「ふるさと」のことを思いながら
阪神・淡路大震災は、1995年1月17日5時46分に起きました。今でもその時の衝撃を忘れません。教員人生で一日たりとも欠かさなかった子どもたちの「朝練」の準備が幸いしました。金管バンドの早朝練習のために早めの朝食を終え、支度するために二階に上がった2~3分後に地震が起きたのです。我が家は二階が一階に落ちてぺしゃんこになりましたので、二階に上がらなければ絶命していました。その惨禍を機に作詞・作曲したのが『しあわせ運べるように』です。今では国内だけでなく、各国の被災地で歌詞が翻訳されて歌われています。
この曲は作ろうと思って作ったわけではありません。考えて詞を書いたわけでもなく、体の奥底から言葉が湧き上がってきました。歌詞の一部に「傷ついた神戸を もとの姿にもどそう」とありますが、実はそれまで、神戸を故郷と意識することがありませんでした。無残にも街が失われたことで初めてかけがえのない存在と分かりました。歌詞の中では、再生への祈りを込めて神戸を擬人化しました。傷を癒して立ち直ってもらいたいと。
避難所と化した小学校では音楽と無縁の生活を送っていたため、授業再開後に鍵盤に触れたときは不思議な感覚でした。震災後、初めて子どもたちと歌ったのは幼稚園児向けの楽譜集にある『おはよう』(作詞:新沢としひこ、作曲:中川ひろたか)という曲です。月ごとに合唱曲を選んでいて、たまたま1月がその曲でした。「きょうも きみに あえてうれしい」と始まる歌で、私と、傍にいた同僚の教員は涙が止まりませんでした。子どもたちは教員二人がなぜ泣いているのか分からなかったと思いますが、これこそが幸せだったんだと。何でもない当たり前のようなこと、当たり前のような暮らし、そして故郷の存在を思い返しました。
恐らくは誰にでも故郷があると思います。それが不幸にも震災で失われることが国内外で絶えません。被災地で『しあわせ運べるように』が歌われるときは「神戸」の部分を「ふるさと」もしくはその場所の地名に置き換えられています。被災地の思いは一つです。もしこの歌がお役に立てるなら、故郷のことを思いながら歌ってほしいと願っています。




