2026年03月31日
【第12回JASRAC音楽文化賞受賞】ぐらもくらぶ 保利透さん「日本の音楽文化の豊かさを多くの人に知ってもらいたい」
2025年11月18日に発表した第12回JASRAC音楽文化賞受賞者のうち、ぐらもくらぶを主宰する保利透さんのインタビューをお届けします。ぐらもくらぶは、SPレコードでしか聴くことのできない貴重な音源をCDで復刻しているレコードレーベルです。

――現在レコードはどれくらい所有しているんですか
ほとんどが78回転のSP盤で8,000枚くらいですね。戦前・戦中・戦後の流行歌が多いですが、ジャンルはさまざまです。演説物や放送録音などの珍しい記録音源や、既に存在しないレーベルのレコードも着目して収蔵しています。自宅にはとても置ききれないので、専用の倉庫を借りて保管しています。集めたものを活用するということを主眼にして、ぐらもくらぶというレコードレーベルを設立しました。これまでに発掘したSP音源をさまざまな切り口で復刻して、CD化する活動をしています。
アニメレコード収集からコレクター道へ
――SP盤収集という、ある意味ニッチな分野に足を踏み入れたきっかけが知りたいです。どんな少年期だったんですか
1972年生まれの僕が、一番最初に触れたレコードは多分『およげ!たいやきくん』だったと思います。母と一緒に買い物に行くようになると、母がレコード店で当時のヒット曲を買おうとするとき、僕にもあれを買って、これを買ってとなるじゃないですか。アニメなどの子ども向けレコードですね。そうすると徐々にレコードが集まっていき、そこに少しずつコレクション性が出てきて、カードに番号を付けて学校の図書館のような整理みたいなことを始めるわけです。小学校高学年ぐらいでしょうか。
――収集への萌芽が生まれたんですね
思い返してみると、ほんの些細な動機だったと思います。例えば、ショッピングセンターで、母が食品とか買いに行っている間「僕はここにいるからね」っていう場所ができてくるんですね。本屋さんとか模型屋さんと一緒にチョイスするのがレコード屋さんで、そこでアニメのレコードを探すんです。あるとき「懐かしのアニメ全集」みたいなLPを見つけちゃうんですよね。そうしているうちに、より古い時代の音楽の世界に足を踏み入れていきました。
――当時はやりの音楽よりも、過去にさかのぼっていったということですか
はい。古いものの方に興味が向くタイプだったんですね。要因の一つとして、当時チャップリンの映画を日曜日の夜の教育テレビで放送していたんです。無声映画でもありますが、たまに音が出ても古めかしいじゃないですか。例えば『独裁者』では、『ハンガリー舞曲第5番』に合わせて、床屋のチャップリンがせわしなく客のヒゲを剃るとか、そういうのを知るわけですよ。同じ頃、中学で吹奏楽部に入ったんです。ブラスバンドで演奏する曲はビッグバンドの曲とか、ラテンとか、いわゆる1950年代前後の曲が多かったりするんです。そこに古いレコードを買う動機が生まれるわけです。昭和から平成に変わる頃に古い映像がテレビからあふれてくると、興味と同時に見識と行動範囲も広まり、必然的にレコードを集め始めました。
骨董市でSP盤を知る~オーディオに没頭しアンプを自作
蓄音機コレクション
――SP盤はどこで入手したんですか
僕が生まれ育ったのは千葉の多古町というところで、当時1時間に1本のバスに1時間も乗らないと成田に行けないような田舎だったんです。成田山のお参り月というのが年に何度もありまして、祖母と母と一緒に行くんです。そこで骨董屋を見つけて買ったのが、先ほどの『ハンガリー舞曲第5番』と『東京音頭』。500円だったかな、これなら買えると思って。初めて買ったSP盤です。こういうお店に行くと、SPレコードが売っているんだなと知りました。電話帳を見ると他にも骨董屋さんが載っている。行動範囲はまだ狭いわけですが、行ける範囲の骨董屋に全部電話するんです。バスや電車を使ったり、お金があまりないから片道何時間もかけて自転車で行ったりもしていましたね。
――そのとき再生機はお持ちになっていたんですか
レコードと並行して、オーディオが好きだったんです。「無線と実験」などの専門誌を読みあさり、知識を得ていました。秋葉原に行くと真空管アンプのキットを売っている店があって、図面を見ながら組み立てることもありました。
――そっち方面も結構マニアックなことをやられていたんですね
普通のレコードプレーヤーはあったのですが、それではSP盤の78回転は回らない。「無線と実験」の売り出し広告を読んでいると3スピード対応のターンテーブルの存在を知って、確かBSRだと思うのですが、ユニットというターンテーブルとアームの部分、つまりケースなしのメカの部分のみを購入して、拾ったような材木を組み合わせて自作したんです。100ボルトの電源コードをジャンク機器からハサミで切り取って火花を出しながらつないでね。それでSP盤を聴くことができました。骨董屋さんで安いポータブルの蓄音機を見つけて買ったこともあります。
――その後、収集からは少しの間離れるということですが
高校生になった自分には、何にお金をかけるかが重要で、興味が映画に向いたんです。当時日本の映画会社が共同で発売していた「キネマ倶楽部」という古い戦前の映画のビデオコレクションで、結構いい値段がするんですが、今と違ってCS放送もないし動画配信サービスもないので、ビデオで観るしかない。でもその分レコードが買えなくなるんですよね。
もう一つの理由としては、それなりの青年期を迎えて、ライフスタイルが変わってきたんです。当時は一番CDが売れていた時代だから、ヒット曲を覚えてみんなでカラオケに行くっていうのをやり始めるわけですよ。別の仕事をしていたこともあって、しばらくブランクができました。その後仕事を辞めたことで時間的な余裕ができて、レコード収集を再開しました。20代後半ぐらいだと思います。骨董市巡りも開始しました。
過酷な骨董市巡り
――骨董市のエピソードなど
骨董市というのは、東京都内だと大体土日に開催されます。例えば、一昔前まだ開催していた東郷神社の骨董市は、一番早くレコードを持ってくる業者さんは午前1時半に来ます。自宅から終電で行ってちょうどいいんですよね。基本的にどこの骨董市も、住民の苦情がない限り開始時間は厳密に決まっていません。業者さんがトラックや車のハッチバックを開けて、荷物を下ろしたら勝負です。1番大変だったのは、毎月第1日曜日。原宿の東郷神社と門前仲町の富岡八幡宮と、新井薬師の3カ所で同時開催なんです。どうしたら効率よくお目当ての盤を入手できるか、みんな移動のタイムテーブルとルートをその都度考えて勝負するんですよね。20年以上前のことです。当時すでに古株のコレクターたちから「今からだと集めるのが大変だな。10年、20年前は比べ物にならないぐらい骨董市で出土していたよ」と言われていましたが、ネットオークションの興隆などで、その後急速に枯渇していって、現在は僕がその頃を振り返って同じセリフを言うぐらいに、ほとんどレコードは出なくなりました。自分の年齢と体力も考えて、今は昔の半分ほどしか行っていません。
――収集の指標はあったんですか
レコードを買うという行為は、実はコレクターそれぞれの見識に紐づいているんですよ。洋楽に造詣の深い人は流行歌をあまり集めないし、その逆も当然あります。はたから見るとどれも同じレコードのようですが、集まってくるコレクションというのは、その人の個性と見識を全部反映するんですよね。そういったすべてを集めることは不可能だという不完全性を理解したうえで、なんとなくのテーマを決めて集める。その意味で、先輩コレクターの書籍や資料に随分刺激を受けましたね。
集めたレコードの活用へ
後にぐらもくらぶを始める理由の一つにもなるんですが、この頃から別の観点でオーディオに凝り始めたんですよ。各社が出している古い音源の復刻盤CDの音は、それぞれ違うノイズの処理を施したマスタリングがしてあるので、同じ曲でも各社聴こえ方が違うんです。オリジナルのSP盤を聴くと、ノイズも多いけれど迫力があるわけですよね。自分が感じる迫力ある音になるようイコライジングして、デジタル化して車中や家で聴くのが楽しみのひとつでした。Windows98が登場してからですね。
――音質の追求に凝りだしたわけですね
例えばSP盤を聴くとき、レコード会社や録音した時代によって溝の太さが違うから、それに合った針を使わないと適切な音が出ません。針先やカートリッジの種類によっても違うので、特注品を製作したりバリエーションをそろえたりと、再生についての研究をしました。そもそもレコード全般の再生というものは、CDと違ってプレーヤーのさまざまな調整をシビアにしないと、いい音では鳴らないんですよね。多少ノイズがあっても、デジタル化して自分の思ったような音質で皆さんに聴いていただこうと。それが活動の根底で、ひとつのテーマになっていますね。
――自社レーベルでの復刻CDにつながっていくんですね

展示会を開催し、コレクションを公開
アーカイブ・プロデューサーとして復刻CDを企画・リリース
――2012年に最初の復刻盤をリリースしますね
古い音源を提示する切り口はたくさんあって、例えば戦前のジャズ音楽の世界も多様で、それをコンピレーションすることによって、マニア以外でも新たに興味を持つ人がいるんですね。大手ができないものをやろうと。日本の音楽の多様性や豊かさを、ぜひ多くの人に知ってもらいたいと思ったのも始めた動機のひとつです。
――今後の活動の抱負をお聞かせください
復刻CDのアイデアはまだたくさんあるので、今後も出したいと思います。CDを売るのは厳しい時代ですが、プロモーションにYouTubeを活用して、アルバムへ収録するに至らない作品も公開していこうかなと考えています。他にもSP盤時代をリスペクトした『大土蔵録音』シリーズも継続してやっていきたい。これは戦前の録音風景を現在の演奏者と録音技術で再現したもので、戦前音楽の普遍的な面を、今を生きる皆さんに知っていただくための手法です。作曲や演奏のできない僕にとっては、この企画やプロデュースすることが、コレクター道におけるひとつの到達点なんです。ほかにも収集した盤の活用として、歴史的資料の展示企画や音源監修、講演も増やしていきたいと思っています。蔵盤のアーカイブ体制についても着々と準備を進めています。
――JASRAC音楽文化賞をぜひ今後の活動の励みにしてください
古い音源を使って復刻盤を作るとき、どういう手続きが必要か。古い音源と言っても世間で思う以上に権利関係は存続しているので、戦前からのレコードレーベルのライセンスを得たり、権利者を探して許諾を得るなど、楽曲を利用する立場から権利についての正しい理解を、ぐらもくらぶの活動を通じて広めていければと思っています。今はJASRACへの申請も紙じゃなくてオンラインでできるから、皆さんが想像するよりも簡単ですし。
ぐらもくらぶ Profile
アーカイブ・プロデューサー、戦前レコード文化研究家の保利透氏(写真)が主宰するレコードレーベル。2010年、保利氏が協力者とともに、保有するSPレコード音源を通じて歴史の中に埋もれている社会や文化、世相をユニークな切り口で紹介する活動を開始。大手レーベルの復刻企画を皮切りに、2012年には独自のレーベルとして昭和戦前期までのSP音源を復刻し、これまで50作のCDを世に送り出している。近年では現代の演奏家が戦前の録音方法を再現する活動『大土蔵録音』が注目されたほか、関連書籍の発行や図書館や美術館でのSPレコードの実物展示などの活動を盛んに行っている。
レーベル名は1934年に大阪の蓄音機商により設立された「ぐらも・くらぶ賞」に由来する。
2022年「第34回ミュージック・ペンクラブ賞最優秀作品賞」受賞。2025年、第12回JASRAC音楽文化賞受賞。
(インタビュー日 2026年2月4日)