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大瀧詠一vs船村徹
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こちらで実施しているアンケートにお答えいただいた方の中から抽選で4名様に、大瀧詠一さんの直筆サイン入りCD「A LONG VACATION」「Niagara Moon」(ナイアガラ)のいずれか1枚をプレゼントいたします。

応募締切日2005年10月31日
応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

A LONG VACATION
NIAGARA MOON

作品には、ネイティブな感じの言語感というものが自然と出てくるものなんですよね。-大瀧
大瀧: このような機会が実現できて、大変光栄です。

船村: こちらこそ。ところで、大瀧さんはどちらのご出身なんですか?

大瀧: 岩手県は江刺です。以降、県内を転々としましたが。

船村: そうなんですか。私は栃木県なんですけど、栃木弁はアクセントが非常に強いんですよ。まだ色気のある若い頃は、何とか「東京弁」に近づけようと頑張ってきましたが、40歳を過ぎた頃から次第に栃木弁が戻ってきてしまって。幼児教育はすごいなと(笑)。

大瀧: 船村先生の作品を聴いていると、「栃木弁のメロディー」の素晴らしさが身に染みますよ。やはり作品には、ネイティブな感じの言語感というものが自然と出てくるものなんですよね。発音を変えてもアクセントがメロディーに出るというか。民謡の番組などを見ていると、いわゆる「歌手」の人は標準語で歌おうとしてしまって、面白みがなくなってしまうんですよ。地元の人が、その地の、その人なりの言葉で歌うものが一番上手く聞こえますよね。

船村: 全くその通りです。ペンキを塗ってしまったり、かんなをかけてしまったり、よそ行きの民謡が多すぎます。民謡とは、土の味であり、風土の味なんですよ。
昔、あるテレビ番組で、関東地方で最後の矢切り(渡し舟)を特集していて、「これは創っておくべきだな」と思い、翌日さっそく出向いてみたんです。そこには、まるで「渡し舟の干物」のような木造の船が立てかけてあったのですが、見た瞬間に、これは手こぎのリズムにしなければいけないと思いました。作品とは、そういった風土から生まれるんですよ。
ただ、後になって指摘を受けたんですけど、‘矢切り'は「やぎり」ではなくて、「やきり」だったんですよね。

大瀧: でも、あの場合は「やぎり」が正しいですよ。「やきり」では縁が切れてしまう(笑)。鼻濁音ってとても大切なんですよね。実は、アルバム「ロング・バケイション」ではすべて鼻濁音を使っています。70年代の「はっぴいえんど」時代は、濁音を使って強く聴かせるようにしていたんですけど。音楽をやっていると、自然とそういった日本古来の文化にも結びついていく。面白いですよね。



先生の場合は、土台がしっかりしているんです。下からジワッと染み出すような。-大瀧

大瀧: 先生の作品では、「別れの一本杉」や「哀愁波止場」も背景には洋風なアレンジがあって、あえてそれとわからないように配置していますよね。

船村: 私には、古賀メロディーのようなものはどうしても書けないんです。若い頃はアメリカ軍のキャンプなどでよくピアノを弾いていたので、それが染みついたんでしょうね。初期の作品は向こうのメロディが多いんです。苦しまぎれにタンゴ調にして書いてみたり。

大瀧: そうはおっしゃいますけど、先生は洋風のアレンジを採り入れた第一人者ですから。先生の場合は、土台がしっかりしているんです。下からジワッと染み出すような。ただ上から洋風なものをかぶせただけではすぐに消えてしまいますから。
戦前戦後の歌謡曲にもジャズ風のテンポ感はありましたが、船村先生の曲が一番スローなテンポなんですよね。「別れの一本杉」でさえ少し早めたと聞いてビックリしましたよ。とても真似できません。

船村: 「哀愁波止場」の場合は、美空ひばりちゃんの影響も大きかったですよ。



東北は土着の文化ですよ。土の匂いがする。侵されない、守る文化というイメージですね。-船村

船村: 岩手県にはたまに釣りに行きますけど、よいところですよね。

大瀧: 四国と同じくらいの広さがあるんですけど、北上から南が伊達藩で北は南部藩と文化が全く違うんですよね。面白いのは、宮古や釜石、気仙沼といった海岸沿いにもまた独自の文化があったりして。花巻出身の宮沢賢治の「風の又三郎」などを見ていると、やはり原風景として残っているものはあります。
東北の人はまじめなタイプの人間が多いと思うんですが、史実を紐解くとホラ話なんかも出てきたりして面白いんですよ。本当か嘘かというのは野暮。民話を民話として聴く面白さがある。また、調べたところでは岩手県の民族芸能の数は世界一らしいですよ。

船村: 土地の歴史的な話には夢がありますよね。遠野で釣り糸を垂れていたりすると、「河童が出てきたりして・・・」なんて思ってしまいますし(笑)。
東北は土着の文化ですよ。土の匂いがする。それぞれに遺産があって、朝廷とはまた違う文化を持っていたのでしょう。侵されない、守る文化というイメージですね。

大瀧: 踊りにしたって、北方は下半身の動きが重要だと思います。言わば「地鎮」なんですよ。リズムにも「じっくり感」がある。重心の低さというか。それに、オリジナリティーがあるんですよね。
面白いことに宮沢賢治は、生前に出版したのは「春と修羅」だけなんですよ。その後、弟さんや周りの人たちが他の作品を公にして有名になりましたけど、それがなければずっと眠ったままだったのです。これはいかにも東北的ですよ。「知られなければ別によい」というか・・・。
それに、東北の人には、背中からジワッとくるような独特のユーモアがある。スピード感があってテンポのよい関西圏のそれとは明らかに違いますね。

船村: それだけに奥が深い部分がある。奥行きを感じますよ。

大瀧: ともあれ、重心の低さでは船村先生が日本一ではないですか?充分どっしりとしているのに、その先生が「古賀メロディーが書けなかった」とおっしゃるのがまた興味深い。
実は私も、似たようなものが書けるだろうと思って、森進一さん、小林旭さんに1曲ずつ書いてみましたが、これがどうにも難しかった。形だけ低くしてもダメだなと思い退散したんですよ。やはり、山と相撲を取っても勝てるわけがないですよ(笑)。「はっぴいえんど」時代は、オリジナルなもの、自分にしか出来ないものは何かと考えて、宮沢賢治とかイーハトーブの世界を意識したことはありましたね。


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