音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第14回 Carlos K.

Profile

ブラジル出身の日系2世。6歳で日本に帰国、13歳から作曲を始め、20歳を機に再度ブラジルに単独渡航、約1年間の現地生活と音楽活動を経て拠点を日本に戻す。
帰国後、R&BやHIPHOPのトラックを主軸に、企業向けのCMの企画・制作を開始。
2010年の遊助『今日の花』、2011年の板野友美『Dear J』がヒットを記録し、一躍トップクリエイターに。2015年、オリコン年間ランキング作曲家部門1位を記録。2016年、作編曲を手がけた西野カナ『あなたの好きなところ』が「日本レコード大賞」を受賞。
近年では多数のメジャーアーティスト、テレビCM、アニメ、映画などの音楽を制作している他、講師または現場にて即作曲の実演が可能なゲストとして、講演会やイベント、テレビやラジオへの出演も増えている、今、エンターテインメント業界で注目の若手音楽プロデューサー。

■Carlos K. official web site
https://www.carlosk.info/

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Vol.1 楽器に囲まれた幼少時代から自然と曲作りへ

まずは音楽に引かれたきっかけからお聞かせください。

Carlos:自宅に楽器がたくさんあったんです。ウッドベースにバイオリン、サックス、トランペット、それからドラム、エレキベースにエレキギター、ピアノはもちろん、ボンゴやコンガ、他にはブラジルの民族楽器まで…だから、物心ついたときには楽器で遊んでいましたし、自然と音楽を好きになっていました。

それだけの楽器が自宅にあったということは、音楽の英才教育を受けていたのでしょうか?

Carlos:いえ、そういうわけではありません。決して裕福な家庭ではありませんでしたし、日本に帰国したあとの自宅も父が手作りしたぐらいですから。

自宅を手作りで?

Carlos:廃校になった学校から資材をもらってきたりして作っていました。同じように楽器もいろんなところから譲ってもらって集めていたようで、さまざまな楽器があふれていました。今でも実家に家族全員がそろうと大演奏会が始まります。父がギター、母がチャランゴ(南米の民族楽器)、妹がベースで弟がドラム、僕はピアノを担当しています。

どういう音楽を好んで聴いていましたか?

Carlos:洋楽好きな両親の影響もあって、ボブ・ディラン、ビートルズ、スティーヴィー・ワンダー、あとはジャズ全般を聴いていました。邦楽では尾崎豊さんと徳永英明さん。母がこのお二人が大好きで、いつも車の中で曲をかけていましたので。ブラジルで暮らしていたこともあるので、ボサノヴァだったり、ブラジルの音楽ももちろん聴きました。

曲作りはいつ頃から始めたのでしょうか?

Carlos:10代の初め頃ですね。母のピアノ指導がきっかけでした。当時、僕はそんなにピアノが上手ではなかったので、度々ミスをしてしまい、その都度母から厳しく叱られていたんです。それが怖くて嫌で(笑)。

ある時、楽譜を見ながら演奏するから集中できないんだということに気づいて、あらかじめメロディを覚え、楽譜は読むふりをして演奏に集中するようにしました。すると演奏だけでなく「耳コピ」も上達して、一度聴けば大体の曲は弾けるようになってきました。

そうなると今度は「誰かの曲を演奏するよりは自分で曲を作った方が面白いんじゃないか」と思うようになりました。

13歳の頃、シンセサイザーの簡易的な録音機能を駆使して手探りで多重録音のようなことを始めて、完成したトラックを流しながら歌を入れてテープに録音するようになったんです。

そのころからプロを目指していたのですか?

Carlos:そうですね。初めは自分が作りたいものを作れることが純粋に楽しかったのですが、次第に好きなこと、得意なことで生活できたらと考えるようになりました。絵と音楽が得意なことは自覚していたので、そのどちらかでプロになりたいと思っていました。特に音楽については自分でも手応えを感じていましたし、きっとやっていけるんじゃないかと。加古隆さんや久石譲さんのような映画音楽的なものを作ってみたり、昔から女性ボーカルの曲が好きだったので、同級生の女の子に歌ってもらってデモテープを作り、レコード会社に送ったりしていました。

でも高校に入学すると作曲よりも恋愛に夢中になってしまって(笑)一目ぼれした女の子と同じ部活に入って恋とスポーツに打ち込みました。

何部に入部したのですか?

Carlos:全くの未経験でしたが柔道部に。そこで一番強くなったらきっと彼女と付き合えるんじゃないかと思いまして。結果、部内で一番強くなりましたし、彼女とも付き合いました(笑)。一応、ドラムとキーボードとしてバンドもやっていましたが、その時は大して力を入れていませんでした。

その後は大学へ進学されたんですね?

Carlos:最初は音楽の専門学校に進もうと思っていましたが、高校の先生から「音楽で食っていけるわけがない。世間はそんなに甘くない」と強く反対されたこともあり、将来について考え直し、猛烈に勉強して大学に進みました。

それからどうやってまた音楽に打ち込むようになったのでしょうか?

Carlos:明確な目標を持って進学したわけではなかったので、大学3年生の時に、本当に自分がやりたいことは何なのだろうと思い悩んでしまったんです。そこでブラジルに渡って1年間ほど生活してみたのですが、そこでの体験が転機になりました。

現地の人たちと一緒に、住み込みでマテ茶工場で働いていたのですが、同僚が偶然にも音楽をやっていたんです。彼らは楽器を演奏して、カセットテープに録音してレコード会社へ送って、と自分の中学時代と全く同じことをしていました。

そこで僕もピアノで加わって、みんなでオリジナル曲を作り始めるんです。貧しくても、夢を持って音楽をやっている姿を見て、原点に立ち返ることができました。同時に、日本であんなに恵まれた環境にいたのに、自分はまだ何の挑戦もしていないと痛感しました。志半ばだったなと。

そしてブラジルから戻るとすぐにデモテープ作りを始めました。22歳か23歳の頃でしたが、この時には音楽で生活していくためにはどうすればよいか真剣に考え、毎日、食事・睡眠・入浴の時間以外はひたすら曲を作り続けました。年間200曲は作っていたと思います。

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