2025年10月10日
植松伸夫さん(作曲家)インタビュー ―ゲーム音楽の礎を築き、新たな章へ
ゲーム音楽の歴史を語るうえで欠かせない存在、植松伸夫さん。『ファイナルファンタジー(FF)』シリーズをはじめ、数々の名作を彩ったその音楽は、今やゲームの枠を超えて世界中のファンを魅了し続けています。ゲーム音楽の可能性を広げ続けてきた植松さんに、時代とともに進化してきた音楽制作の裏側、そして未来への展望を伺いました。
さまざまな音楽を吸収した青年時代 ――植松さんの音楽にはロックやワールドミュージックの要素を強く感じます。音楽のルーツはどのあたりにあると考えていますか
中学生の頃から漠然と音楽の仕事に就きたいという気持ちがあって、どうやったらピアノや吹奏楽をやってきた友達に追いつけるかを考えていました。そのためには、誰よりも多くの音楽を知るしかないと思ったんです。運が良いことに、地元の高知に「川村レコード」っていうレコード屋があって、そこのシラヤマさんというお兄ちゃんにいろいろな音楽を教えてもらいました。同世代がこぞって聴いていた歌謡曲には興味を持てなくて、プログレ(プログレッシブ・ロック)やジャズなど、みんなが知らないジャンルばっかり聴いていました。
――当時のプログレといえば、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンなどでしょうか
そのほかにも、まだあまり知られていなかった頃のジェネシスとか.......。ピーター・ガブリエルが在籍していた時のジェネシスはどこにもない音楽だったし、ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターとかイタリアのプレミアータ・フォルネリア・マルコーニとか、とにかくいろいろ聴いてましたね。あとは、当時は沖縄返還の頃で、沖縄民謡の独特な音階にも衝撃を受けて、そこから世界の民族音楽にも興味を広げていきました。
――ゲーム音楽に携わるようになったきっかけを教えてください
最初からゲーム音楽をやろうと思っていたわけじゃないんです。ファミリーコンピュータが発売されたのが1983年、僕が24歳の時ですからね。当時はゲームが家庭に普及し始めたばかりで、そもそも「ゲーム音楽」というジャンルなんて無かったんです。僕は映画が好きだったから、あわよくば映画音楽をやりたいなんて思ってましたけど、コネも実力もなくて。そんなとき、僕が住んでいた日吉にスクウェア(現スクウェア・エニックス)があって、ひょんなことから出入りしているうちに「ゲームに曲を書いてみないか」と声をかけられたのがきっかけです。
――最初に手掛けた作品は何でしょうか
『クルーズチェイサー ブラスティー』というPCゲームの発売にあたって、おまけでソノシート(注:販促用グッズとして当時普及していたビニール製のレコード)をつけることになったんです。ゲームの曲をソノシート用にシンセサイザーでアレンジしたのが僕のスクウェアでの最初の仕事でしたね。スクウェアが株式会社になるタイミングで正式に社員になって、FF1の曲を作るようになりました。当時のゲーム会社は、音楽や小説、美術の道を目指して、その道ではプロになれなかった若者が集まっていたんです。開発部門では27歳の僕が一番年上という、そんな時代でした。
3音から始まったFF音楽
――ファミコン時代のゲーム音楽は容量の面で制約があり3音で作る必要があったと聞きました。もどかしさはありませんでしたか
むしろ面白かったですよ。3つの電子音で何ができるのか、それこそゲーム感覚で楽しんでいました。他のメーカーさんの音楽を聴いてどんな工夫をしているのかを参考にしたり、普通の和音ではなくアルペジオにしてみたり、メジャーとマイナーを交互に使ったり、変わったことをいろいろ試しました。僕は独学で音楽を学んできた"野良犬"なので、引き出しは全部「これまで聴いてきた音楽」でしたね。
――FFシリーズの『メインテーマ』は、シリーズが進むにつれて壮大なオーケストラアレンジになりました。植松さんの頭の中では、はじめからオーケストラのイメージがあったのでしょうか
朗々とした美しく響き渡る楽曲のイメージはありましたけど、さすがにオーケストラの音を3音に落とし込んだわけじゃないです。「そのとおり!」って言いたいところですけど(笑)。実はFF2は別のテーマ曲を作ったんです。その後、FF3が出ることになって、これはシリーズが続いていくぞとなり、FF1のメインテーマを復活させました。それ以降、シリーズが続いていくなかで、このメインテーマで迷いがあった部分は少しずつ手を入れていきました。ようやく完成したと言える形になったのはFF8かな、それ以降は譜面は変えていないと思います。
――そもそも植松さんの楽曲はどのように作られているのでしょうか
僕はメロディーから作ります。ファミコン時代は3音しか使えなかったので、トラック1がメロディー、2が和音、3がベースで作っていました。今でも基本的な作り方は変わっていません。ただ、最近はリズムから作る方法も試してみたいと思っています。リズムがいびつで面白いトラックに、美しいメロディーが乗ったらどうなるのか、挑戦してみたいです。
――ゲーム音楽の特徴の一つとして、長時間繰り返し聴かれるところがあると思います。工夫した点などはありますか
初期の頃はあまり意識していなかったんですが、ゲームの世界が広がるにつれて「飽きさせないように」と考えるようになりました。例えば、FF3のフィールド曲は思い切って3音のうち2音をずらしてエコーをかけて立体感を出したりとか、FF7のフィールド曲はワンループ4~5分のものを作ったり。あとは、町に入ってまた出たときに、曲が最初からじゃなくて続きから流れるようにして最後まで聞いてもらえるようにプログラマーと工夫したり。これ、苦労した割に気付かれないことが多いんですけど(笑)。
――ラスボス曲の制作で苦労されたことはありますか?
ラスボスは毎回苦労します。ゲームは何十時間もプレイするものなので、ラスボスの曲にはそれまでに出てこなかった新しい音やアイデアを入れたいんです。FF7のバトル曲『片翼の天使』は"乱暴なオーケストラ"をテーマに、フレーズの断片を毎日作曲して溜めていって、それらを入れ替えたり転調させてみたり、つなぎ目を工夫したりして完成させました。面白ければ何でもいいや!と、実験のような感覚で楽しんで作っていましたね。制作の苦労と皆さんの評価というのは全く関係なくて、楽しんで作った曲がウケることもある、こんな幸せなことはないんですよ。やりがいがありますね。
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――FFシリーズの制作中は、ドラゴンクエストの作曲家、すぎやまこういちさんとも交流があったとか。印象に残っているエピソードはありますか?
FF1を出したあと、すぎやま先生の事務所の方から突然電話をいただいたんです。「先生が褒めていらっしゃいましたよ。それでは」とだけ(笑)。でもすごくうれしかったですね。それからも毎回ゲームをやって感想を伝えてくれるんです。FF6のオペラシーンの曲については「オペラのことを何も知らないで書いただろ、相談してくれればよかったのに」と言われました。FFの作曲をしているときに、ドラクエの作曲家に相談するわけにはいかないでしょ(笑)。 あと、すぎやま先生が木管四重奏によるゲーム音楽のコンサートを開催したことがあって、そこでFFの曲を演奏してくれたんです。その会場で僕のことを知っているお客さんに人生で初めてサインを書いたのを覚えています。
スクウェア退社後の活動とゲーム音楽の変化 ――独立されたあと、JASRACと信託契約を結ばれました
スクウェア時代は著作権が会社に帰属していたので、自分で著作権を管理することはありませんでしたからね。2004年にスクウェアを退社してからレーベルを立ち上げて、僕が権利を持つ楽曲を作ったタイミングでJASRACさんと契約したんじゃなかったかな。周りもみんな著作権管理はJASRACさんに任せていたし、そういうものだと思ってました。そもそも昔って、ゲーム音楽はJASRACさんに預けられないみたいな話がありませんでしたっけ。
――預けることは可能ですが、当時はゲーム会社が自社で音楽を自由に使うために自己管理するケースが多かったと思います。今は、作家がJASRACと契約した上でゲーム会社が自由に使える仕組みもあり、配信など世界中で使われるゲーム音楽をマネタイズするためにJASRACに管理を委託するケースも増えてきています
そうなんですね。YouTubeとかいろいろな動画配信サービスで見られる、聴けるものがいっぱいありますからね。
――ゲーム音楽の変化について、植松さんが感じてきたことはありますか
ファミコン時代の3音からサンプリング音源へと、音数が増え、昔よりずいぶん音色の表情が豊かになりましたよね。最近のゲームはグラフィックがどんどん向上していますが、音楽に関して言えば、スタジオ録音の音が流せるようになったことが一つの完成形という部分はあります。あとは立体音響(バイノーラルサウンド)ですかね。FF10で立体音響のアイデア自体はやっているんですけど、今後どこまでユーザーに求められるかといったところかな。ほかには、鳴っている音楽がどれだけスムーズに切り替わっていけるかとか。そこら辺は、今後AIがうまくやっていくのかもしれません。
――AIの話がありましたが、今は生成AIで楽曲制作そのものができるようになってきました。その点どのように考えていますか
僕はまだ使ったこと無いですし、使うことは無いかな。やっぱり多少苦労して自分の中から生み出したもののほうが満足感があると思うし、人って音楽を聴く時に「誰が作ったのか」という背景も一緒に楽しんでいる部分もあるじゃないですか。AIはそのような背景は持たないですから。演奏にしても、人間が紡ぐ音楽は不安定で十人十色。その揺らぎや膨らみがあるからこそ、おいしいんじゃないかな。
――近年の植松さんはライブやトークショーなどのイベントも積極的に行っていますね
聴きたいと言ってくれる人がいるなら、どんどんやりたいと思っています。いつものファンの前でイベントをするのはもちろん、大きい会場のコンサートもやりたいし。いつか僕一人で全国のライブハウスを回って、トークライブみたいなものやってみたいんですよね。
終わらない挑戦、次世代の音楽家へのメッセージ ――別のインタビューで「ゲーム音楽にはもう携わらないかも」という記事がありました。今のお気持ちはいかがでしょうか
あれはちょっと誤解があって、「もうゲーム音楽はやりません!」みたいな決意表明ではないんです。「最初から最後まで1本丸々やることはありません」という意味なんですよね。ゲーム音楽の制作には最低でも1年、長ければ2年以上かかります。僕は制作に集中するタイプだから、その間はほかのことができなくなるんです。元気に働ける残りの時間を考えたら、ゲーム音楽だけをやっていたらあと数本しか作れないなと思ったんです。人生最後にいろいろ挑戦して、やったことのないことをやりたいなと。ゲーム音楽を完全にやめるわけではなく、むしろ作品のメインテーマや主題歌はガンガンやりたいんです!これまでやってきたようなロールプレイングではなく、インディーズゲームの音楽とか作ってみるのも面白そうだなと思っています。ここ、ぜひ強調して書いてください(笑)。
――音楽業界を志すクリエイターへのメッセージはありますか
とにかく音楽をいっぱい聴いてほしいです。音楽は言語のようなものなんです。例えば、小さい子が日本語と英語をしっかり聴いて育てば、自然と両方を話せるようになったりしますよね。それと同じで、音楽もいろんなジャンルを聴いていれば自然と理解できるようになります。僕は「音楽を聴く天才」なので、何を聴いても楽しめるんです。誰でもこの天才にはなれるんですよ。作曲家を目指すなら、引き出しが多い方がいいから。それと、自分がなぜ音楽をやっているのか、何に感動したのかという"土台"を常に持つこと。その感覚を積み上げていけば、その人独自の音楽ができると思います。
――今後のご予定や展望について教えてください
今作ってるのはオリジナルの歌ものだったりしますし、アルバムの制作もそろそろ始まるところかな。年内はいくつかライブがありますし、来年には海外の活動も予定しています。今、人生で一番忙しいくらいに感じているんですが、毎日仕事をしていないと明日が来ないような気がしてしまうんですよ。食えない時代を経験した人って、多分一生こうなんでしょうね(笑)。
植松伸夫さんProfile
1959年3月21日、高知県生まれ。1986年に株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社し、RPG『ファイナルファンタジー』シリーズをはじめ、数多くのゲーム音楽を手がける。叙情的かつ壮大なメロディーは、ゲーム音楽という枠を超えて国内外で高く評価されている。作曲活動にとどまらず、オーケストラによる世界ツアーの制作総指揮や、バンド「植松伸夫 con TIKI」としての演奏活動、制作秘話を語るトークイベントなど、表現の場を広げ、現在も精力的に創作と発信を続けている。
(インタビュー日 2025年9月2日)