作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
山川 啓介 Keisuke Yamakawa

プロフィール
1944年10月生まれ。長野県出身。早稲田大学文学部に在学中から作詞を始める。作詞作品には『太陽がくれた季節』、『聖母たちのララバイ』、『ふれあい』、『時間よ止まれ』、『銀河鉄道999』(共作詞)、『哀愁のカサブランカ』(訳詞)などヒット曲が多数。『宇宙刑事ギャバン』など特撮ヒーローシリーズの主題歌や挿入歌も多数手掛ける。本名の井出隆夫名義ではNHKの『おかあさんといっしょ』に長く携わり、人形劇『にこにこぷん』『ドレミファ・どーなっつ!』の原作・脚本・作詞を担当したほか、『北風小僧の寒太郎』『ありがとう・さようなら』など長く歌い継がれる作品を世に送り出した。作詞や脚本のほか、コンサートや舞台の構成なども手掛けている。脚本・作詞を担当しているテレビ番組『フックブックロー』が2011年3月よりNHK(Eテレ)で放送中。
1970年7月からJASRACメンバー。
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プレゼント
アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で、山川啓介(井出隆夫)さんの作品が収録された以下のCDまたはDVDを差し上げます。直筆サイン入りです!

●DVD「フックブックロー 日々はんせい堂 開店」2名様
NHKエンタープライズ NSDS-17032
●CD「NHKおかあさんといっしょ メモリアルアルバム〜北風小僧の寒太郎/バナナのおやこ〜」2名様
ポニーキャニオン PCCG-01004
●CD「メタルヒーロー25周年記念盤 SHINING SPIRITS メタルヒーロー全主題歌集」2名様
日本コロムビア COCX-34452→3
※アンケートは終了しました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
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『ちょんまげマーチ』から『聖母たちのララバイ』まで
先日、教育学者の齋藤孝先生とお話しする機会があったのですが、僕のペンネームの山川啓介と、幼児向けの歌を書くときに使っている本名の井出隆夫が同じ人物だとご存知なかったんです。それで、『北風小僧の寒太郎』や『ちょんまげマーチ』みたいな歌から、『聖母たちのララバイ』や『時間よ止まれ』のような大人の歌まで、「一緒に書けるものですか?!」と驚かれました。書けるんです、子供の歌でも大人の歌でも僕のスタンスは変わりません、というお話をして、とても面白がっていただきました。
この年になったから言えるのかもしれませんが、僕の詞の根底には性善説があるように思います。「人間は生まれながらにして悪ではない」と信じたい。そう書こうと意識して書いてきたわけではないけれど、まあ癖なんでしょうね。隠し味のような。料理でいうと、食べ終わったとき残る味わいが「おいしい」であってほしい。食べ続けたら毒になるようなものにはしたくないと心がけてきたような気がします。

『聖母たちのララバイ』は、詞を書く前から、「火曜サスペンス劇場」のエンディング曲として岩崎宏美さんが歌うことが決まっていました。サスペンスだから、だいたい真犯人が捕まって殺伐として終わりますよね。ですからエンディングにはレクイエムとかララバイがいいだろうというのがまず頭にありました。曲は先にできていたのですが、出だしが「ターンタタタタターン」と、最初に長い音符がある。そこに入るのはもう「ああ」か「さあ」しかないわけで(笑)、次は「眠りなさい」がいけるなあと思って、それでララバイになりました。
原点はミュージカル
高校時代にラジオの深夜放送で洋楽を聴いていて、ミュージカルに興味を持ちました。いい歌だなと思って聴いていると、ミュージカルの歌だと紹介されることが多かったんです。特に好きになったのは、『五つの銅貨』(原題:The Five Pennies)という映画を観たことがきっかけです。レッド・ニコルズ(米国のコルネット奏者)の伝記映画で、正確にはミュージカルではなく音楽劇のような作品ですが、これが素晴らしかった。それからできるだけミュージカルを観るようになって、高校を卒業する頃には、自分でもこんなものが作れたらいいなと思うようになりました。
詞を書き始めたのは、大学に入ってからです。ある日クラスメイトから、ガールフレンドがミュージカルのサークルで主役をやるからというので、チケットを売りつけられまして。見に行ったら、筋も音楽もあまりにひどい。彼に正直にそう言ったら、次の日、喫茶店に呼び出されて、サークルのメンバーがずらっと並ぶ中で「意見を聞かせろ」と迫られました。僕も生意気だったのでいろいろ言ったら、「だったらお前が入って書け」となって。よし書いてやろうじゃないか、というのが始まりです。
作詞を志したのには、永六輔さんや岩谷時子さんの影響もありました。それまでの七五調のような文語ではなく、話し言葉でも人の心を打つ詞が書けることがわかって、自分もそういう詞を書いてみたいと思うようになりました。当時、ほとんどの作詞家や作曲家はレコード会社の専属でしたが、永さんや岩谷さんはフリーで書いていらした。そのことも魅力に感じました。
いずみたくさんとの縁
大学ではミュージカルだけでなく、友人のアマチュアバンドに歌詞を提供するようにもなって、レコード会社に出入りし始めました。いい曲があれば、学生バンドでもどんどんレコードを出してもらえる時代でしたから。そのうちに、いずみたくさんのオールスタッフプロダクションが手掛けていたコマーシャルの仕事を紹介してくださる方があり、そこで書いたコマーシャルソングの一つが、いずみたくさんの目にとまって、運よくレコードになったんです。売れませんでしたが(笑)。それから1年たたないうちに、いずみたくさんが作曲を手掛ける日本テレビの新しい青春ドラマの主題歌を書かせていただくことになります。歌詞は歴代、岩谷時子さんがお書きになっていたのですが、そろそろ若手に書かせようということで、僕の名前が挙がったようです。このとき書いたのが青い三角定規の『太陽がくれた季節』です。これがヒットチャートで1位になって、職業作詞家と名乗れるようになりました。とても幸運だった半面、そのあと“青春歌謡作家”みたいなレッテルをはがすのには苦労した覚えがあります。

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