2023年10月06日
【第2回JASRAC音楽文化賞受賞】木曽音楽祭実行委員会 事務局長 小林昌治さん「『小さな町のキラリと光る、さらに素敵な音楽祭』を目指して」
49回目の音楽祭を開催
第49回木曽音楽祭(2023年開催)
JASRAC音楽文化賞をいただいたのは、第41回の音楽祭(2015年)のときですね。「小さな町の素敵な音楽祭」と銘打ってやってきましたが、この音楽祭を顕彰していただき光栄です。その後も毎年続いていますが、2020年の46回目はコロナ禍で、2021年の47回目は準備していたものの、豪雨災害があって開催1週間前にやむなく中止しました。2023年の今回は49回目の開催になります。
実行委員会の事務局は木曽町の教育委員会に置いていますが、町民のボランティアスタッフが多く関わっているのが特徴です。演奏家の皆さんの朝夕の食事はボランティアの皆さんに担っていただき、皆さん一同に会して食事をとっていただいています。開催の1週間前からいわゆる合宿形式で練習をしたり、町民とも交流していただいています。このスタイルでずっと続いているのです。
選曲などは音楽ディレクターとして、クラリネットの山本正治さんとチェロの山崎伸子さんにお願いし、マネジメントは東京アーティスツさんにと、それぞれ強力なサポートをいただいています。
これまで町村合併もありましたが、担当する職員の業務も順調に引き継がれています。職員は、音楽祭前にはお揃いのポロシャツを着て執務を行い、意識高揚を図っています。
子どもから大人まで楽しめる音楽祭
開催を告げるアルプホルンの演奏
日本アルプスの中でも、とりわけ9割が森林に囲まれた木曽ですので、毎回開催の合図は木曽駒ヶ岳を背にした高原で、檜のアルプホルンの演奏で行います。開催期間中は町内の各所でホルン隊の演奏を聴くことができます。
前夜祭は伝統的に中学校の体育館で行っていますが、スタッフ総出で椅子を並べて、舞台を作り、手作りで会場設営をしています。前夜祭ではよく知られている作品を演奏していただくなど、幅広い年代の方に楽しんでいただけるよう工夫しています。実際遠方からも、毎回リピーターとして来ていただいているお客さんも多いです。
前夜祭は小中学生は無料にしています。以前ヴァイオリンの久保陽子さんが独奏でパガニーニの名曲を演奏したのを聴いたのですが、本当に身震いするくらい感動しました。それは今でも忘れられない体験です。生演奏を聴いて感動を覚える体験を子どもたちにもさせてあげたいんですよね。
50回開催に向けて
木曽文化公園文化ホール
コロナ禍を受けて、音楽による癒やしの効果やその大切さを、そして音楽の素晴らしさをあらためて認識しました。来年(2024年)は50回目の開催であり、さらにその先を見据えて節目の年となるよう、今から準備を進めています。
私の思いとしては「不易流行」。夏の木曽で伝統的な室内楽を鑑賞できる音楽祭として、ボランティアによる食事の提供と演奏家とのふれあい、こうした長年培ってきた本質を忘れずに、時代の変化とともに変えていくべき部分は柔軟に対応していきたい。来年に向け、今回から情報発信を強化して集客に繋げたり、お客様からの意見・要望に耳を傾け、例えば会場が分散して場所がわかりにくいという声にはアクセス地図をチラシに同封したり、演奏会終了後の食事場所について営業時間の延長を働きかけたりと、小さいところかもしれませんが、多世代、多方面の方に聴きにきていただけるように工夫をしています。
来年は50回記念公演ですので、小編成のオーケストラによる演奏も予定しています。
豊かな自然の中で
「ヴァイオリン木曽号」を手にする小林事務局長
木曽は木の国とも呼ばれ、特に弦楽器の材料の調達のしやすさもあって、古くからヴァイオリン工場や製作者が移住するなど、音楽祭に繋がる土壌がありました。
アメリカヴァイオリン製作者協会から「無鑑査ヴァイオリン製作家」として認定され、東洋のストラディバリとも称され、名誉町民でもある陳昌鉉(チン・チャンヒョン)さんは、若い頃当町でヴァイオリン製作に打ち込まれていました。生前、陳昌鉉さんから寄贈された「ヴァイオリン木曽号」を、昨年の48回音楽祭で演奏していただいたのも本当に感激したことの一つです。また、音楽祭の期間以外でも、中学高校の吹奏楽部員への楽器クリニックなど、演奏家の方たちに指導いただいています。いつか指導を受けた町出身の音楽家が、この音楽祭に出演してくれたら素敵ですよね。
自然豊かな木曽においでいただき、周りの環境とともに室内楽を満喫して、こころ癒やされる時間を過ごしていただきたい。「小さな町のキラリと光る、さらに素敵な音楽祭」を目指して、これからも末永く続けていくことができたらと思っています。
木曽音楽祭Profile
地元のクラシック愛好家たちが自主的に始めた定期演奏会から発展し、1975年以来、山間の町・長野県木曽町で毎年開催されている。財政難などの困難を乗り越え、1986年には「木曽音楽祭実行委員会」が発足。町・地元住民・演奏家からなる運営体制を確立した。当初は体育館を会場としていたが、1990年に木曽文化公園文化ホールが完成し、以降は同ホールにて開催している。プログラムには、演奏されることが稀な作品を中心に初演となる作品も盛り込まれることもあり、音楽的な評価も高い。また、音楽祭開催期間の木曽滞在による演奏家同士、町民との交流も、参加した演奏家から好評を得ている。このような音楽祭の運営が、40年以上にわたりボランティアによって支えられて現在に至っている。2015年第2回JASRAC音楽文化賞受賞。
音楽家が楽しめる音楽祭
木曽音楽祭 音楽ディレクター
山本正治さん <クラリネット>
この音楽祭には1982年開催の8回目から参加させていただいています。当時は現在会場になっている文化ホールはまだなくて、町の愛好家やボランティアの方々の運営で、雨が降ったらザーッと音がするような小学校の体育館での開催でした。
もともと1975年に、世界的ビオラ奏者のウイリアム・プリムローズ氏が、町の音楽愛好家と交流したのがきっかけで始まった音楽祭です。木曽には国内外の著名なバイオリン製作者が住んでいたり、クラシック音楽が育まれる土壌があったんでしょうね。音楽祭は回を追うごとに規模が大きくなっていったんですね。それでボランティアでは支えきれずに、町がバックアップしていくことで存続が決まったんです。企画・構成などはフルートの金昌国さんが行っていましたが、その後私が引き継ぎました。室内楽を演奏しますが、私は管楽器なので弦楽器のことはあまり詳しくなく、今はチェロの山崎伸子さんと話し合いながら曲目などを考えています。
例年、1、2月くらいに演奏者と演奏曲目を決めています。皆いろいろなところで活動をしていますので、一同に会すのは開催1週間前になります。現地入りしてから合宿スタイルで煮詰めていきます。選曲はちょっとマニアックな、他では聴けないような珍しい曲を選んでいます。国内ではその楽器のトップの演奏家たちですが、結構勉強して練習してくるんですよ。珍しい室内楽が演奏できるということで、他からの依頼を断ってもこの音楽祭に来てくれる演奏家もいます。現地で話し合いながら作り上げていく、そういう面白さがあるんでしょうね。本当に演奏家が楽しめる、楽しもうと来てくれるのがこの音楽祭の特徴かもしれません。
お客さんもポピュラーな曲ではないから集めにくいということもありますが、逆に珍しい室内楽が聴けるという声もあるんです。昨年改修された会場の「木曽文化公園文化ホール」も木を多く使った響きのいいホールで、室内楽を演奏するのにちょうどいいんです。
感動する生の音を
文化というのは、その国の「音楽」「美術」「文学」で成り立っているのではないでしょうか。例えばドイツ人はドイツの「音楽」「美術」「文学」を吸収することでドイツ人になる。誰でもドイツで育てばドイツ人の感覚になるはずなんです。日本の文化は日本人であることの存在意義。文化を構成する一つである「音楽」は、人間が成長する上でも非常に大事な要素です。
子どもの頃からいろいろな音楽を聴いて、その影響を受けて日本の人になる。それがやがて日本の音楽文化になり、そこにジャンルは関係ないと思います。ただ心配なのは、特に今若い人は、皆イヤホンで音楽を聴くでしょう。これだけだと一番大事なところが伝わらないような気がします。ジャズでもポップスでも演歌でも音楽は生、ライブなんです。言葉では表現できませんが、会場で生の音楽を聴くことで一体となって音楽を共有する、そこで感動が生まれる、それを感じることが大事だと思うのです。生の音楽というのは、特にクラシックの場合は、録音するために書かれている曲ではなく、すべて演奏するために書かれた曲なのでなおさらです。
クラシック作品が書かれたのは、今のように周囲に「音」がなかった時代。今はテレビを付ければ音が鳴り、商店街を歩けば演歌が流れる。昔はせいぜい馬車の音や教会の鐘の音くらいでしょう。当時の人にとって、音楽を聴くことは非常に感動する体験だったのではないかなと思うのです。その意味でも毎日山の静寂さとともに暮らしている木曽の人々は、都会の人たちよりも純粋に音を聴く喜びを知っているのかもしれません。この音楽祭も生演奏を体験できる貴重な音楽祭として、これからも続けていけたらと思っています。ぜひ皆さんに聴きに来てもらいたいですね。
山本正治さん Profile
1950年生まれ。1973年に東京藝術大学を卒業。デトモルト音楽アカデミーでJ.ミハエルス氏に師事。76年コルマー国際室内楽コンクール木管トリオ部門第2位。80年デュッセルドルフ市より"カンマ―ムジカ―"の称号。元新日本フィルハーモニー交響楽団首席奏者。東京藝術大学名誉教授、武蔵野音楽大学特任教授。