私は、昭和33年にJASRACに入会しました。33歳のときです。昭和31年に音楽を担当した映画がテレビで放映されたんですね。そのときにJASRACのメンバーになりませんかというお話を電話でいただいたんです。郵送で書類をJASRACに送ると、ある作曲家の役員の方が、会員になることを私に勧めてくれました。その当時は映画を何本もやっていましたし、会員でも会費がありませんでしたからね。今は映画の使用料はそんなに入ってきませんが、ケーブルテレビで昔の映画が放送されると、思わぬところから使用料が入ってくることがありますよ。JASRACがしっかりしていることは確かです。
昔、アメリカの音楽出版社の方とお話をしたことがあって、アメリカでは著作権管理団体よりも出版社が力を持っているので、出版社に頼まないと使用料が入ってこないということを聞いたことがあります。ハワイで「人造人間キカイダー」が大ヒットしましたが、そのときには実際、ほとんど使用料が入ってきませんでした。しばらくして、ハワイでイベントをやっている事務所の日系人の社長が、「CHUMEI WATANABEに使用料を払おうとしたけど、アメリカの著作権管理団体は知らないと言って受け付けてくれない」と言っていたことがあります。「そんなことはないでしょ」と言ったんですけど、結局は、ハワイに出版社がなかったためか、アメリカからの入金はありませんでした。
しかしながら、国内や海外で「CHUMEI WATANABE」を知ってもらえるようになったのは、アニメで画面に名前が大きく出ていたからだと思います。他のジャンルの作詞家・作曲家も黒柳徹子さんが司会をしていた「ザ・ベストテン」のような音楽番組で作詞者・作曲者の氏名を大きな文字で出していたので知名度が上がったように感じています。今はテレビを見ていても、歌手が中心で、作詞者・作曲者の名前が出ないこともあります。アニメやドラマでも録画して再生中に止めないと分からないくらいにエンディングクレジットが流れていってしまう。あれは残念だなあと思います。スタッフも多いので致し方ないのかもしれないですが、国内や海外でアニメなどが放送されたことで、私の名前が知られ、作品を聴いてもらえるようになったので、将来作家を目指す方たちのためにも音楽重視で前面に出してもらえるといいなと思っています。