2025年02月13日
【第11回JASRAC音楽文化賞受賞】杉並児童合唱団「このレパートリーをずっと大事にしていきたい」
2024年11月18日に発表した第11回JASRAC音楽文化賞受賞者のうち、杉並児童合唱団の森重行敏代表理事、輪島紀子理事のインタビューをお届けします。2024年に結成60周年を迎えた合唱団の、これまでとこれからについてお話をお聞きしました。

クラシックもビートルズもレッスンで
代表理事の森重行敏さん
森重 私は杉並児童合唱団(以下、杉児)2期生です。創設者の故・志水隆先生は私が通っていた杉並区桃井第三小学校の音楽の先生で、私は1964年の1回目の演奏会を客席で聴いて、入団しようと思いました。オーディションがあって、先生の前で歌いましたね。何を歌ったか全然覚えていませんが。
――創設当初からNHKの番組に出演されていたとか
森重 そうですね。入団してすぐにいろいろな番組に出演しました。NHKの番組「みんなのうた」や「歌のメリーゴーラウンド」への出演のために創設したようなところがあったかもしれません。
――当時は、テレビの黎明期で子どもたちの合唱団が求められていた背景があるんでしょうか
森重 それはありますね。たくさんの合唱団がその頃に生まれています。私は高学年になって高い声が出にくくなり、団員としてはリタイアしました。その後OBとなり、大学生の間は伴奏者や編曲者として、10年くらいずっと一緒に活動していました。一時活動から離れていましたが、演奏会を見に行くことはずっと続けていました。
輪島 私は母が杉並区の音楽の先生だったんです。志水先生は当時音楽教員の中でも憧れの存在。杉児に子どもを入れたいというのは誰もが思っていたことだったらしく、小3で入りました。クラシックも映画音楽もビートルズも、初めて触れたのは杉児のレッスンで、後追いで原曲を聞きました。結局大学3年まで続けましたが、元々体を動かすのが大好きで、お芝居も大好き。それで振り付けや演出をやらせていただいて、現在も杉児で指導しています。
楽曲の魅力は杉児ならでは
理事・演出の輪島紀子さん
――東京でも歴史の長い児童合唱団は多いと思いますが、他の合唱団と比べて特徴は何だと思いますか?
輪島 創設時からずっと、志水先生の掲げた「楽しくなければ音楽ではない」というモットーを純粋に守り、同じクオリティーを保つことができていることではないかと思います。そして、オリジナル作品が素晴らしいということ。子どもたちがそこに魅力を感じるから杉児に入ってくるし、続けていくのではないでしょうか。
――音楽の持つ力ですね
輪島 "音楽の力"それに尽きると思うんです。レパートリーが豊富なので、中高生になっても歌ったことのない「憧れの曲」がたくさんあるんです。みんな辞める前に1回歌いたいと思っています。
森重 JASRAC音楽文化賞の贈呈式の時にあいさつをさせていただきましたが、皆さんがびっくりされたのは、名前に杉並と付いているけど杉並区とは関係ないということ。これまでどこからの援助も一切受けず、すべて自主的にやってきたんですね。だから誰かの指示で動いているわけではなく、誰かの都合でなくなることもないわけです。
輪島 そこも大きかったと思います。志水先生は意に反することをやるのは嫌だったんですよね。自分で好きにやりたいからどこにも属さないみたいな。
森重 だからどこにも遠慮なく選曲ができます。
輪島 選曲も運営も自由にできることが、続けていくうえで良かったんですね。
特徴的なレパートリー
――「杉並ミュージカル」や「杉並ポピュラー」など、特徴的なレパートリーがありますね
森重 オリジナルミュージカルや、既成の楽曲をアレンジした作品をそう呼んでいます。
輪島 杉児の委嘱作品として作詞家に台本と詞を依頼して、その後作曲家に作曲や編曲を依頼してできていきます。今のレパートリーは、ポピュラー曲だけでも80曲を超えているんです。
森重 「杉並ポビュラー」は、NHKの子ども番組を担当していた越部信義先生が、映画音楽を何曲か集めたメドレーを作ってくださったのが最初です。団員が先生に歌いたい洋楽曲をリクエストしてできたものもあります。
輪島 インターネットもなければ、カセットテープがやっとの時代に洋楽をリクエストするなんて、すごいセンスの子たちが集まっていたんだなと思いますね。
――それだけのオリジナルのレパートリーがある児童合唱団はあまりないかもしれませんね
森重 そうかもしれません。杉児に賛同する全国の合唱団が交流している「杉並会議」という組織があり、現在17団体が所属しています。多くのレパートリーはこれらの合唱団にも伝わっていますが、同じ曲を歌っても、それぞれの合唱団では意外なほど違うんですよ。声の違いや歌い方、凄くバラエティー豊かです。でも合同演奏となると、まるでいつも一緒に歌っているような不思議な一体感があります。
輪島 みんな楽曲の魅力に吸い込まれていくんですね。
森重 越部先生は、歌詞に関係なく割とメロディー優先で、選曲していました。多くの作品の作詞をお願いした中山知子先生は、必ずしも直訳ではなく子どもたちが自然に歌えるように工夫して作ってくださっていました。
輪島 杉児のレパートリーを手掛けた先生の影響は、杉児が続いていくうえですごく大きかったと思います。

230人が一堂に会するレッスンが生む伝統の連鎖
――指導の時に心がけていることは何ですか?
輪島 まず団のモットー「楽しくなければ音楽ではない」ありきなんです。テクニカルなところも大事なのですが、入団した子の最初の音楽との出会いがここなので、音楽が楽しいと思えるようなレッスンを心がけています。それにはやはり選曲がすごく大事です。演奏会のプログラムを決めることでも、今子どもたちが何を求めているかを考えながら選曲しています。
――レッスンは年代別に分かれて行うのですか?
輪島 週に2回のレッスンで、幼児から大学生までの団員230人全員が集まります。これは立ち上げのときから変わりません。全員一緒に顔を合わせることを日常的に行っているからまとまったステージができるんです。
――世代が違う230人が一堂に会するのは圧巻ですね
輪島 レッスンに加えて年に1回合宿もあるので、上の子が下の子の面倒をみることは自然と身についていくんですね。これだけの集団だから人の気持ちをくみ取ったりとか、少し先回りして何か考えたりとか、コミュニケーションを上手くとれるようになります。みんな感謝の気持ちをすごく持っているし、おごらず謙虚にという姿勢も身についていきます。
森重 子どもとはいえ意識はプロなんですよね。私も経験しましたが、人に見られて歌を聞かせるために、どれだけ周りが大変かということもしっかり知っています。プロ意識が芽生えるんです。時間の使い方も上手ですしね。
輪島 みんなプライドを持っていますね。演奏旅行などでも身だしなみや顔つきに表れます。先輩の愛情を受けたちびっ子たちが成長したときに、同じようにできるようになるんです。いい連鎖が生まれます。

時代は巡っても続いていく確信が
――2024年は60年の区切りでしたが、将来を見据えて今後目指していくところなどは何ですか?
輪島 週に2回、団員全員でのこのレッスンスタイルは貴重だと思うので、絶対に廃れさせないよう、やり続けていきたいと思います。子どもたちはどんどん変わっていくけれど、時代に合わせて柔軟に変化させながら杉児の魅力を維持していくことが一番大事で、逆に一番大変なところだと思っています。
――指導者にも後進が育ってきていますね
輪島 みんな杉児出身です。今後何年経っても変わらない歌声が、新しい子どもたちと新しい指導者の下でつながっていくことを期待したいです。
森重 いつの時代も子どもたちの歌声はなぜか変わらないんですね。これからは子どもの数はますます減るでしょうし、普通に考えれば団員も少なくなっていくはずなんですが、卒業生を中心にスタッフも世代交代していきつつ、同じように続いていける確信があります。60周年の演奏会では懐かしい曲ばかり歌いましたが、思い出に浸るということではなく、このレパートリーをこれからも大事にしていくことが、今後の我々の活力になるんだろうなと感じましたね。

一般財団法人 杉並児童合唱団 Profile
1964年志水隆(故人)により、東京都杉並区の桃井第三小学校合唱クラブを母体として結成される。時を同じくしてスタートしたNHKの子ども向け音楽番組に14年間レギュラーとして出演。「楽しくなければ音楽ではない」をモットーに、幅広いレパートリーを持ち、アニメ主題歌、CM、歌謡曲、NHK「みんなのうた」など多方面で活躍する。現在も3歳から大学生まで約230人が在団し、週2回のレッスン、夏合宿、年2回の定期演奏会に加え、テレビ番組への出演、レコーディングや舞台、各種イベントへの出演などさまざまな活動を行っている。2024年に60周年を迎え、同年11月24日に記念演奏会を開催した。第11回JASRAC音楽文化賞受賞。
(インタビュー日 2024年12月12日)