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音楽が好きになったのは中学生のとき。筒美京平さんに代表される歌謡曲全盛の時代から、吉田拓郎さんや泉谷しげるさんなど、それまでと違う人たちが出てきた頃でした。最初にいいなと思ったのがキャロル・キングでしたが、そのあとにユーミン(当時は荒井由実)を聴いたら、キャロル・キングと共通するものがあると思ったんです。それで、ユーミンの歌詞を読んでみたら、生意気ですが「歌の詞というのは、こうやって書けばいいんだ」と感じるものがあって。歌謡曲とも、拓郎さんや泉谷さんとも違う、想像力が強い感じ。「想像でものを書いてもいいんだ」と気づいたのが作詞に興味を持ったきっかけです。歌詞は形に縛りがあって、その縛りの中で何かを表現するというのも面白いと思いました。のちに作詞家デビューのきっかけとなった「三菱ミニカ・マスコットソングコンテスト」の審査委員長がユーミン(この時は松任谷由実)だったことを考えると、結果的に作詞家になる二つの大きなきっかけがユーミンになるのかな。ユーミンの影響が強いねと言われたことはありませんが…。 |
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高校生の頃に一時期、シンガーソングライターに憧れたんですが、ギターのFコードがどうしても弾けなくて作曲を断念。歌もうまくなくて、それなら作詞でいこうと。すんなりとそう思えたのは、やっぱり音楽が好きだったし、「歌というのは詞だ」という気持ちがあったから。文章を書くのが得意だったかといえば、作文や詩の評価はことごとく悪かったですよ。むしろ、国語の成績が良かった中学の同級生が今、雑誌の編集長をやっていたりするので、そういう人は書く人をまとめる方に向いているのかもしれませんね。
作詞はまったくの独学です。最初はとにかくいろんな人の真似をしながらたくさん書いて、友達に見せたりしていましたが、20歳を過ぎた頃から少しステップアップして、アマチュアバンドに歌詞を提供するようになりました。その間に就職して会社勤めもしていましたが、3ヵ月くらいで飽きちゃうんです。決められた時間、決められた場所に毎日きちんと通うのが苦痛で。それで12回も転職してしまいました。今、作詞家を続けられているのは、会う人、会う場所、会う時間が毎回違うから。緊張感が保たれて遅刻しない(笑)。だから天職ですね。
ちなみに、プロになる前の詞は、ほぼ全部処分しました。こんな恥ずかしいものを残して死ねません(笑)。練習やプロセスを見られるのは恥ずかしい。プロになってからも、下書きは全部処分。自分の中でOKを出して、ディレクターなどに見せたあとは、手直しされても構わないのですが、自分がOKを出す前のものは、見られたくないんです。 |
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車のPRソングの歌詞を募集する「三菱ミニカ・マスコットソングコンテスト」に応募し、最優秀賞を取ったのが1985年。コンテストに応募するのは初めてでした。ただ、このデビュー作『パッシング・スルー』は秋元康さんが補作詞をしているので、自分だけの力でデビューしたのはその8ヵ月後、「ポピンズ」という女性二人組のアルバムのために書いたときです。
デビューして3年目で、Winkの『愛が止まらない〜Turn It Into Love〜』が売れたのですが、売れるまで長かったという思いはありません。むしろ一番いい感じで行けたと思います。というのは、ほぼアマチュアでストックがない状態で急に売れちゃうと、あとが続かない。私は3年の間に、軽くあしらわれて嫌な思いもし、売れないゆえの悩みも経験し、それでも書かないといけないからコツコツ書いて、ストックもできた。それに無名の新人だから「今からスタジオに行って書け」みたいな無茶を言われたりして、鍛えられました。売れたら今度は、職業作家が減ってきていたのもあって、若手に仕事がどっとくる。それでだめになっちゃう人もいるんですが、だめにならずにやってこられたのは、自分の中に蓄積があったからだと思います。 |
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『愛が止まらない』は、当時フジパシフィック音楽出版という音楽出版社に所属していて、そこで初めて受けた仕事でした。プロデューサーが別の作詞家に依頼したところ、その人が忙しくて、新人の私に回ってきたんです。実はエヴァンゲリオンも、別の作詞家に決まっていたのが、私のマネージャーがディレクターの前を通りかかった縁で「じゃあ及川さんに頼もう」となったのがきっかけ(笑)。
『愛が止まらない』のヒットで仕事は増えましたが、アイドルで売れたからアイドルの仕事ばっかり。アイドルの曲ばかり書きたかったわけじゃないんだけど…とそのときは戸惑いましたね。やしきたかじんの『東京』で売れると、今度はムード歌謡ばっかり。エヴァンゲリオンで売れたらアニメばっかり。で、その次に、TinaやRie ScrAmbleなどのアーティスト系でちょっと売れたら、周りから「あれ?この人は何でもできるのかな」と思われて、それからは仕事のジャンルが偏らなくなりました。
仕事の幅が広がったのは、器用だったからではなくて、まず「できます」と言って、自分を追い込むしかないと思ったから。やっちゃえばできるんじゃないかと。経験のない舞台構成の仕事が来ても「得意です」と答えておいて、でも実際は「上手(かみて)ってどっち?」という状態だから「得意だって言ったじゃないの」って言われることになるんですが(笑)、一回やれば覚えられる。やりながら覚えるタイプです。 |