作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー JASRAC
vol8 後藤次利
Interview 1/2

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PRESENT
こちらで実施しているアンケートにお答えいただいた方の中から、抽選で3名様に後藤次利・松本孝弘プロデュースによる山木秀夫「Q」をプレゼントいたします。応募締切日:2003年7月31日
(プレゼントの応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございます。)


CD RELEASE
【CDリリース情報】
2003年秋、18年ぶりとなるソロ・アルバムをリリース予定。
「前略 道の上より」(一世風靡セピア)のセルフカバー、NTV系「今日の出来事」
テーマ曲のロング・ヴァージョン等を収録し、作曲はもちろんベース以外の楽器も全て一人でプレイ。
PROFILE
1952年2月5日、東京生まれ。1975年、“サディスティック・ミカバンド”に参加。
1976年、高中正義氏、高橋幸宏氏と“サディスティックス”を結成。1979年、沢田研二「TOKIO」でレコード大賞編曲賞を受賞。1980年代以降、シブがき隊、一世風靡セピアなどの作曲活動を本格化。1986年には“おニャン子クラブ”関連アーティストを手掛け、作曲家、編曲家部門で売上一位となる。1987年、工藤静香デビューシングル「禁断のテレパシー」から1993年まで全シングル、アルバムの作・編曲を手掛ける。1988年からは3年連続、作曲家部門の売上一位。1991年から1998年にかけて、とんねるず、吉川晃司、スキャットマン・ジョン、大友康平などの作・編曲のほか、日本テレビ系「NNN 今日の出来事」BGMをプロデュース。1999年以降、“野猿”のシングル、アルバムの作・編曲(プロデュース&ベースプレイ)、インターネットドラマ「肉まん」、WOWOW「多重人格探偵サイコ」のサウンド・トラック、NHK BS2「おーいニッポンのうた」シリーズなど幅広い分野で活躍。2003年秋、18年振りのソロ・アルバムをリリース予定。


【代表曲】
「トラ!トラ!トラ!」(シブがき隊)、「前略 道の上より」(一世風靡セピア)、「ガラガラヘビがやってくる」、「情けねぇ」(とんねるず)、「涙の茉莉花LOVE」(河合その子)、「バナナの涙」(うしろゆびさされ組)、「MUGO・ん…色っぽい」、「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」、「慟哭」(工藤静香)、「ポケベルが鳴らなくて」(国武万里)、「BE COOL!」、「CHICKEN GUYS」(野猿)他多数




Feel the Music
スタジオ・ミュージシャン、バンドでのベース・プレイがプロとしての原点
僕は、二十歳過ぎからスタジオ・ミュージシャン、“サディスティックス”など色んなバンドでベース・プレイヤーとして音楽活動を始めました。
楽器を始めたのはベンチャーズなど"エレキ・ブーム"の頃に、楽器を持ったミュージシャンの姿が格好よく見えたのがきっかけですね。僕は、昔から曲のタイトルやバンドの名前を覚えないタイプなので、曲をコピーする時も完コピじゃなくて、"雰囲気だけコピー"みたいな感じ(笑)で練習していました。

プレイヤーとしての感覚では、演奏って早弾きができるから“No.1”という訳じゃなくて、微妙にリズムとずれていてもその人の味や個性がうまく表現できていれば、良い演奏と言えます。一方、スポーツの世界だったら、走るスピードや打率で厳密に評価されてしまうから、味のある走り方をしていても、足が遅かったらトップレベルの選手にはなれないですよね(笑)。

だから、他人のすごい演奏を聴いても「絶対、かなわない!」ってあきらめないで、自分なりのスタイルを確立できれば、何とか勝負のフィールドに立てるんじゃないかと思います。

スタジオ・ミュージシャンの時は、3−4時間で6曲以上をまとめて録音していましたが、最初の頃は譜面が読めなかったので、追い返された時もありますよ(笑)。スタジオに入ったら、初めて会うミュージシャンと「せーの!」で音を出すので、イメージと違うサウンドになってしまった場合に、どうやってコミュニケーションを取って軌道修正していくかは難しかったですね。今は、シンセや機材が当たり前で、ボタン一つでキーを簡単に変えられますから、100%生音の時代に比べて人を介さなくなってきて精神的な意味での負担は軽くなったと思います。
一人のアーティストを連続して手掛ける場合には、曲ごとに雰囲気をガラっと変えると節操がないし、ずっと似たようなサウンドだとマンネリになってしまう
工藤静香・BEST
工藤静香
「MY これ!クション 工藤静香BEST」(PONY CANYON)
「MUGO・ん…色っぽい」、「恋一夜」、「慟哭」
「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」他全16曲収録
野猿「撤収」
野猿
「撤収」
(C)2001 AVEX INC. 
1970年代後半からアレンジの仕事(沢田研二「TOKIO」、南佳孝「スローなブギにしてくれ」など)が増えてきて、作曲活動を本格化したのは、80年代に入ってからです。

今でも印象深いのは、柳葉敏郎君や哀川翔君が在籍した“一世風靡セピア”との仕事です。彼らのデビュー前に原宿の歩行者天国にパフォーマンスを見に行ってから、打ち合わせを繰り返して共同作業で作品を作りあげていったので楽しく仕事をすることができました。今年秋に出る予定の僕のソロ・アルバムでは、彼らのデビュー曲「前略 道の上より」をセルフカバーしましたが、個人的にも思い入れのある曲です。

その後手掛けた“おニャン子クラブ”や“野猿”も最初は素人でしたけど、完成されたアーティストと素人からスタートしたタレントで作り方の方法論を変えるのではなく、歌い手が楽しくパフォーマンスできる作品を仕上げることが大事だと思ってます。サウンド作りでは、歌い手に一番似合う服を着せることを第一に考えるので、スタジオに入ってウタ入れの時に「合わない」と感じたら、メロディを全部作り変えてしまう事もあります。

一人のアーティストを連続して手掛けたケースとして、工藤静香さんはシングル曲を20作品位書いたので、曲ごとに雰囲気をガラッと変えるべきか、同じトーンを続けるかで悩みましたね。リスナーの視点に立つと、手を変え品を変え、曲ごとに雰囲気をガラっと変えると節操がないかもしれないし、ずっと似たようなサウンドだと「マンネリ」に陥ることもあります。作品が売れると、マスコミやリスナーからいろんな言い方をされますが、あまり世間の評価を気にしすぎると最終的に方向性を打ち出すのは難しくなってしまいますから、自分の中の判断基準=バランス感覚を優先して組み立てていきましたね。それに、自分の中では同じようなサウンドばっかり作っていると飽きちゃいますし(笑)。

ワンパターンという意味では、ローリング・ストーンズは凄いと思いますよ。彼らも時代に合わせ新しいサウンドを取り入れてますが、ライブに来るお客さんは、70年代そのまんまの驚異的なワンパターンを望んでいるんじゃないでしょうか。僕自身もリスナーだったら、打ち込みでタイトなリズムじゃなくて、チャーリー・ワッツのもったりとしたドラムを聴きたいと思いますからね(笑)。
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