山口百恵さんとのエピソード

 山口百恵さん、太田裕美さん、南野陽子さん、野口五郎さん、郷ひろみさん、西城秀樹さん・・・私は70年代から80年代のアイドル歌手の編曲を数多く手がけてきましたが、必ずと言っていいほど聞かれるのが、山口百恵さんとのエピソードです。

 当時は、どのアイドル歌手も忙しかったので、「オケ録り」に立ち会うことはほとんどなく、一度もお会いしないままの人もいますが、山口百恵さんや太田裕美さん、南野陽子さんなどは、たまにスタジオに顔を出してくれました。その後長い付き合いとなった太田裕美さんや南野陽子さんと違い、山口百恵さんはまだ私が若いうちに引退してしまったので「親しく口をきいた」という記憶はありません。と言うよりは、まだ10代なのに特別なオーラが放たれていて、私の方が緊張してしまったんですね。彼女の凛とした生き方は引退後も百恵伝説となって続いています。もし、もう一度お会いしたら、今は緊張せずに話ができる気はしています。

 百恵さんは、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童というコンビによる「横須賀ストーリー」を歌ったことで、イメージがガラリと変わったと言われています。私はその前に三木たかしさんの曲で百恵さんのアレンジを手がけていましたが、宇崎さん曲をアレンジすることになり、「横須賀ストーリー」のデモテープを聴かされて、一言で言えば、“触発"されました。もちろんロック調のアレンジをしてほしいという注文もありましたが、私が聴いたデモテープは、宇崎さん自身がギターをかき鳴らしながら歌ったものでした。その声とデモテープに宿った熱気によってインスピレーションが湧き、アレンジにも継承されました。百恵さんのボーカルも同様で、デモテープの宇崎さんの歌い方に、やはり“触発"されたのでしょう。最近は打ち込みなどで作ったデモを聴かされることも多いのですが、作曲家自身が作ったシンプルなデモが一番イメージが伝わり、好きです。

宝を共有した仲間との絆

 当時のアイドル歌手に総じて言えることは、愛される人は皆さん、作家やスタッフに対する感謝の念を持ち、「義」を知っていたということでしょう。やはり良い意味で「頭がいい」というのはあるでしょうね。賢くて心が真っすぐです。ほとんどが15〜16歳でデビューしているので、言ってみればまだ子ども。愛される歌手に育つかどうかは、育てる側の大人次第ではないでしょうか。

 アイドルであれ誰であれ、仕事として私が向き合ってきたのは「楽曲」そのものでした。詞+曲という作品だけが「まな板の上」にあり、それ以外の業界やしがらみなどは、私が関与することではないと決めていたからです。楽曲と歌手との関係はディレクターが考え、その他の事柄は会社が考えます。結果としてヒット作となれば、それが作家、歌手、そしてアレンジャー、皆の宝となります。やりがい、達成感、それが一番のご褒美ですね。

 先日、阿木燿子さんとお会いすることがあって、「お互いほとんど会ったことはないのに、すごく深いつながりを感じるわね」と言っていただきました。また、ある歌手のライブを観に行ったら、会場には以前に楽曲制作をともにした細野晴臣さんや松本隆さんも来ていて、久しぶりだけど「おお、元気?」などと声をかけて。楽曲という宝を共有した方たちとは、普段からつながりがあるわけではないけれど、お互いのことを思い合っているような不思議な絆みたいなものを感じますね。

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