年からいよいよ沖縄に住み始めるんですね

1984年に国際交流基金から奨学金をもらって沖縄に来て、沖縄古典音楽で人間国宝の城間徳太郎先生に師事しました。

――翌1985年には沖縄タイムス社主催の芸術選奨で新人賞を受賞します

三線、筝曲、太鼓、胡弓、4つの部門で新人賞を受賞しました。後に初めて知ったのですが、4部門の入賞は沖縄の人でもだれもやったことがなかったようです。別に何も特別なことをやっているとは思わなかったんだけれど、沖縄タイムスの一面トップで、もう大騒ぎになっちゃって。

私はやるなら深く入り込みたい。うわべだけでは面白くないという考えなんです。沖縄の人たちはそうではなくて、あくまでも素人で、趣味だったり、仕事をしながらやっているわけで、僕の場合とは立場が違っているわけです。なるべく早く全部マスターしたいという気持ちでした。

沖縄タイムス芸術選奨で新人賞を受賞

――沖縄音楽の難しさを感じたことはありましたか?

技術的にはそんなに難しいわけではありません。でも、本質的な部分、心を伝えることは大変です。沖縄の人にとってもそうですが、全くのよそ者がこの世界に入ると、本当に説得力のある演奏をするということは、なかなか難しいんですよ。沖縄に限らず日本の音楽は全て先生の真似をすることが基本。その意味で僕の場合はそれまでやってきた西洋音楽とは全く違うんです。洋楽の場合は、楽譜を前にしてそれを基にして演奏するわけですけれど、日本では自分の先生の流れを汲む。それが一番重要なポイントですね。

――1995年にイギリスに帰られて、その後20年間はイギリスで暮らしていますが、イギリスでは何を?

2人の子どもがいますが、イギリスの文化と英語に触れる経験をさせたかったんです。ロンドンでは三線会を作ったり、演奏を教えたりしていました。子どもが独立したら再来日する計画があって、運よく最高の土地がここで見つかって、2015年に戻りました。

誰もやったことがない、もっと大胆なことを

――そして、この音楽文化賞の顕彰理由にもなっている楽譜集「琉楽百控」を、2016年に出版されます。琉球音楽の楽譜「工工四(くんくんしー)」を五線譜に直し、構造を分析して解説を加えた画期的な書籍ですね

工工四の場合、非常にベーシックというか、あまり細かい指示はありません。例えば拍子や小節もなく、これだけだと全体的な構成が全く分からないんです。でも、西洋音楽の記譜法を使って五線譜で書くと、工工四より遥かに詳しく分かりやすいものを作れるわけです。誰にも分かりやすく演奏でき、琉球音楽の裾野を広げる意味もあります。ある意味で沖縄の音楽を解放する目的もあります。

――これからの活動の目標や、思い描いてることはありますか?

創作の面では、もっといろいろできるんじゃないかなという感じがします。今までの僕の創作は非常に伝統的というか、日本現代邦楽と似てるような面があるんです。でも日本の音楽の場合は西洋音楽の作曲家武満徹さんや湯浅譲二さん、一柳慧さんたちが書いた和楽器のための曲が沖縄にはないんですよね。誰も作ったことがない。それは高度な技術が必要で、弾くことができないからなんです。2020年に制作したCD「明けもどろの賦―沖縄胡弓の今昔―」の中には僕の創作曲が2曲あるんだけれど、自分の演奏を聴くことで、もしかしたら自分でも演奏できるかも、やってみたいなというふうになればいいと思うんです。そういうことが示されれば、その先にはもっと大胆なことができるような気がするんですよね。

上地呂敏(ロビン・トンプソン)さんProfile

1950年、英国ロンドン生まれ。ロンドン王立音楽アカデミーおよびロンドン大学を卒業後、日本の伝統音楽研究のため来日。1981年、東京藝術大学大学院音楽研究科音楽学専攻修士課程修了。1982年、琉球古典音楽の研究・実演に着手。沖縄タイムス社主催の芸術選奨賞選考会の三線、胡弓部門のグランプリを受賞た後、ロンドン大学 東洋・アフリカ研究学院(SOAS)を拠点に、「ロンドン三線会」を結成、活動するなど、海外でも琉球古典音楽の普及振興に努めた。
現在は那覇市首里に居を構え、琉球古典音楽野村流保存会、琉球古典音楽湛水流保存会の師範を務めており、雅楽、琉球古典音楽の新作など、和楽器のための曲を多数作曲している。
2017年、第4回JASRAC音楽文化賞受賞。

(インタビュー日 2026年3月18日)