作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
岩里祐穂 Yuho Iwasato

プロフィール
新潟県新潟市出身。“いわさきゆうこ”の名でシンガーソングライターとして活動の後、1983年に“岩里祐穂”にペンネームを改め、堀ちえみ『さよならの物語』にて作詞家デビュー。以降、今井美樹、坂本真綾、ももいろクローバーZ、中川翔子など、数多くのアーティストに作品を提供するほか、アニメや戦隊シリーズのテーマ曲を手掛けるなど、幅広い分野で活躍。
また、エッセイストとして、『いいかげんに片づけて美しく暮らす』『おそうじ、料理がニガテでも、家事がもっと好きになる』など、ライフスタイルについての著書を出版している。
1983年1月からJASRACメンバー。
2009年『創聖のアクエリオン』でJASRAC賞銀賞受賞。
 
<主な作品>
■今井美樹
『瞳がほほえむから』『雨にキッスの花束を』『半袖』『PIECE OF MY WISH』『Miss You』
■中山美穂
『幸せになるために』
■アン・ルイス
『夜に傷ついて』
■坂本真綾
『プラチナ』『ヘミソフィア』『幸せについて私が知っている5つの方法』
■新垣結衣
『うつし絵』
■中川翔子
『さかさま世界』『9lives』『ドリドリ』
■AKINO
『創聖のアクエリオン』
■Buono!
『ホントのじぶん』『恋愛ライダー』『ロッタラ ロッタラ』
■傳田真央
『Bitter Sweet』
■ももいろクローバーZ
『サラバ、愛しき悲しみたちよ』『夢の浮世に咲いてみな』『月と銀紙飛行船』
■Sexy Zone
『君にHITOMEBORE』
■布袋寅泰
『Come Rain Come Shine』『Dream Again』
■May.J
『つかのまの虹でも』
■花澤香菜
『恋する惑星』『ほほ笑みモード』
他多数

[主なアニメ、特撮番組]
『魔法戦隊マジレンジャー』OP、ED
『轟轟戦隊ボウケンジャー』OP、ED
『海賊戦隊ゴーカイジャー』OP
『マクロスF』ED、挿入歌
『カウボーイビバップ』ED
他多数
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ひたむきに夢を追った学生時代
幼い頃は、姉の影響でピアノを習っていましたが、譜面を見るのが面倒で、ただ弾いて楽しんでいるような子どもでした。それより、姉が練習している脇で踊ったりして、母に心配されるような(笑)、活発な子どもでした。
高校生の頃にはユーミン(松任谷由実さん)がデビューしたこともあって、シンガーソングライターに憧れ、私も友達と二人でグループを組んで歌を歌ったりしていました。友達が詞と曲を書いて、私はただ歌うだけ。言葉には興味があったし、曲を書きたいという意欲もあったのですが、なかなか書けなかったですね。
音楽の仕事をしたい、デビューしたいという気持ちがとても強かったので、「大学に入学する」という大義名分のもと、新潟から上京して音楽を続けていたのですが、なぜか大学2年生の時に突然曲が書けたんですよ。今聴いたら笑ってしまうようなものだけど、「書けた!」と思うものができたんです。そこまで、溜めていたのかもしれないですね。
東京に来てからは、デビューするためにどうしたらよいかと考えて、ひたすら色々なコンテストに応募しました。ヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)とかビクターのオリジナルソングコンテストとか。色々な曲を何度も応募したのですが、いつも2回戦くらいで落選していました。でも、そんななか、落選したにもかかわらず、「この子ちょっといいかな」って思ってくださったレコード会社の方がいて、それがシンガーソングライターとしてのデビューのきっかけになりました。
「シンガーソングライター」から「作詞家」へ
デビューすることが決まったのが大学4年生の時で、卒論を書きながらレコーディングをして、卒業後すぐにデビューしました。でも、デビューした途端に決着がついたんです、私には向いていないと。レコーディングは本当に楽しかったのに、写真を撮られたりといった音楽以外のことが一切嫌いなんだということに気づいて、そこからはもう早いですよ、「あ、もう辞めます」みたいな感じで。自分の中で、裏方の方が良いなと悟りましたね。
当初は、シンガーソングライター時代に使っていた“いわさきゆうこ”の名前で、詞と曲の両方を麻倉未稀さんや芹洋子さんに書かせていただいたりしましたが、詞を書く方が向いていると思って、「それじゃ、作詞家になろう」と名前を“岩里祐穂”に変えました。詞だけを採ってもらうことはなかなか難しかったのですが、シンガーソングライター時代にお世話になった方が、「ちえみちゃんに書いてみない?」と言ってくださって、それが堀ちえみさんに『さよならの物語』を提供するきっかけになりました。JASRACのメンバーになったのは、ちょうどその頃でした。
作詞家になるまでに回り道したけれど、何ひとつ無駄ではなかったなって思います。シンガーソングライターになっていなければ、ここにはいないのかもしれないし。回り道したことも良かったんじゃないかと思っています。
自分らしく作詞と向き合う
堀ちえみさんに書かせていただいていた80年代はアイドル全盛期で、キャッチーなサビが受ける時代だったのですが、そこに私はあまりはまらなかったんです。もちろん、いただいたお仕事には一生懸命取り組みましたが、なかなかシングルにはなりませんでした。
その頃、同い年でシンガーソングライターの上田知華さんとの出会いがあって、一緒に書いてみようかという話になりました。「じゃあ、誰に歌ってもらおうかしら?」と考えていたときに、ちょうどCMに出ていた今井美樹さんがとても魅力的で。ふたりで「黄色いTV」という作品をつくり、今井さんのところにもって行きました。それまでは、依頼を受けて詞を書くというスタイルだったのですが、自分の中で書きたいものを書くという作業がとても大切だと思い、自らプレゼンしたんです。そしたら喜んでくださって。それまで、キャッチーなものを求められてうまく表現できなかった私が、今井さんというアーティストを前にして、そういった呪縛から解き放たれたような感じがしました。強い言葉で表現するのではなく、もっと内面から掘り下げた詞を書くことができたんです。お世話になっていたディレクターの方に、今井さんに歌ってもらえることを報告したら、「自分の世界が確立する第一歩かもしれないよ。これかなって思えるまでは、色々なジャンルの作品をやらない方がいいんじゃないかな。」とアドバイスをいただきました。その頃は自分の世界をつくるということをとても意識していましたね。

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