JASRAC
大瀧詠一vs船村徹
2/2
Profile
 
Present
こちらで実施しているアンケートにお答えいただいた方の中から抽選で4名様に、大瀧詠一さんの直筆サイン入りCD「A LONG VACATION」「Niagara Moon」(ナイアガラ)のいずれか1枚をプレゼントいたします。

応募締切日2005年10月31日
応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

A LONG VACATION
NIAGARA MOON

滝廉太郎が「花」にハーモニーを付けたのは、ある意味で偉業でしたよね。-大瀧
船村: 私は以前、依頼を受けて御詠歌を創ったことがあるんですよ。伴奏もほとんどないのに、何千人の声が次第に一つに揃っていく様には感動しましたね。

大瀧: 御詠歌は仏教の音楽ですけど、日本の音楽には西洋風なハーモニーはなかったですからね。滝廉太郎が「花」にハーモニーを付けたのはある意味で偉業でしたよね。近代音楽の幕開けというか。我々の世代以降は、ビートルズを「近代」と受けとめている人が多いんです。「全てはビートルズから始まった」というような。

船村: ビートルズといえば、私が東映アニメ「少年猿飛佐助」(1959年作品)の音楽でグランプリを獲った際に行ったロンドンで、偶然審査員として参加したオーディションにビートルズが出ていまして。何組かいた中の彼らだけがグループだったんですよ。他はみんなソロでして。「どの組がよいか?」と聞かれたので、「あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたんですよね。

大瀧: (周りにいる取材スタッフに対して)すごいでしょう!船村先生は、ビートルズが誕生したオーディションに立ち合っているんですよ。アニメ音楽からビートルズの発掘まで、本当に幅広いですよね。



ファイル交換などで簡単に入手した音楽に限って、聴かれている回数は少ないと思いますよ。-大瀧

大瀧: 著作権の原点とは、みんなが集まるお祭りで音楽などを楽しんで、その楽しんだ人が対価として払うロイヤリティーということなんだと思います。今は、2次的、3次的産業でいろいろな方法で音楽が使われたりしますが、根本は1つだと。日本で初めてCDが発売されたのは1982年のことで、当時発売された12枚のうち、私の作品は、第1号となった「ロング・バケイション」のほか「トライアングル」「SONG BOOK」と3作あったのですが、私は当時から、デジタル化されてファイルとして流通する今のような状況は予想していましたね。対価について、ただ哲学論的に「音楽家を守るため」といくらアピールしても効果は薄いと思うんですよ。簡単にコピーは出来てしまうんですから。そんな状況で、何が一番よい方法なのかと考えたら、「創らないこと」ということになって今に至るんですけど(笑)。誰でもみなそうでしょうけど、やっぱり創る作業は苦しいですからね。ただ、ファイル交換などで簡単に入手した音楽に限って、聴かれている回数は少ないと思いますよ。昔はレコードがすり切れてB面が出てくるくらい、繰り返し聴いて愛着を持ったものですよね。簡単に手に入るとなると、何にも興味がわかず、愛着が持てない人間になってしまう。

船村: 確かに価値観が薄れてきたことは感じますね。絶対に忘れてはいけないものですよ。それに、いまの書き手は、「電気」に振り回されすぎだと思います。昔の話ですが、とある会場で落雷による停電がありまして、ろうそくの火だけで続けたことがあるのですが、それでも音楽は皆さんにしっかり伝わった。何だか一皮むけた感じがしましたね。

大瀧: いまの若い人は歌まで機械で創る傾向にある。たくさん売れるのでビジネスにはなるんでしょうけど、それではつまらないと思うんですよ。「地元の人の歌が一番上手い」というのはそういうこと。日本語には母音と子音があって、それがうなぎの寝床のように連なっているもので、機械的に切って歌うような構造ではないんですよ。そのうち、創っている側が面白みがないことに気がついて、自然に淘汰されてくるとは思いますけど。文化は常に進化する不可逆的なものだとは思いますけど、伝統芸能なんかを見ていると、何百年、何千年と残るものはこういうものなんだなとつくづく思いますね。



今後の活動は−特にありませんね(笑)。人間として普通に暮らしていけたらいいなと。-大瀧

船村: 岩手へはよく帰省されるんですか。

大瀧: 18歳で東京へ出てきて以降は、あまり帰っていないですね。ただ、今の方がゆっくりあちこち足を運べるので勉強になることも多いです。

船村: きっと、幼少のころとはまた違った感じがあると思いますよ。望郷の念というか、心のふるさとというか。

大瀧: 「母なる大地」とはよく言ったもので、出ていった者でも受け入れてくれるんですよね。

船村: これからは、望郷ものというか、岩手県を引き出して、広めるような作品を創られたらどうですか。

大瀧: いやいや、岩手は宣伝することがあまりないというところがいいんですよ(笑)。自然をありのままに残す方がよっぽど良いですね。騒がれて人が大勢訪れると、ゴミ問題など新たな問題が出てきて。世界が目指しているものが既にあるのに、それを人間自らが壊していくような・・・。
今後の活動は−特にありませんね(笑)。70年代から80年代にかけてはずいぶん頑張ったという自負がある。だから、私はもう既にいないものと思っていただきたい。各地の土壌でも研究しながら、人間として普通に暮らしていけたらいいなと。


船村: 宮沢賢治の詩に大瀧さんが曲をつけたら、きっといいものになるのではないかと思いますけどね。

PREV
作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー