音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第2回 KOKIA

Profile

音楽・芸術を愛した祖父母の影響で多くの芸術に慣れ親しんで育つ。中でも音楽の世界に強く惹かれ、幼い頃から自然とピアノで曲を作るようになる。3歳からヴァイオリンを始め、高校・大学と桐朋学園で声楽を専攻。クラシックを学ぶ一方、自らが作詞・作曲をした楽曲を通して、音楽の持つ素晴らしさやその可能性をたくさんの人に伝えたいと感じ、大学在学中の1998年にデビュー。
早くから海外での評価も高く、変幻自在なその歌声は「ボーダーレスな歌声」としてヨーロッパでも支持され、活動の場を世界に広げている。シンプルで心に残るメッセージを大事にしている彼女の歌は、多くの人に音楽を通して「love&peace」を問いかけている。
2007年1月からJASRACメンバー。

<Official web site>
http://www.kokia.com

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様にKOKIAさんのサイン入りオリジナルグッズをプレゼントいたします。
※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

  1. Vol.1
  2. Vol.2
  3. Vol.3

Vol.1 キーワードは「続ける」ということ

プロフィールに「幼い頃から自然とピアノで曲を作るようになる」、「3歳からヴァイオリンを始める」とありますが、小さい頃から音楽と接していたんですね。

KOKIA:そうですね。一般的な家庭で育った人よりも小さい頃から音楽に親しむことのできる環境はあったほうだと思うんですけど、決して「音楽家になろう」「プロを目指そう」というような教育を受けて育ったわけではないんです。うちは「音楽一家」ではなく、ただ音楽が好きだった祖父母を筆頭に「音楽“好き”一家」だったんですね。プロフィールを読むと、まるでたいそうな「音楽一家」みたいに思われるかもしれないですけど、うちの祖母が「嫌でも下手でもいいから、10年間何かを続けなさい。10年続けることができたとき、すべてが宝物になるから」と言って、孫の私たち全員になんらかの楽器やお稽古事を習わせたんです。そうしたこともあって、決してプロを目指していたわけではないのですが、私たち孫世代はみんな何か楽器を習っていたので、クリスマス会などで祖父母の家にいとこたちが集まると、四重奏や五重奏を祖父母に披露したり、祖父母の誕生日には、親族全員でミニオーケストラを組んで練習して発表したりしていました。ちょっと変わっているけれど、それくらい「芸術を通して育まれるもの」というのをすごく大事に考えている祖父母の影響が強くある中で育ったので、小さい頃からたくさんの芸術に触れる機会がありました。普通の家庭では「お行儀よくできない」とか「騒いじゃう」という理由で連れて行ってもらえないようなところにも、小さな頃からたくさん連れて行ってもらいました。クラシック、ミュージカル、映画、宝塚から、もう本当ありとあらゆるものですね。「つまんなくなったら寝ちゃってもいいから」と言われて。今から考えるとそんな小さな頃から素晴らしい舞台の数々に触れる機会を与えてもらえたことは、今の私に大きな影響を与えてくれていると思います。

子供の頃はどんな音楽やアーティストに影響を受けたんですか?

KOKIA:マイケル・ジャクソンとか、マドンナとか80年代、90年代のアメリカの音楽が好きでした。それは何故って、私は小さい頃から映画が大好きでよく観ていたんです。今でもそうですけど、音楽を聴く時間より、映画を観る時間のほうが長いくらいなんです。そんな私がぐっと音楽の世界にのめり込んだきっかけは、プロモーションビデオだったんです。当時のマイケルやマドンナのプロモーションビデオは、まるでショートフィルムのような世界観を持っていて、1曲の歌を通して1人の主人公の人生を語ってくれるような作りに引き込まれました。小学生の頃にMTVとかを見て、そこで流れていたものにとても影響を受けました。

KOKIAさんの作品と比べると、マイケル・ジャクソンとかマドンナの音楽はジャンルが違いますよね?

KOKIA:みなさんそうおっしゃるんですけど、ある意味一緒だと思っているんですよ、私は。テイストは違うかもしれないけど、目指しているものとか、お客さんに感じてもらいたいものとか、そういうものの向き方は一緒かなと思っています。

意外でした。

KOKIA:そうなんですよね。よく言われるんですけど、意外なことは他にも色々あるかもしれません。皆さんが一番意外だと、お話しする度に驚かれるのは、私、実は普段ほとんど音楽を聴かないんです。なので、リスナーの皆さんよりも楽曲やアーティストの名前とか、知らないことが多いです。決して威張れることじゃないですけど、音楽の話は全般に苦手です(笑)。

高校、大学では「声楽」を専攻されていますが、本格的に歌を勉強しようと思ったのはなぜですか?

KOKIA:ミュージシャンになって「いつから歌手になりたかったんですか?」とか「小さい頃の夢はなんでしたか?」ってよく質問されるんですけど、「ミュージシャンになりたい!」と思ったことは実はそんなにありません。私は現在のこの仕事をライフワークだと思っていて、日本語だと仰々しい表現になってしまうけど、“役目”のような感覚で向き合っています。なので、どんなに辛くても歌うことはやめないと思うし、逆に他にやりたいことがあれば、それをやりながらでも続けていこうと思っています。小さい頃から歌を歌うと自分もすごく楽しくなるし周りの人も喜んでくれるので、歌うことはすごく素敵なことだなっていう感覚が心に宿っていたことは確かです。極端な話、歌い続けることで自分も人も幸せになれるこの仕事、もし生活をするために違う仕事をせざるを得ないような状況が訪れるようなことがあったとしても、歌うことはきっとやめないでしょう。自分が自分らしく、そして自分が持っているものを輝かせることができる仕事に出会えて本当によかったと思っています。KOKIAとしてデビューする以前の私にとって、音楽は自分の世界に陶酔するものだったり、あるときは何か現実から逃げるものだったりという場所だったときもありました。けれど、KOKIAとして歌うようになったことで確実に変わったことがあって、それは、音楽は1人の世界に閉じこもるものではなく、人と共有するものになったということです。これは本当に大きな変化で、音楽で救われた私が今はその音楽の素晴らしさを人に伝えることができる喜びを忘れずに日々歌っています。私の作品で『歌う人』という曲があるんですけど、その中で歌っている言葉は、ミュージシャンという道を歩んでいる私の気持ちをまさに言い当てているなと思っています。
【『歌う人』の歌詞はコチラ】

ミュージシャンになりたいと思っていなかったKOKIAさんがデビューしたのはどんなきっかけがあったんですか?

KOKIA:実は私のデビューはあっという間の出来事でした。私が曲を書いて歌っていることを知った人たちが「せっかくだからデモテープを作ったほうがいいんじゃない?」と言ってくれて。で、デモテープを作って、そのテープをレコード会社に持っていったら、その日に「スタジオに来れませんか?」と電話がかかって来て、トントン拍子で話が進んで、その後すぐにデビューが決まったんですよね。

「その日に」というのはすごいですね。

KOKIA:タイミングなんでしょうね。ちょうど企画に合う歌い手を探していたらしくて。

KOKIAさんは日本国内だけではなく、海外でも積極的に活動をされていて、2006年以降は5年連続でヨーロッパツアーを行っていますが、そういった海外での活動をご自身ではどう受け止めていらっしゃいますか?

KOKIA:私事なんですけど、5年前に事務所を独立して、今は個人事務所で活動をしています。独立したらやりたいこと、というのはたくさんあったんですけど、その中の一つが「海外で活動をする」というものでした。私がミュージシャンとして、昔から唯一おぼろげにイメージしていたのは、世界で歌っている自分の姿だったんですよ。なので、海外で仕事ができるのは本当にうれしいですし、本当の意味でのワールドスタンダードっていう寸法で見ながら、人間としてもミュージシャンとしてもステージに立っていたいなとか、地球に立っていたいなって思っています。日本でそう思っているだけでは、ただ夢を見ているだけになっちゃいますけど、実際一歩踏み出すと、こんなに違うんだということはたくさんありますから。まだ行ったことのないところが多いので、これからもどんどん挑戦し続けていきたいです。

2010年10月に行われたフランス・パリ公演の様子

海外での活動と日本での活動の違いはありますか?

KOKIA:日本にいると周りからのリクエストや期待に応えなければという気持ちの割合が多くなってしまうので、個性が削られていってしまうように感じることがあります。でも、海外にいるときは、そういうことを考えるよりは、もっと自分を出していこうっていう割合が多いような気がします。それに、同じ仕事をするのにも、日本は1つのことに関わる人が圧倒的に多いなっていつも思います。「この人は何の役割でここにいるんだろう?」という人が多い現場は嫌いなので、独立してからのKOKIAの現場は、極力少人数で、誰が何をするのかが、わかりやすいように仕事をするよう心掛けています。その方が自分自身の役割分担も明確で、責任感を持って仕事に向き合えると思っています。「歌い手はただ歌っていればいい」なんて思っていないですよ。

KOKIAさんは“種蒔き”という言葉をよく使っていますよね。

KOKIA:私のようなスタイルで活動しているミュージシャンは、無農薬、有機栽培の農家のような感じだと思っているんです。自分で種を蒔いて、自分の手で育てて、水も自分でやらないと、芽も出ないし、花も咲かない。植えたところから実を付けて花が咲くまで自分の目で見届けて、お客さんが「おいしい」って言ってくれるところまで全部見届けたいと思っているんです。私の場合は、畑の横に採れたての野菜を使って料理をお出しするレストランなんかもあるような、そんな畑で、お客さんに自分で料理を作って出している、そういう無農薬の農家かなと思っています。海外でも、もちろん日本国内でも、種を蒔いたら蒔きっぱなしでは、どこであっても芽は出ません。もちろん花も咲きません。種を蒔いたら、ちゃんと水をやりに行ったり、収穫をしに行ったりしないと。そういうことは結局、祖母が私に小さい頃から言い続けてくれた「続ける」という言葉に繋がっていくんですけど。人の心に種を蒔き、その花を咲かせるというのは、真剣でないと繋がっていかないと思うんです。花が咲かない年もあったり、咲く年もあったり。思いもよらず大きな実をつけてくれるときもあるので、そういうときは本当にやっててよかったなって思います。

続けることが大事なんですね。

KOKIA:そうです。「続ける」ということが私をずっと支え続けているキーワードなんです。リリースし続けるとか、コンサートをし続けるとか、全部「続ける」に繋がっているんです。

続けることは並大抵のことではないと思いますが、秘訣はありますか?

KOKIA:秘訣はもちろん「やめないこと」です(笑)。これはすごくシンプルだけど一番強い言葉で。何でもいいんですよ。別にやめなければいいので、その内容はどうでもいいんです。本当はどうでもよくないですけど(笑)。でもうちの祖母はそう言ってました。やめなければ別にうまくなる必要もないし、うまくなることが目的じゃないって。続けたこと、やめないできたことの中でしか到達することのできない風景があるんですよね。

長いキャリアの中でターニングポイントがあれば教えてください。

KOKIA:2つですね。さかのぼること5年前の2006年に事務所を独立したときと歌い手としてデビュー10周年を迎えたときです。私にとって独立というのは自分らしいスタイルだったと思います。

独立してやりたいことの中に「海外で仕事をする」というのがありましたが、その他には?

KOKIA:いっぱいありましたよ(笑)。簡単に言うと、自分の言葉で自由に曲を書きたいなと。例えば、また農家の話になっちゃいますけど、「もぎたてをそのまま食べてほしい」というのが私の切実な願いだったんですね。もぎたてがお勧めだったのに、土を落とされ、磨かれ、包装され、着色され、もはや違うものじゃないかというものがお客さんの手に届くこともよくあったので。だから「独立したら、自分が創った作品はお客さんの元へ届く所まで責任を持ってお届けしたい」という想いがありました。

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