作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
溝口 肇 Hajime Mizoguchi

プロフィール
1960年東京生まれ。3歳からピアノ、11歳からチェロを始める。東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒業後、スタジオミュージシャンとして活動。自動車事故によるムチウチ症の苦しみから「眠るための音楽」をつくり始め、1986年、自らのチェロ演奏によるオリジナルアルバム『ハーフインチデザート』でデビュー。以降、オリジナルアルバム、カバーアルバムを多数発表。ヴィンテージ真空管マイクでレコーディングするなど、こだわりのサウンドを提供している。テレビ朝日系『世界の車窓から』などドラマ・映像作品の音楽も手掛ける。また、テレビ出演、ラジオDJ、執筆など、音楽にとどまらず幅広く活動している。
1992年10月からJASRACメンバー。
[公式サイト]
http://archcello.com/
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プレゼント
アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で、朗読と音楽によるショート・ラブ・ストーリー集「恋する日本語」(CD)、または、音楽・旅・車などを通じて溝口さんが大切にしている想いを綴った「大人の上質」(書籍)を差し上げます。直筆サイン入りです!

※アンケートは終了しました。
たくさんのご応募ありがとうございました。


恋する日本語」(CD) 3名様
徳間ジャパンコミュニケーションズ<TKCA-73897>
大人の上質」(書籍) 2名様
マイナビ新書<ISBN978-4-8399-4398-1>
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「眠るための音楽」から作曲を開始
24歳のときです。運転していて前の車にぶつけてしまいました。車はほとんど傷つかず、自分だけムチウチです。医者に行っても、頭痛や吐き気がひどくなっていきました。昼間、動いているときは気が紛れましたが、夜になって布団に入ると具合が悪くなって眠れない。睡眠不足で鬱々としていました。見かねて上田知華さんが紹介してくれたのがカイロプラクティックの先生で、治療してもらったその日に熟睡です。1年ほど通いました。
治療を受けながら、「どうせなら気持ち良い音楽を聴きたいな」と考え、携帯できるアンプ付きのスピーカーを作り、治療に持って行きました。ものを作るのが好きなんです。次は流す音楽。もちろんリラックスできるものが良かった。クラシック音楽だと、学生時代の名残で勉強モードになるので緊張します。僕が望んでいたものは、環境音楽みたいな音楽でした。今でこそ同様な音楽も普及しましたが、私は自分でシンセサイザーを使って作曲をし、多重録音をしました。必要な音楽が欲しかったことが、作曲のきっかけとなりました。まだコンピューターが普及していませんから、4チャンネルのカセットテープに20分の曲なら20分を4回演奏して録音をする。その繰り返しでした。
自分が治療してもらっている間、自作の音楽を流すようになると、先生が「これいいから、テープを置いていけ。ほかの患者さんのときにも流すから」と。業界の人が多く通っている病院で、先生が営業トークをしてくれました。「シンセサイザーだけじゃ弱いね。チェロをやっているなら、これにメロディーを乗せてみれば」とソニーのプロデューサーにアドバイスいただいてソロアルバムの原型が完成し、「眠るための音楽」というキャッチフレーズでデビューすることになりました。
「“FOR SLEEPLESS NIGHT” PROJECT」〜震災被災者に向けた「眠るための音楽」
2011年に東日本大震災があって、「“FOR SLEEPLESS NIGHT” PROJECT」を始めました。被災者の方をはじめ眠れない人に「眠るための音楽」を提供しようというプロジェクトです。僕自身、地震酔いが続いて、よく眠れない日々が続いていたので、デビュー当時の初心に戻ってみようと思ったのがきっかけです。
震災後の5月、被災者を励ますため、気仙沼に行ってチェロを演奏しました。でも、被災後間もなかったので、演奏するよりも泥を掻いたり、がれきの片付けをすべきではないかと思ったのです。自分は手を痛めるのが怖くてできず、歯がゆい思いをしました。僕と同じように「なにかしたいけど、自分に一体何ができるんだろう」と思っている音楽家がたくさんいるのではないか。デビューのころは「眠るための音楽」を一人でつくりましたが、今回はFacebookでミュージシャンに呼びかけました。ラジオで一緒に仕事をしたパーソナリティや放送作家にも協力していただき、大人が聴ける物語の朗読なども入れました。もう2年前のことになりますが、ブラッシュアップして近日中にCDにまとめる予定です。
30年後のデュオ
先日、八神純子さんとテレビ番組でご一緒しました。八神さんは結婚後、海外で過ごされていたので、歌手活動を休まれていたのですが、東日本大震災の被災地支援を機に本格的に復帰されました。学生のころ、ツアーコンサートに同行させていただいて以来30年ぶりの再会です。当時、八神さんは雲の上の存在。ステージの一番後ろで八神さんの背中を見ながら「いつかあそこに立ちたい」と思っていました。それが、今回は八神さんのピアノ弾き語りとのデュオです。ツーショットの画面を見て本当に幸せでした。でも、ここまで来るのに30年かかりましたね。

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