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作詞をするときは、時間を決めて、その中で集中するところと緩めるところとを使い分けています。集中力って20分程度しか持たないから、集中して書いたら、次は掃除したりテレビを見たり、意識を別の方向に向ける。それでまた集中する。この使い分けはうまいのかなと思います。スランプというのは経験したことがありません。スランプになるほどたいした作詞家じゃないんです(笑)。
歌になって世に出た歌詞には、思い入れは持っていません。いい詞を書けたのにボツにされたとか、歌える歌手がいなかったとか、そういう詞の方に思い入れがあります。それは、自分で持っているときは「詞」で、歌として世に出たらそれは「歌」で、歌は歌手のものという考えだからです。世に出た歌は、作詞家、作曲家、アレンジャー、歌手、エンジニアなど、いろいろな人たちのチームワークによる仕事の結果です。詞を100の力で書けたと思っていても、曲が30だったり歌が50だったりすると、自分にとっては納得のいかないものになる。だから、「詞だけ気に入っている」ということはありません。でも、作詞の仕事が面白いなと思うのは、そういう、チームワークゆえに一人の力ではどうにもならない部分があるところ。「なんでこんな歌わせ方するの」って歯がゆい思いをする、そういうところが面白いんです。 |
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私は一度も“私らしい詞”を書きたいと思ったことがありません。職業作家に私らしさなんていらない、徹底してそう思ってきました。ここからここまで全部受けられますよ、というのが職業作家で、その上で「及川眠子らしさ」があるなら、それは他人が決めること。女性の作詞家にはアーティスティックな方が多いらしいですが、私はきわめて職人、きわめてビジネスライク。商人(あきんど)です。
音楽の趣味は、わりとマニアックです。歌詞がいいなと思うのはムーンライダーズ、レナード・コーエン。好きなバンドはアメリカのザ・バンドやドゥービー・ブラザーズ、ソロでは下田逸郎さんとか。もともと持っているものはマニアックだけど、作家としては商人だから求められるものを書く。その自分のマニアックさと商人さとがうまく融合したのが『残酷な天使のテーゼ』だと思います。あの詞、マニアックですよ。アニメのディレクターに、難しく書いてと依頼されて、「私マニアックですから本当に難しくしますよ」「いいですよ」で、あれに(笑)。 |
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職業作家が減っているのは、職業ディレクターが減っているからでしょう。作家を育てるのはディレクター。そのディレクターが現場を仕切ることが少なくなって、作詞や作曲もアーティスト自身がするようになって、「え、この詞?」っていうようなものが売れちゃったりする。職業作家が育たないのは当然です。もちろん、言葉の使い方がうまいなと思うアーティストはたくさんいます。ただ、アーティストは彼ら自身の世界を表現する人たち。多種多様なもの、たとえばアニメやミュージカルなど、職業作家でなければ書けないもの、できない表現があると思います。多様なものを表現できる、そうでなければ仕事にならないのが職業作家です。 |
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作詞家になりたいなら、あきらめないこと、書き続けること。そうしながら、光の当たる場所に行くには、ポイントを間違えずに売り込むこと。私のところに売り込みに来る人がいますが、同業者に売り込んでもだめ。仕事があるところにチャンスがあるんだから、コンペでも何でも、仕事があるところを探して、売り込む。あきらめず、書き続け、売り込む。それでもし才能なり資質があれば、絶対にプロになれます。これは作曲家でも同じ。この方程式を間違えないことです。
才能や資質は、ひらめきや感性だけではないでしょう。たとえば社会性、理解力、経験、あるいは執着心だったり容姿や話し方だったり、そういった要素も必要になります。私は、若い頃は自分を天才だと思っていましたが、もまれてやっていくうちに普通だと気づいて、それなら締め切りに遅れないようにする、そうやって資質の足らない部分を補ってきました。
今後の仕事のスタンスは、「基本的に何でもやる」。先日初めて文庫本の解説を書きましたが、楽しかったです。エッセイの依頼もたまにあって、これも楽しい。昔コピーライターをやっていたこともあって、コピーを書くこともあります。今は、歌の仕事は以前ほどにはありません。ボツにしたら悪いなどと思って、頼みにくいようで。でも歌以外の仕事では新人なので、新人として新鮮に楽しめる。歌以外のことをやるから、たまに歌の仕事が来ると、今度は歌の仕事が新鮮に感じられて、もっと楽しめるんです。 |