Magazineインタビュー

  • TOP
  • マガジン一覧
  • 【第7回JASRAC音楽文化賞受賞】西脇義訓さん「理想を求めて新しいオーケストラの響きに挑戦したい」
【第7回JASRAC音楽文化賞受賞】西脇義訓さん「理想を求めて新しいオーケストラの響きに挑戦したい」

「日本の響き」を目指し、デア・リング東京オーケストラを創設

2001年に理想の録音を追求すべくN&Fレコードを立ち上げました。特にクラシックの場合は、ホールや教会などの演奏会場の空間で出た音が本来の響きなんです。空間を生かす演奏が良い演奏だと思うし、本来の響きを録るのが使命と考えているんです。これまでいろいろな録音に携わる中で、オーケストラはヨーロッパ発祥だけれど、むしろ日本の、例えば能とか合気道で使っている日本伝統の呼吸法や体の使い方が、オーケストラには非常に有用ではないか、日本ならではのオーケストラのあり方が、日本でしか出せない日本の響きや音色があるんじゃないかという思いに至ったんですね。

オーケストラって世界中どの国にもあるわけですよ。ヨーロッパからアメリカに渡って、今やほとんどの国がオーケストラを持っているでしょう。使っている楽器は一緒ですがその国ごとに個性があるんですよね。弾く感覚とか伝統とかがあり、国のカラーが出しやすいのがオーケストラなんです。もっと日本らしい響きの出るオーケストラができるはずだと。そのためにはどうしたらいいかという仮説を立てて、長年アマチュア・オーケストラで実験もしながらやってきました。

その経験から、プロのオーケストラもやり方次第でもっと向上するのではないかと仮説が生まれたんです。それが本当に通用するのかどうか、実践するためには自分でオーケストラをゼロから立ち上げてやるしかないと、意を決して作ったのが「デア・リング東京オーケストラ」です。2013年65歳のときでした。

幼少期から音楽好き、レコード会社勤務の経験がその後の糧に

僕は名古屋で育ちましたが、幼少の頃から音楽が好きで、親もそれを感じて木琴を習わせてくれたんです。アメリカに渡って成功した木琴奏者の平岡養一の影響もあって、当時木琴はメジャーな楽器だったんですね。ただあるときオーケストラには木琴がないということに気づいてしまった。本物のオーケストラをやりたくなったんです。進学した学校にはオーケストラがなかったので、高2でチェロを始め、大学では4年間オーケストラ漬けでしたね。卒業後も音楽の道に進みたい希望もありましたが、奏者でとなると音楽大学の学生とはレベルが大きく違うんです。就職は地元名古屋の銀行に決まっていたのですが、卒業する直前に当時の日本フォノグラムで募集があって、やはり音楽の仕事をしたくて、親の反対を押し切ってレコード会社に入ったんですね。

十数人いた同期は、皆制作や宣伝を希望しましたが、僕だけあえて営業を希望しました。初任地はもう戻ってくることはないと思っていた名古屋営業所。名古屋の営業は相当厳しく、すごく鍛えられました。仕事は厳しかったけれど、時間には余裕があって、融通が利いたんですね。ある時学生時代の知り合いから地元の市民オーケストラを手伝ってほしいと言われ、急きょコンサートに出ることになりました。参加すると悪いけれどとても上手いとは言えないオーケストラで、つい口を挟んでいろいろ言ってしまったんです。そしたら「西脇の言うことはわかったから、入って指導してくれ」と。言った手前引けなくなって、そこで逆にのめり込んじゃったんですね。そうこうするうちに2年ぐらいで、相当レベルが上がったんですよ。東京から指揮者を呼んだり、練習方法も工夫して、誰でもすぐにアンサンブルができるようなメソッドも考えたりと。今となっては将来のベースが培われたのかなと思ったりしますね。

結果的に名古屋には8年いました。1980年に東京に転勤になり、念願のクラシック部に配属されて、そこでは販売促進から宣伝までありとあらゆることをやりましたね。オランダから送られてくるフィリップス・レコードの原盤を日本向けにプロデュースして売り出すのが主な仕事ですが、インターナショナルなアーティストとしてピアニストの内田光子さんのデビューや、小澤征爾さんのサイトウ・キネン・オーケストラのスタートに関わったりしました。サイトウ・キネンでは準備段階からの練習なども立ち会うことができ、この経験がその後のオーケストラの立ち上げにも随分役に立ちました。

原点となったバイロイト祝祭劇場の響き

名古屋営業所に配属になった次の年に、デア・リングの由来にもなった「ニーベルングの指環」というワーグナーの4部作がリリースされたんです。カール・ベームの指揮です。そこで一大キャンペーンをやったんですが、解説するために勉強をしないといけない。

解説をくまなく読むと、バイロイトの祝祭オーケストラ(※)は普通と違って、舞台の奥深くに潜って演奏しているのと同時に他にも特色があり、1stバイオリンと2ndバイオリンが逆に配置されているんです。これは舞台の構造上の問題なんですが、その理屈やさまざまな工夫をしながら演奏していることが分かった。当時録音を聴いて疑問に思ったのは、ものすごく鮮明な音なんだけど、バイロイトの構造からすると実際のホール空間ではこんな音はしないはずだという仮説が芽生えたんです。そのためにはバイロイトに行くしかないんですが、今から十数年前にバイロイトに初めて行ってオーケストラを聴いて、僕の仮説は正しいと確信しました。つまり録音で聴くと鮮明ですごくいい音なんだけど、録っているところが近い感じなんですよ。だけど実際にホールではね、音が地の底から湧き上がると同時に、天井から降り注ぐ響きにふわーっと包まれるんですよ。

この体験から、バイロイトで出てくる音は、私が長年求め続けていたオーケストラの一つの理想の響きじゃないかなと思ったし、普通のホールでもこれに近い響きは出せるのではないかと思ったんです。バイロイトでは舞台の下の奥深くで演奏しているから、ここでまず音が混じる。その混じった音がステージに出てから、壁や天井に反射しながら客席に届くので、どの楽器がどこにいるかまったくわからない。オーケストラの配置を工夫することで、そういう音に近づくんじゃないかと考えたんです。これが原点になりましたね。理想の音に近づけるために試行錯誤が始まりました。

※ バイロイト祝祭管弦楽団(ドイツ)は、バイロイト祝祭劇場で毎年7月から8月に行われるバイロイト音楽祭において、臨時編成されるオーケストラ。バイロイト音楽祭は、リヒャルト・ワーグナーのオペラ・楽劇だけを上演する目的で1876年に開幕した。

デア・リング東京オーケストラの特徴

デア・リング東京オーケストラのような配置に変えることは、多分今まで誰もやったことがないだろうけど、僕には過去の実験から確信がありました。それは配置を常識にとらわれないで演奏すると格段に弾きやすくなるということ。通常オーケストラは、例えば1stバイオリンの隣は1stバイオリン、まずは隣やコンサートマスターに合わせようとする。他の楽器も各トップやコンサートマスターに合わせなきゃいけないというセオリーというか思い込みがあるんですよ。

普通オーケストラは隣に同じ楽器の人がいるのでどうしても隣に影響されてしまう。だけど違う楽器の人がいれば、カルテットのように自分を信じて弾かないといけない。これがいかにオーケストラのアンサンブルの上で大事かということがわかってきた。メンバーも最初は不安だったと思いますが、逆に縛りがなくなって本当に弾きやすいと言うんです。他にもボウイング(弓の上げ下げ)も基本はそろえるのがセオリーですが、奏者の自由に任せたんです。大事なのは弓の動きをそろえることではなく音をそろえることなんです。心配したのはお客さんの反応だったんですが、これは杞憂(きゆう)でしたね。弓の動きがバラバラでも音がそろっていたら聴いている人は気にならない。逆に弓はそろっていても音が合っていなかったらすごく気になるわけです。

指揮者に向かずに、全員がホールに向いて演奏する配置をとることが多いですが、指揮者の方を向いてると、自然に指揮者に意識がいってしまって、常に指揮者の棒に支配される感じになり、全体が見えなくなるのではないかと思うんです。

最初はみんな「?」となるけれど、とにかくやってみてくれと。「周りや指揮者の棒に合わせるのではなく空間で音を合わせてください」「近くではなく遠くに、みんなで空間の奥の方に意識を向けて」とよく言いましたね。そうして出た響きは、指揮者の棒に合わせた響きとは明らかに違い、自発的で伸び伸びした演奏になってくる。

音がずれたりすると思うでしょうが、むしろずれないんです。音が合っていないと指揮者が焦って合わせようとすればするほど、また隣同士で一生懸命合わせようとするほどハレーションが起きることがあります。隣でなく遠くの空間で合わせようとすればそういうことは起こらない、ホールの空間で一体感が生まれてパーっと合うんです。常識ではありえないことを言ってるようだけど、僕はむしろこれが真理だと思うんですね。

今後について

デア・リング東京オーケストラでは毎回違うことにチャレンジし、コロナ下で演奏会を敢行したり、あえて困難な道を選択してきたここともあり、少し疲れたというか体調を崩したんです。放電ばかりだったので、少し充電しないと(笑)。それと同時に、自分でやりたかったことはほぼやれたので、これからは録り置きした膨大な録音を検証して、もう1回自分自身リセットして次に進みたい。もちろんここまでやってきたことを踏まえるわけだけど時間をおかないと見えてこないということがあるので、その上で再スタートしたい。
あと1年ぐらい構想を練ってリフレッシュして、創立時の理念でもある日本ならではの響きや音色をさらに深めることに挑戦しようかなと思っています。

西脇義訓(にしわきよしのり)さんProfile

1948年、名古屋生まれ。15歳でチェロを始め、大学で慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラに在籍。1971年、日本フォノグラム(現ユニバーサルミュージック)に入社。2001年、録音家の福井末憲氏とともに有限会社エヌ・アンド・エフを設立し、長岡京室内アンサンブル、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団、ジョセフ・リン、青木十良、宮田大などの録音・CD制作を行う。2001年ミシェル・コルボ氏の講習会で、指揮と発声法の指導を受けた。2013年、自ら「デア・リング東京オーケストラ」を創立し、プロデューサーと指揮者を務める。録音中心の活動を経て2018年に初のコンサートを開催した。2020年、第7回JASRAC音楽文化賞受賞。