2025年01月09日
【第11回JASRAC音楽文化賞受賞】モントレージャズフェスティバルイン能登実行委員会「青空の下、音楽が鳴って海が見える、この雰囲気を楽しんでもらいたい」
2024年11月18日に発表した第11回JASRAC音楽文化賞受賞者のうち、モントレージャズフェスティバルイン能登実行委員会の木下義隆委員長、宮川節子事務局長のインタビューをお届けします。北陸の夏の風物詩として続くフェスティバルへの思いについてお話をお聞きしました。
まちづくり再興がきっかけに
実行委員長の木下義隆さん(左)と事務局長の宮川節子さん
――第11回JASRAC音楽文化賞の受賞、おめでとうございます
木下 ありがとうございます。米国・モントレー市にも報告したところ、とても喜んでくれました。
――フェスティバルはまちづくりが発端だったとか
木下 もともと七尾市は港町として繁栄していたんですが、徐々にその賑わいが後退していったんですね。町を復興させるためにどうしたらいいかと、同じ港町で栄えているモントレー市に視察に行ったことがきっかけだと聞いています。モントレー市を参考にしたまちづくりを検討した結果、地域再生の一つの方法として着目したのがジャズフェスティバルだったようです。
宮川 1986年の最初の視察団の話によると、当時のモントレー市では「これまで世界中の都市から人が来たけれど、多くは1回来て観光してサヨナラなのに、七尾からは毎年来てみんな真剣だ」と。そんな中で視察団の報告を受けた地元和倉温泉の旅館の社長さんたちが「ジャズフェスティバルっていうのはなんか面白そうだ、七尾でもできんかな?」と考えたそうです。何度も渡米して信頼関係を築いていたため、世界で唯一モントレーの名称を使っての開催にゴーサインが出たと聞いています。
木下 第1回目は1989年に開催されました。2004年の16回目から場所を変えて現在の実行委員会形式になり、私は2011年から委員長になりました。コロナ禍で2回中断しましたが、今年(2024年)で通算34回ですね。
――モントレーからの名称使用の条件はどんなものだったのですか?
宮川 「営利事業」はNGで、「JAZZ教育」を目的に組み込まないといけなかった。他の都市でできなかったのはそのためです。モントレーでは「次世代のジャズ教育」のためにイベントを行っているといっても過言ではないぐらい力を入れているんです。
――こちらでの「JAZZ教育」の取り組みはどういったものですか?
宮川 石川ジュニア・ジャズ・アカデミーという組織があり、県内から集まってくる小中高校生で編成されるビッグバンド(ジュニアジャズ)で活動を行っています。結成して20年近くになりますが、これまでに2回、アメリカのコンテストに出ています。ピークの頃は団員数も多く、全国大会にも出場しました。演奏活動をしているとそれを見て入ってくる子たちがいたのですが、今は少子高齢化と過疎化の影響があり、なかなかメンバーが集まらないことが悩みですね。さらに今年は地震があって、それどころじゃないという雰囲気で、最近は少し停滞しています。
――モントレー市との交流はどのようなものですか?
宮川 七尾市はモントレー市と姉妹都市の提携をしています。両市を中心とするビッグバンドを通じた交流があり、アメリカの学生が日本に来て、日本で演奏ツアーをする際のサポートを私たちが行っています。私たちで日程を組んで、全国各地を引率します。彼らはそのことを「ジャパンツアー」と呼んでいます。
モントレーの高校生も高校野球の応援に参加 続けることの難しさ ――興行ではなく、非営利事業ということはなかなか難しいことも多いのでは?
木下 その辺は大変難しいですよね。資金面で、この先開催できなくなるのではと思うことも多々あります。大きなスポンサーをつければどうかという話もありましたが、そうするとスポンサー次第で継続的な開催が難しくなるかもしれない。単なるイベントではなく、まちづくりが目的だということで、今の理事会・実行委員会の体制を作りました。
――毎年続けていくのは困難も多かったのではないですか?
宮川 亡くなったジャズ評論家の瀬川昌久先生が、このフェスティバルを最初から応援してくださったことが続けるモチベーションになっています。瀬川先生は「日本で一番長く続けていることも私が保証します」「Jazz教育に力を入れていることがあなたたちの魅力であり、素晴らしいところだ」ということをずっとおっしゃっていただいていました。
木下 当日の運営は行政のほか、青年会議所、商工会議所の青年部、地元民間企業などのボランティアの方々に支えられて何とか続けられています。
宮川 非営利といってもイベントなので、チケットを売らないと成立しない。その苦労が一番ですね。ジャズはとても奥が深く好みが千差万別なので、さまざまな意見があります。ジャズに造詣が深い方たち向けのラインナップにすると、日ごろジャズになじみのない方たちは「ジャズって難しいから行かないわ」と敷居が高くなってしまう。私たちは地元の人にも一人でも多く来てもらいたいですし、県外からも来てもらいたい。ジャズの好き嫌いに関わらず1年に1回の夏のお祭りとして、音楽やその雰囲気を楽しんでいただきたいんです。今の実行委員はジャズというジャンルにこだわることなく、バランスをうまくとって出演者を決めています。
木下 かつては企業などがチケットを買い取って配る、待っていればどこかからチケットがもらえるからなかなかお金を出して買ってもらえない。そこを変えていきたいと思ってやってきました。
青空の下、海の見えるロケーションで ――野外フェスティバルは開放的ですし、ジャズに合っていますね
宮川 バックが海で、湾に浮かぶ島も見えてというロケーションがいいですよ。夏ですが夜になるとちょっと寒いぐらいの風がありますし。
木下 田舎で交通の便が悪い。電車は1時間に1本ですから、集客は毎回厳しいです。そこはどうしようもない。だからここの特徴を、青空の下、海が見えて音楽が鳴って家族や仲間で楽しめる、その雰囲気を味わってリピーターになってもらう、そんなイベントになってきているのかなということですね。あとは七尾市民が、能登の人が少しでも楽しんでくれれば。
宮川 生で聴く音楽はすごくいいんだよっていうことを知ってもらいたい。生の音楽に触れて楽しさを知って、チケットを買ってくれる人を増やしたいなと思っているんです。
多くの支援があったからできた震災後の開催 ――入場料無料にしたのは能登半島地震があったらからだと伺いました
木下 このような時期にお金を取って本当に音楽イベントを実施していいのか?誰がチケットを買ってくれるのかと思い悩み、入場料は無料にしました。そうなると出演料の捻出も難しい、いつものような大掛かりな設営費用も厳しい。そういう中で、ミュージシャンの方から声をかけてくださって、無償でご出演いただけました。設営関係の業者さんにも多くのご協力をいただいて、さらに義援金も募り、皆さんが協力してくださって何とか開催できました。当日来場した方が、入場料の代わりにと義援金を出してくださった、それは本当にうれしかったですね。
宮川 地元の企業はどこも大きな打撃があったでしょうし、協力していただくのも心苦しかった。でも前年の出演者の方々が「出演料はいらないから飛んでいくよ」と言ってくださった。ある出演者からは、終了後に「支援するきっかけをくださってありがとうございました」とメールをいただきました。本当に皆さんの協力に支えられましたね。感謝しています。
――今年の開催は特に苦労されたのでは?
宮川 初めてのことがいろいろありました。震災後の復興の途上でしたので、会場となる場所を探したり、それに伴う駐車場の確保など、普段しなくてもいい仕事がたくさんありました。結果的にはやってよかったです。
木下 まずこれまで開催していた会場が震災により使えなくなってしまった。開催場所探し、そこからスタートですよね。でも、やることを前提に動いていました。やめることはいつでもできる、どこでできるか考えることが先だと。最終的には開催できましたが、来年はどうしようかなと今考えています。今年は入場無料で行いましたが、来年はそんなわけにいかないと思っています。
第34回モントレージャズフェスティバルイン能登(2024年7月27日開催)
次世代につながるイベントにしたい
――最後に今後に向けての考えを聞かせてください
木下 田舎のイベントですから、いろいろな負担が発生します。金銭面や集客、ボランティアのこと。私が実行委員長でなくても一連のことが円滑に進むようなシステムを作りたい。それはずっと思っています。誰がやっても毎年恒例でできる、そういう組織作りに取り組んでいきたいです。
宮川 いつか「今年チケット余ってない?なんとかして1枚だけでも買えない?」って聞かれるのが夢ですね(笑)。あともう一つ、ジュニアジャズの子たちが1人でも2人でも戻ってきて、このイベントに関わってくれれば。ここから巣立っていったみんなの未来が楽しみなんです。その子たちが帰ってくる場所としてこのイベントは続ける必要があると考えています。私たちの熱量があればあっただけ、いつかまたこのフェスティバルに帰ってくるかなと思っています。そうなることを願っています。
木下 OBが若い人たちを育てて、次世代につながっていけば。ジャズがまちづくりの一つのきっかけになってくれればいいのかな。
――木下さんを駆り立てるものとは?
木下 ここが故郷なので、七尾が良くなってほしいというのが一番だと思いますね。もしもこの先七尾が嫌いになったらやめると思いますけど、まだまだここが好きなので(笑)。皆さんも自然豊かな七尾にぜひ足を運んで、野外イベントの開放感を味わっていただければうれしいです。
モントレージャズフェスティバルイン能登実行委員会 Profile
世界三大ジャズフェスティバルの一つ「Monterey Jazz Festival(MJF)」の名称使用を世界中で唯一許諾され、1989年「第1回モントレージャズフェスティバルイン能登」を和倉温泉で開催し、継続開催してきた。ジャズを含む民間の交流を続けた結果、石川県七尾市と米国カリフォルニア州モントレー市は姉妹都市となり、両市のジャズを通しての国際交流が現在も続いている。国内外のプロの演奏家によるステージはもちろん、本場米国の開催目的の一つに倣い「ジャズの普及と教育」にも重点を置き、地元石川県内や国内招聘の中高校生バンドと、MJFからの高校生バンドとの交歓合同演奏などで演奏技術の向上や国際交流に取り組んでいる。今年7月27日、34回目のイベントを七尾市の能登歴史公園で開催した。2024年、第11回JASRAC音楽文化賞受賞。
(インタビュー日 2024年10月29日)