まだ20代の頃、ドイツのコレギウム・アウレウム合奏団(古楽器オーケストラの草分け)の一員として、モーツァルトのクラリネット協奏曲をスペイン・バルセロナの教会で演奏していた時のことです。気が付いたんです。貧しい身なりの半裸の子どもが、講壇(聖書台)のらせん階段によじ登って聴き入っているのを。第二楽章のアダージョに入ると感極まった様子でした。泣いているのです。私の目配せで団員が互いに気づき、やがて弾きながらもらい泣きをし始め、それに驚く礼拝堂の観客たちにも伝播していって。異変に気が付かないのは、必死にソロを吹くクラリネット奏者だけ(笑)。演奏がどんどん"神がかっていく"体験をしました。ステンドガラス越しに光が射す光景の中で、理屈で測ることのできない音楽の力、一体感、浸透力を感じました。同時に音楽は、身分や人種、時代や国家をすべて取り払えるのだと信じるようになりました。
待ち遠しかった『メヌエット』
1949年、私は都内、港区の青山で産まれました。今と違ってファッションビルはなく、戦後間もないバラックのような平屋が軒を連ね、道も空も広かった(笑)。やがて千代田区に移り、九段小学校に通うようになりました。その頃です。夕日が射す校庭で、ビゼー『アルルの女』からの『メヌエット』を聴いていたのは。私も泣いていたんです。
音楽好きだった私の祖父は、近所で医院だけでなく「音楽道場」まで開いていました。そこで習った叔父が、趣味で幼い私にヴァイオリンを弾いて聴かせていたんです。SPレコードもかけてくれました。軍艦マーチや美空ひばりの流行り歌、長唄、江戸端唄、シャンソン、ジャズ...。叔父のおかげで音楽に親しめました。そんなある日、学級委員の説明会で校内に残っていると、下校時刻を知らせる『メヌエット』がチャイムの後に流れてきました。
衝撃でした。何だろう、この気持ち。甘いものを食べたり、戦車の模型を手にしたりしたときの喜びとも違う。体が震え、涙が溢れてきました。友だちと別れて校庭で独り待つようになりました。手持無沙汰で鉄棒にぶら下がったりしながらね。あのメロディーが流れてくると、感情が高ぶり、いつしか声を上げて泣くようになりました。



