Creators' View

JASRAC®一般社団法人 日本音楽著作権協会

自分の心と身体の全てをもって向き合い続ける 堤 博明

自分の心と身体の全てをもって向き合い続ける

堤 博明

音楽・ギターとの出会い

幼い頃の記憶というのは曖昧なことが多いのですが、3、4歳の時にNHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」という番組で久石譲さんの『THE INNERS~遥かなる時間の彼方へ~』を聴いた時のことは鮮明に覚えています。生命が生まれるまでの過程を解説する内容で、幼いながらに自分が今ここにいるのは、とてつもなく奇跡的なことなんだと感じ、それにぴったりとはまった音楽に感動して涙があふれてきました。その時の環境、部屋の家具の配置まではっきり覚えているほどで、大変な衝撃を受けました。自分にとっての音楽の原体験ですね。

小さな頃から音楽は好きでよく聞いていましたが、夢中になったのは中学生になってギターと出会ってからです。

当時所属していた野球部内で空前のギターブームが起きて、部室にギターを持ち込むほどのめり込みました。あまりの熱中ぶりに三者面談で先生から心配されたほどです(笑)。どちらかと言えば努力が苦手なタイプでしたが、ギターだけは夢中になって練習しましたし、練習することをつらいと思いませんでした。

ギターを始めた中学2年生頃の写真。
初めてのギターはYAMAHAのPacificaでした。

”育ての親”鈴木禎久さんの
指導

この頃からギター教室にも通うようになり、そこで講師をされていた鈴木禎久さんからご指導をいただきました。課題曲としてラリー・カールトンの『Nite Crawler』をコピーして、それをきっかけにギター表現の奥深さに目覚めました。

ギター以外にも大切なことをたくさん教わりましたね。例えばDTMをやってみた方が良いと勧めてもらったりとか。当時は今みたいにネットで調べればすぐわかる、というような状況ではなかったので、こうしたアドバイスは本当に貴重でした。また、特に心に残っているのが「今弾いている音が人生最後の音だと思え」という言葉を頂いたことです。鈴木先生に出会わなかったら今の自分はなかったと思いますし、音楽面の「育ての親」だと思って、とても深く感謝しています。

当時から「ギタリストになりたい」という思いはありましたが、17歳の時に、「第一回ギターマガジン主催・誌上ギターコンテスト」でグランプリを受賞して、より一層その思いが強まりました。高校を卒業したら進学をせずに、すぐにでもギター一本でやっていこう!東京ドームを目指そう!というやんちゃな夢を持っていましたが、家族と進路について話しあい、国立音楽大学音楽文化デザイン学科に進学することに決めました。

高校3年生の頃、旅行先にて。
どこでもギターを持って行きました。

転機となった大学進学

大学には才能あふれる人たちがたくさんいて、入学早々大変な衝撃を受けました。みんな当たり前のように絶対音感を備えていて、自分には弾けない楽器を弾きこなしていて・・・コンテストでグランプリを受賞して少し調子に乗っていた自分を戒めるいい機会となりました。

そんなスタートでしたが、様々な才能を持つ同級生からギターの腕を認めてもらえることもあり、率直にうれしかったですし「自分にはできないことがたくさんあるけれど、自分にしかできないことだってある」と自信を深めることもできました。今の事務所に所属するきっかけになった横山克さんとは大学の新入生歓迎会で知り合い、横山さんの作品にギターで参加させていただいたりしました。

それまで「劇伴」という言葉を知らなかったんです。元々バンドが好きで音楽を始めたので、歌があってギターソロがある様な音楽にずっと触れてきました。新しい世界を知ると同時に、横山さんの働き方を見ていて、そのあまりの忙しさに「自分は絶対作曲家にはなれないな」と思っていました(笑)。

国立音楽大学入学式。

作曲の世界へ

そうした中で、自分にも少しずつ作曲のお仕事をいただくようになり、実際に取り組んでみると、もしかしたらこの仕事は自分に向いているのかもしれない、と考えるようになりました。自分がギターコンテストでグランプリを受賞したときに、与えられた課題に対してどういうアプローチをして、どういう構築をして、どんな音色で楽曲を制作していくのか、そういう構成力を評価していただいたことを思い出したんです。自分自身、そうやって物事を突き詰めて構築していくことが好きな性格でもあるので、作曲家としての仕事で多くの人に喜んでもらえるかもしれない、とも考えるようになりました。それが徐々に広がって、今では作曲の仕事がメインになっています。

実家の音楽部屋
祖母が屋根裏を居室にする工事を依頼してくれました。ギターを始めた頃からこの部屋にこもって、ずっと練習や曲作りをしていました。

作曲家として、
ギタリストとして

作曲家としてギタリスト目線のアプローチをできることが、自分の強みの一つだと感じています。ギターのかっこいい部分だけでなく、ダサい部分もわかる。例えばビブラートのニュアンス一つに至るまで、ギターを弾いていない人よりもシビアにジャッジできます。

逆にギタリストとしても、楽曲の構成を理解したうえで、これまでプレイヤーとして培ってきたテクニックを発揮して、より楽曲の一部として機能するギターを弾ける。そういう相乗効果があるのかなと思います。

一方で、「作曲家としての自分」と「ギタリストとしての自分」の葛藤が常にあります。作曲の仕事には当然ですが大前提として締め切りがあり、クオリティを追求しながら効率性も確保しなければなりません。その中でギタリストとしての自分の考え方が邪魔になることがあります。

例えば、自分の曲のギター録音しているとき、作曲家としては「ここはテクニックにこだわる必要はない」と思う部分でも、実際に身体を動かしてみると「今のピッキングはちょっと・・・」とか「このスライドは納得いかない」とギタリストとしてのこだわりが出てきて、作曲そっちのけでギターの練習が始まってしまったり(笑)。同じ曲に対して、作曲家としてのゴールとギタリストとしてのゴールに違いがあり、そこはいつもせめぎ合っています。

これまでロック、プログレ、フュージョン、ジャズの演奏を中心に活動してきたので、プレイヤーとしてテクニックに偏りがちですが、楽曲の本質、表現すべきことは何なのかを見極めて、自分をコントロールするよう心がけています。ギタリストとして上手なプレイをすることが、作品にとってプラスに働くとは限りません。油断するとすぐ小難しいことをやり出してしまうので、意識してシンプルにするように心がけています。

印象に残っている
作品について

どの作品にも思い入れがありますが、アニメ「クロムクロ」は作曲家としての実力だけでなく、精神的にも大きく成長できた、一つのターニングポイントになったと思います。それまでは共作が中心でしたが、「クロムクロ」は単独で任せてもらった作品で、放送期間が2クールと長く、アニメオリジナルの作品で、ロボットによるバトルシーンが多く、その一方で人間ドラマもあり・・・と盛りだくさんな内容で、その時の自分が試されているような気がしました。

普通はメインテーマから作曲するのですが、このときはメインテーマを最後に作りました。皆さんの期待に120%応えたい、そのためには1曲でも多く経験を積んでから取り組みたい、制作中に成長していくことが必要だと感じて、そういう選択をしました。

コライト

コライト(Co-Write/1曲を複数の作家で共同制作すること)も制作期間中に自分自身が変化していくことを感じられて面白いですね。方向性のすり合わせのために、お互いの音源を聴き合うのですが「このお題に対してこういうアプローチでくるのか!」と驚いたり、刺激を受けることが多々あります。アニメ「呪術廻戦」に『呪術廻戦』という曲があって、自分がスケッチを作って、その後を共同制作者の桶狭間ありささんにお願いしたのですが、自分の引き出しには無いフレーズやアプローチの提案が出てきて衝撃を受けました。制作中は自分も負けられない、頑張らないと、という思いが常にありますね。

第一話から最終話までの設計図をどうやって作っていくか、他の作家とのコミュニケーションや共同作業の時間は確保できるか、といった難しい点もありますが、それを考慮しても大きなメリットを感じています。

最近特に活躍しているエレキギター、Shelton Electric InstrumentsのGalaxyFliteです。
「呪術廻戦」や「東京リベンジャーズ」でも多く使用しました。

岩盤浴で作曲!?

創作に行き詰まった時は、やはり身体を休めることが一番ですね。お風呂と睡眠でリフレッシュする事が大好き・・・なんですが、締め切りが迫るとなかなかそうも言っていられません。過去には岩盤浴にノートパソコンを持ち込んで作業をした、なんてこともありました(笑)。

あとは、作曲のことは完全に忘れて思いっきりギターの練習をするのもいいですね。ギターは自分の原点なので、ギターを弾いていると気持ちが落ち着き、リフレッシュできます。身体も頭も動かすことで、また新しい角度から作曲に取り組むことができます。

作品の舞台となる場所を実際に訪れてみる、というのも効果的です。アニメ「orange」の音楽を手掛けていたときは、舞台となる長野県を訪れて、主人公たちが目にした景色を見に行きました。そういう経験も含めて自分の全てを音楽に昇華できるというのも、作曲の仕事の素晴らしいところだと感じています。

砂時計でタイムアタック!

創作に欠かせないアイテムは30分の砂時計です。アニメ「クジラの子らは砂上に歌う」の制作に参加していたときに訪れた鳥取砂丘で購入しました。仕事のギアを上げるときに、この砂時計で30分のタイムアタックをしています。「さあ、お前はこれから30分でどれだけのことができるんだい?」って自分にプレッシャーをかけていますね(笑)。

タイムアタックで使用している砂時計。

初めての著作物
使用料の使い道

楽器を購入しました。マンドリン、マンドセロなどです。

今でも現役で活躍していますよ。マンドリン奏者としてオファーをいただくこともありますし、民族系の曲を作る時にはマンドリンをメインにしたりしています。

マンドリンとマンドセロです。
使用機会がかなり多く、重宝しています。

JASRACの分配について

分配の詳細なデータが手に入るようになったのはとてもうれしいですね。自分の楽曲がどこでどれだけ使われているのかがわかると、今後の創作の参考になります。それに自分の子供たちが一生懸命頑張り、育っていくのを見守るような気持ちにもなりますね。

クリエイターを目指す
皆さんへ

出会う人、出会う作品、それぞれに誠実に向き合うこと、自分の心と身体の全てをもって向き合い続けることが大切だと思っています。一度でも手を抜くと、楽な方にどんどん流されてしまい、それが癖づいてしまうと怖いなと感じます。

自分自身の音楽を追究することはもちろん大切ですが、エゴを出しすぎたり、盲目的になるよりも、視野を広く持つ方が結果として長く楽しく活動を続けて行けると思います。また、コミュニケーションを大切に、自分のことも、人のことも決めつけないで、常に柔軟でフラットな姿勢で現場にいることを心がけています。色々と自戒も込めてお話ししてしまいましたが、まずは健康あってこその充実した活動なので、お互いにしっかりと休息もとりましょう!睡眠最高です。

堤 博明

1985年 東京都生まれ。国立音楽大学音楽文化デザイン学科卒業。
14歳でギターと出会い、音楽の道を志す。高校時代に「リットーミュージック主催 第一回誌上ギター・コンテスト」にてグランプリを受賞。その後大学入学を機にギターサウンドのみにとらわれない楽曲制作に傾倒していく。多くの楽器演奏やコーラスを自身で手掛け、生演奏とトラックメイキングそれぞれを生かした色彩豊かな楽曲作りを得意とする。