私が山木屋太鼓の活動を牽引しているのも、また、本業としてソロの太鼓奏者になったのも、2011年の東日本大震災がきっかけでした。
ここ福島県川俣町の山木屋地区は、町内でも原発事故で唯一避難指示が出された地区です。当時、私はまだ山木屋太鼓の会長ではなかったのですが、避難する中、「どうしたら山木屋太鼓を続けられるだろうか」と考えていました。先の見えない混乱した状態の中、これからどうやって生活していくかよりも、仲間と演奏を続けられなくなることに大きな不安を感じていたのです。ふるさとを離れて実感できたのは、幼いころから慣れ親しんできた山木屋の太鼓の音が、私にとって生きる支えになっていた、ということです。色々な選択肢があった中、私は迷わず帰郷しました。和太鼓が故郷と自分とを繋いでくれたと思っています。
太鼓をやっていなかったとしたら、ここまで故郷を想うことはなかった。被災して姿を変えた故郷で、変わらない故郷の姿を取り戻すには山木屋に伝わる太鼓の音を仲間と再現する、ということが私にとって自然な流れだったのです。大切なことに気づかせてくれた故郷、山木屋、そして「福島」がこれからも私たちの活動の拠点です。



