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【第7回JASRAC音楽文化賞受賞】山本宣夫さん「古楽器で奏でるモーツァルトの素晴らしさを届けたい」

2020年11月18日に発表した第7回JASRAC音楽文化賞受賞者、ピアノ修復家の山本宣夫さんのインタビューです。

山本さんの古楽器コレクションを展示している「スペース クリストーフォリ堺」にて

調律から修復までを一手に

――今、修復しているピアノはどういったものですか?

ロンドンのサザビーズのオークションで手に入れたものです。コンラート・グラーフというウィーンを代表するフォルテピアノです。1700年代のもので、ベートーベンはじめシューベルト、ショパン、シューマン、ブラームス、マーラーなどそれぞれの時代の大作曲家が憧れ、手にしたかった最上のピアノと言われています。世界でも残っているのはわずかです。それがオークションに出たんですね。

――相当な金額だったのでは?

僕が手に入れられたということは、個体にかなりの問題があるわけです。誰も直す気力が起こらないぐらいに劣化していたんですね。2週間後にこの楽器を使った演奏会を予定していて、毎日寝ずに修復に取り組んでいます。ヨーロッパからも注目されているので気が抜けません。修復していると、製作当時の技術力、音響システムの考え方など、なるほどと思うと同時に、いまだに勉強させられることが多いです。新たな発見と知識が得られてやっていてわくわくします。

――山本さんはもともと調律師を目指していたんですよね

はい。父親が調律師で、後を継ごうと思いました。今から60年ほど前のことで、まだ技術者は大変少なくて、全国でも1万人くらいだったでしょうか。職業名も知らない人が多く、調律師って何のことかと、調理師と間違えられることもありました。浜松のピアノ製造会社に入社し、4年間修行しました。

調律は出来上がったピアノで行う仕事。元々手仕事が好きなこともあって、調律では満足できずに修理の仕事を覚えたいと思い、その後京都の修理工房に移って住み込みでまた4年間修行したんです。京都では国内外さまざまなメーカーのピアノを扱っており、ヨーロッパ製のピアノと日本製のものとはクオリティーに随分差があるということを感じました。日増しに「ヨーロッパへ行きたい」「本場のピアノに触れたい」という気持ちが強くなっていきました。

修復中のフォルテピアノ「コンラート・グラーフ」

ウィーンへ

――その後、ウィーンの名門ベーゼンドルファー社に研修留学したんですね

幸運にも入ることができて、本場のピアノの製作技術とヨーロッパの音作りというものを学びました。

――ウィーン行きのきっかけは?

ベーゼンドルファーの日本代理店の社長に「自分の技術を極めたい」と直談判したんですね。すごく僕の熱意を感じていただいて、その年の4月に本国の社長が来日するから、直接頼んだらどうかと言われたんです。僕は京都にいる間、将来を見据えてドイツ語を勉強していたんですね。学校に通いながらラジオ講座も毎日聞いていました。それで社長が来日されたときに自分の意思をドイツ語で喋って希望を伝えることができたんです。社長の快諾を得て渡欧。現地では歓待してもらえました。

同社では、最後の音作りの「整音」部署での作業を学ぶのが一番の目的でした。今まで日本でやってきた音作りとは全然違いました。それは本格的に音を「作る」ということ。力強い音、鮮やかな音、色彩感のある音、輪郭がはっきりした音など、音の微妙な表情を、ピアノの弦を叩くハンマーと呼ばれるパーツでコントロールするんです。ハンマーには、木の芯に強い力でフェルトが巻かれていますが、そこに針を刺すとそこだけ繊維が切れる、弦に当たる弾力が変わってきます。針を刺す位置や角度で音色が動くわけです。

――デリケートな世界ですね

ものすごく繊細です。普通は触れさせてくれない、最後の仕上げの仕事です。それをようやくできることになった。僕一人整音室に入って「さあどうぞ」と。「道具はこれ、分かっているだろう」という感じで、お手並み拝見ってことですよね。日本では1時間もかからないぐらいに簡単に済ませてきた作業ですが、丁寧に1日かけてやりました。ところが「ここのマイスターでも1週間かかる仕事が1日でできるわけない」と突き返されました。何度やっても同じです。「もっと深い低音を」「音に色彩感がない」「輪郭がない」とか、でもどうしたらいいかは教えてくれない。ある程度の知識を得て、針を刺してコントロールすることは分かってきましたが、工夫をして時間をかけても同じ理由で突き返される。それを繰り返しているうちにノイローゼになってしまいました。

もうこれ以上無理かなと諦めかけた夜、夢を見たんですね。夢の中で作業している、針を刺しているとボーンと理想的な低音が出た。目が覚めてから夢だったと分かったけれど、夢の中でやっていた仕事と音はイメージとして頭の中に克明に残っていました。忘れないようにそのまま起きて会社に行って、そのとおりやってみたんです。驚いたことに、まさにベーゼンドルファーの音が出ました。不思議な体験でした。検査官が弾いて「やったね、これだ」ってね。それでようやくOKが出ました。それから半年間続けて、自在にというのは言い過ぎですが、音のコントロールがある程度できるようになりました。

モーツァルト使用楽器を復元

工房が休みのときに、ウィーンの芸術史博物館に行きました。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、往年の大作曲家が実際に使ったピアノがまばゆいばかりのきらめきを放っていました。じっくり見学したいと思い、留学を終えた翌年、あらためてウィーンに渡りました。

職員にいろんな質問をしていると、館内にある工房の主任を紹介してもらえました。案内された工房はさながら手術室。ピアノがバラバラにされて修復されているんですね。僕が見たかったのはこれだと見学を申し出たんです。1日終わったらまた翌日、そしてまた翌日と。彼は毎日やってくる僕に戸惑いながらも、熱意が通じたのか「残りの滞在期間ちょっと手伝ってみないか」と言ってもらえたんです。モーツァルト没後200年の祝祭で使うフォルテピアノを修復するプロジェクトに一緒に参加してほしいと。その後修復師としてやっていく上で、この経験は得難いものになりました。完成したその音は、自分がそれまで聴いたことがない、軽やかに転がるような本当に色彩感のあるモーツァルトでした。これが当時の音かと感動し、ぜひ日本でも聴いてもらいたいという気持ちがそこで生まれたんですね。

クリストフォリの製作へ

――こういう経験を経て、いよいよ世界最初のピアノであるといわれる「クリストフォリ」の製作に挑んでいくわけですね

クリストフォリというのは、フィレンツェの大富豪メディチ家に仕えた楽器製作者で、ピアノの原型を作った人と言われていますが、製作されたピアノの音や構造は謎だったんですね。修復をしながらいつかはこのピアノを見たいと思っていたんです。世界でも3台しか残っていないのは知っていましたが、ウィーンの博物館にいたときに、偶然にもその内の2台を所蔵するドイツのライプツィヒ大学博物館の館長と、ニューヨーク・メトロポリタン博物館の主任修復家に会うことができました。両人はそれぞれクリストフォリについてすごくプロフェッショナルな研究をしていて、その後両館に赴き、2台を見学することができました。ニューヨークのものは1720年製の「世界最古」と知られていましたが、改造が加えられていました。一方で、ライプツィヒのものは1726年製ですが、弦以外全てオリジナルですごくいい状態でした。

僕がクリストフォリを見学した同じ時期の1995年に、浜松市楽器博物館が開館しましたが、ここにニューヨークの1720年製コピーが展示されたのです。僕は最もオリジナルの状態が残っている1726年製を再現したくなりました。翌年再びライプツィヒに飛び、今度は「作るための調査をさせてほしい」と申し入れました。それまでの信頼関係もあり、設計図をいただけることになりました。

――オリジナルの設計図なんですか?

はい。1726年のオリジナルが保存されていたんです。その後も幸運なことが続き、2年くらいかけて1999年4月に完成させることができました。現存するクリストフォリを見学でき、ライプツィヒにある1726年製を選択できたこと、作る段階でも手に入らないような資材を無償で提供してもらえたことなど、不思議な出会いや偶然がずいぶん多かったんですよね。

お披露目は、翌年の2000年に浜松で開催されたピアノ製作者が集まる全国大会でした。その年はピアノ生誕300年の年でした。そこでレクチャーやコンサートなどをしたのですが、イタリアから来た技術者たちの目に留まり、すごく感動してもらえたんです。イタリアでもクリストフォリを復元できた者はいないのに、日本人の僕が作ったと。しかも弾いてもらった結果、単にコピーではなく、素材なども当時の楽器に忠実で、精神的な心があると言っていただきました。同じ年にイタリアでもヨーロッパのピアノ製作者を一堂に集めたピアノ生誕300年の催しがあり、要望を受けてこのピアノをイタリアに持参しました。クリストフォリにとっては里帰りです。その後、ウィーンの博物館で2カ月間展示されました。

山本さんが復元した「クリストフォリ」ピアノ

復元は自分にとって宿命的なもの

――一つの目標を達成したところはあると思いますが、これからはどのような活動をされていきたいですか?

クリストフォリの製作は最後のライフワークと思って打ち込みましたが、僕の本来の目的は、オリジナル楽器で奏でるモーツァルトの素晴らしさを日本にも紹介したいということで、その思いをずっと持っていました。ここにある古楽器ピアノコレクションはホールでのコンサートに貸し出すことが多かったんですが、本来古楽器は、王宮や富裕層のサロンなど、狭い空間で弾く楽器だったわけです。

その意味でここは理想的な場所です。ここにあるすべてが一つひとつ思い入れのあるものばかりです。楽器は演奏してみんなを感動させてこそ存在価値があるわけで、展示するだけなら普通の博物館になってしまう。そうなったら楽器としての生命は絶たれます。本来のスタイルで音楽の原点を楽しんでもらえるよう、不定期でもコンサートを行いながら、できるだけ続けていきたいと思っています。

――なかなかやめられませんね

僕が世界中から収集し、復元したコレクションの使用を待ち望んでいる人たちがいます。最近では中国・韓国からも修復の依頼を受けています。期限が決まっている仕事ばかりなので、期限までに完成させなければならないことは僕にとっては苦しみなんですよね。でも楽器を復元したい、よみがえらせたいという気持ちに宿命的なものを感じるんです。作曲家の思いは当時使っていた楽器で音を再現しないと分からない。復元できて音が奏でられた瞬間、それまでの苦しさが喜びに変わるんです。

山本宣夫さんProfile

1948年大阪府堺市生まれ。1974年、ピアノ調律・修復家として独立。その後、ベーゼンドルファー社(オーストリア)での修行を経て、1989年から2019年までオーストリア国立ウィーン芸術史博物館古楽器部門で日本人初の客員フォルテピアノ修復家となった。1998年から、収集したフォルテピアノを「スペース クリストーフォリ堺」で公開するとともにコンサートやレクチャーに提供。1999年には、1726年製フォルテピアノの忠実な復元に成功し、「ユーロピアノ・コングレス2000」(イタリア)、国立ウィーン芸術史博物館等で展示およびコンサートが行われ、世界的な評価を受けた。大阪芸術大学音楽学部客員教授。2020年、第7回JASRAC音楽文化賞受賞。

(インタビュー日 2025年3月18日)