CD「真夜中の虹」 2003.5.21<ZOOTREC> ZOOT-0001 CD「祈り」 2003.10.15<ZOOTREC> ZOOT-0002 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
俺は、昔からクラスの人気者になるよりも、職人的にコツコツとモノ作りをするのが好きだったんだと思います。中学生の頃は絵描きになりたかったから、安定や成功とは無縁の道を進む覚悟を決めていたし。高校時代にバンドを組んだ時もボーカルには興味がなくて、ギターを弾いて曲作りに専念したいと考えていました。歌うようになったのは、東京で色んなバンドを見た時に歌が上手い奴が意外に少ないことに気づいてからですね。北島健二(現FENCE OF DEFENSE,PEARL)に出会って、俺よりも凄いギタリストが近くにいたことも大きかったと思います。 プロとしてのデビューは、北島健二に紹介されたその後ビーイングを立ち上げる事になる長戸大幸さんとの出会いがきっかけ。1979年に“WHY”というバンドの一員でレコードを出しつつ、他アーティストへの楽曲提供の仕事も始めました。 俺にとって、人に曲を提供するのは単純に楽しめる仕事なんですよ。 頼まれる以上は「売れる曲を書く」というのが前提だけど、リスナーの年齢層などターゲットを想定しながら作っていく過程は、ゲームみたいな要素もありますから。単にヒットするだけじゃなく、歌手やアーティストの存在を大きくする作品を書くことが理想ですよね。そうなれば、俺だけじゃなく制作スタッフも含めてみんなハッピーになれますし(笑)。 今までに、男女・年齢を問わずいろんな人に曲を書いてるから、結果的に幅広くいろんな作品を作れたと思います。自分のソロ名義の曲も含めると、今までにリリースされているものは600作品位かな。一般の感覚では600って聞くと「スゴイ!」って思うかもしれないけど、職業作曲家だと2000作品以上書いている人もいるから、決して多作ではないですね。でも、その割にはヒット曲は多いので“日本一打率の良い作曲家”かもしれないって思いますが(笑)。 曲提供だけの場合は、プロデュースと違ってトータルに関われないので、メロディには満足してても歌詞やサウンドの仕上がりに納得がいかない時もあります。予想以上にうまくいったのは、「碧いうさぎ」(酒井法子)。歌詞・アレンジ・本人の歌、トータルに素晴らしい仕上がりになりました。 今後は、演歌を書いてみたい気持ちもあります。織田哲郎=ポップスのイメージが強いから、依頼されることがありませんでしたが、やっぱり作曲家としては歌が上手い人に書きたいんですよね。 プロデュースの仕事は、曲提供からビジュアル面の演出までフル・プロデュースすることもあれば、本人達が詞や曲を書くバンドの場合はサウンド・プロデュースのみといった風にいろんなケースがあります。関わり方によって、自分にとっての作業量や責任が全然違います。 相川七瀬をプロデュースした時は、コンセプト作りから詞や曲を誰に発注すれば良いのかまで、トータルに関わりました。結果的に、詞も曲も俺が書いたけど、プロデューサーとしての視点では織田哲郎という作曲家は一つの「持ち駒」にしか過ぎない。他の作家に依頼した方がベターという選択肢を常に持つようにしています。相川の場合は、本人にセルフ・プロデュースの感覚があったし、ミーハーな部分とマニアックさのバランスが絶妙だったんじゃないでしょうか。それまで、他人に詞を書くことはほとんどありませんでしたが「女にこんなことを言われたら、男としてはイヤだろうな」って想像しながら作詞をするのも楽しかったですね(笑)。 プロデューサーとしては、リスナーがCDを聴いた時にアーティストを一つの像として捉えられるような作品に仕上げることが勝負になってきます。 アーティストの魅力を引き出すことは、虫眼鏡で丹念に光を集めて、1点に絞込みながら火をつけるようなもの。商品として提供する以上はありのままの姿を全部さらけ出す訳にはいかないわけで、洋服や髪型、そしてテレビ・ラジオへの露出の仕方も重要です。 その時にプロデューサーや制作スタッフの意見がバラバラで、焦点がボケていると絶対うまくいかない。当たり前だけど、レコード会社やプロダクションなど制作スタッフ同士の結束や意思の疎通がとても大事だと思います。 |