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【第12回JASRAC音楽文化賞受賞】HOPEプロジェクト 代表 二口とみゑさん「明子さんのピアノには"平和への祈り"がある」

2025年11月18日に発表した第12回JASRAC音楽文化賞受賞者のうち、一般社団法人HOPEプロジェクトの代表理事、二口とみゑさんのインタビューをお届けします。HOPEプロジェクトは、広島への原爆投下で亡くなった河本明子さんのピアノを修復し、演奏会などで活用しています。

傷ついたピアノを譲り受けて

――第12回JASRAC音楽文化賞受賞おめでとうございます

ありがとうございます。これまで「明子さんの想い」を伝えるために、小さな活動を続けてきました。音楽文化賞と聞いてきっと明子さんも驚かれていると思います。

――HOPEプロジェクトを立ち上げたきっかけについて教えてください

もともと広島に住む外国籍の方々の日本語教育に携わっていたんです。その後法人化して主に外国人の子どもたちへの日本語教育と日本社会への適応指導、地域内の異文化交流を目的とした活動を始めました。

――ピアノの所有者であり、原爆で亡くなった河本明子さんのピアノを譲り受けるわけですが、もともと住まいが近所だったとか

そうなんです。もう40年以上も前でしょうか。当時の私の住まいが広島市の三滝で、河本家とは3、4軒離れたくらい。明子さんのお母さんのことを私はおばあちゃんと呼ばせていただいていて、ご夫妻で暮らしていました。すごくモダンで素敵なおばあちゃんだったんです。市内からたまたま同じバスで何回か一緒になって、声をかけていただきました。「あなたも三滝なの?お茶するからいらっしゃい」ってお電話をいただいてお付き合いが始まったんです。

――当時から部屋にはピアノが?

はい。お宅にお邪魔したときに私の娘たちが「このピアノおかしいね、鳴らない音があるよ」などと言ったりしていました。でもそのときは明子さんの話はほとんど聞いていないんです。「私の娘はあなたと同じ学校に通っていたのよ」という話くらいで。今考えると、話せないほどつらい出来事だったんだと思います。愛おしく育てた娘の話ができないくらいに。

――ピアノを譲り受けたきっかけは?

2003年に広島で芸術イベントに携わったんですが、その頃ちょうど矢川光則さんの被爆ピアノの活動が新聞に出るようになっていて、ふと河本さんのお宅にあったあのピアノ、もしかしたら被爆ピアノっていうものじゃないのかなと思ったんです。横浜に住む明子さんの弟さんに連絡をとると「懇意にしている調律師の坂井原浩さんからは『これは捨てるべきピアノではないですよ』と言われたけれど、被爆してガラスの破片がついているし、家を解体するから処分しようと思っている」と。「処分するならいただけませんか」とお願いしたところ、HOPEプロジェクトに譲ってもらうことになりました。
そのときはまだほとんど音が出ない状態だったんですが、坂井原さんに修復してもらい、2005年に初めてコンサートで使用することができました。缶バッチを売ったり募金を募ったりして修復費用にしました。2005年の8月3日にチャリティーコンサートを開かせてもらうと、徐々に多方面から声がかかりだしたんですね。以降、ピアノを東京、大阪、奈良、京都などに運んで演奏会などで使っていただきました。来年このピアノも100歳になるので、ちょっと酷使したかなと思います。

調律師・坂井原浩氏によって修復される明子さんのピアノ      一般社団法人HOPEプロジェクト提供

日記が語る、楽しかった日々

生後7カ月の明子さんとピアノ      (1926年 米・ロサンゼルス)        一般社団法人HOPEプロジェクト提供

――明子さんの話をもう少し聞かせてください

アメリカで生まれた明子さんは、6歳のときにピアノとともに両親の故郷、広島に移り住むのですが、そのときから原爆で亡くなる前年の18歳まで日記をつづっていました。明子さんのお父さんも日記を残していました。それらを全部読ませていただくと、いろんなストーリーが浮き彫りになったんです。お父さんの日記には明子さんの毎月の身長と体重など、本当に克明に記載されていて、まさに育児日記なんです。相当な愛情をかけて明子さんを育てていたのが分かりました。小学校何年生のときだったか、明子さんが風邪をひいたから、うがい薬と風邪薬を持って学校までお父さんがついて行っているんですね。具合が悪かったり遅刻しそうになったらタクシーで行かせたりとか。あの頃タクシーを使っていたなんて、相当裕福な家庭だったんですね。

――明子さんへの愛情がよくわかります

写真もたくさん残されています。幼少期の明子さんの写真に写り込んでいるのがまさにこのピアノですね。アメリカのボールドウィン社製で、当時世界最高と言われたぐらいなんですって。

――そういうことを考えると本当に無念だったでしょうね

市内で学徒動員による奉仕活動中に被爆した明子さんは、その翌日亡くなります。その際、ご両親が広いお庭の柿の木の下で荼毘(だび)に付したんです。自分の娘を先に見送るというのは、親としてもう本当に私は想像できない。どうしてお庭だったのか。後から聞いた話ですけれど、近くの小学校では何千人の方たちのご遺体が集められて、オイルをかけて燃やされていて、そういうところだと遺骨が拾えない。どなたのものかわからないからです。せめて遺骨を拾って、自分の家が見えるところにお墓を建てたいというご両親の思いで、自宅が見える近くにお墓を作ってそこに遺骨を置いたんですね。

自分ごととして伝えていけたら

明子さんのピアノは、学校やNPO団体に演奏で使っていただいて、そこで私もお話をさせてもらうと、やはり子どもは戦争体験や原爆の話にとても恐怖を感じるんです。起こったことは事実なのですが、今の時代や社会とは全然違いますでしょ。私も戦後生まれですから、被爆と言っても想像しかできないし。だから、子どもたちがあまり抵抗なく自分ごととして考えられるような平和学習ができたらいいと思って、明子さんの体験を日記の内容から話すんです。明子さんは銃後の中でも「勉強したくてたまらない」と日記に書いたんですね。子どもたちの感想文では「自分は勉強したいと思ったこともないのに、戦争中は勉強したいっていう思いになったんですね」と自分ごととして受け取ってくれています。

――明子さんの生涯をともにしたこのピアノは、明子さんの人生そのものということなんですね

明子さんからの日記を通したメッセージ、それを記憶しているのがこのピアノです。このピアノの音色を聴くと穏やかな気持ちになる。それは明子さんの"平和への祈り"がこもっているからだと思っています。それが平和を築く種になると思うんです。

平和記念公園での演奏会(2017年) 一般社団法人HOPEプロジェクト提供

明子さんは今も世界にたくさんいる

平和記念公園の「レストハウス」に展示されている「明子さんのピアノ」

私は単に「被爆ピアノ」とは呼びたくないんですね。明子さんのピアノは単に被爆したというだけでなくて、これだけの写真と日記が残されていて、明子さんの多感な少女時代の夢や想いやいろんなものがそこに書かれています。人生が伝わるんですね。「なんで私は死んでしまうんだろう。お父さんごめんなさい」って何度も言いながら亡くなっているんです。でもそういう子どもって今も世界にはたくさんいるわけです。明子さんだけが特別じゃなくて、一人ひとりの人生があって、すべての戦争に明子さんはいるんです。戦争というものがどういうものか、悲惨なだけでないことを日記やピアノを通して伝えていけたらいいなと思っています。

――現在ピアノは平和記念公園の被爆建物「レストハウス」に展示されていますね

2020年から常設展示をして、訪れた人に被爆資料として公開しています。実は、私の父は対岸の原爆ドームの第1期の補修工事の現場監督だったんです。当時大学生だった私は、たまに父にお弁当を持って行ったりするくらいで、原爆や平和活動には無関心だったんです。なんとなく教えられて、今こういう活動をしていることにつながっているかと思うと、何か縁を感じますね。

――この受賞を今後の活動の励みにしていただければと思います

明子さんから次はこうしなさい、ああしなさいとメッセージカードが届くような気がするんです。そのメッセージに導かれている感覚なんですね。明子さんも今天国でびっくりしながらも、ピアノが平和のために活用されていることを喜んでいると思います。来年100歳になるピアノが、いつまで調べを奏で続けられるかわかりませんが、私ももう少し寄り添っていこうと思いを新たにしました。

一般社団法人HOPEプロジェクト Profile

法人名は、Hiroshima Overplaces People's Educationの頭文字から。代表理事は二口とみゑ氏。広島への原爆投下で亡くなった河本明子さん(当時19歳)が愛用し、原爆で傷ついたピアノを、明子さんの両親と親交があった二口とみゑ氏が譲り受ける。2005年、調律師の坂井原浩氏によって修復され、「明子さんのピアノ」として保存・管理し、人々に伝える取り組みを行っている。このピアノを2005年8月に被爆60周年祈念「被爆ピアノチャリティコンサート」で演奏使用して以降、コンサートや平和学習の場に貸し出してきた。ピアノは現在、広島市平和記念公園内のレストハウスに被爆遺品として常設展示され、マルタ・アルゲリッチ氏らもこの地を訪れ、演奏している。2019年、第21回国際交流奨励賞受賞。2025年、第12回JASRAC音楽文化賞受賞。

(インタビュー日 2025年10月28日)