音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第1回 GIORGIO CANCEMI ジョルジョ・カンチェーミ

Profile

1979年12月21日 横浜市生まれ。
イタリア人の父と日本人の母との間で生まれ育つ。小学生の頃から姉の影響でHIP HOPを聴き始め、その後、ダンス・DJ・グラフィティやラップに没頭。19歳の時、HIP HOPグループ“DELiGHTED MINT”のMC兼コンポーザーとしてメジャーデビュー。
2002年、DELiGHTED MINTの活動を休止後、ソロアーティストとしての創作活動へ。その後の活動は多岐に渡り、2003年には自身の主宰レーベル「@LAS RECORDS」を設立し、シングル、アルバムを含む20枚以上のCDをプロデュース。また、自身がMCを務めるHIP HOPユニット“So'Fly”をボーカリストTOKOと結成し、2005年夏にメジャーデビュー。So'Flyの活動と並行して数多くのアーティストのサウンドプロデューサー・ソングライターとしても活動。2009年には、ソロ活動の一環としてNERDHEADを始動し、デビュー曲「BRAVE HEART feat.西野カナ」はレコチョクで着うた(R)デイリー/ウィークリーランキング、共に1位を獲得。2009年9月からJASRACメンバー。

■GIORGIO13 ブログ
http://ameblo.jp/sofly-giorgio13

■So'Fly
http://www.sofly.jp/

■NERDHEAD
http://www.nerdhead.jp/

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Vol.1 プロデューサーの仕事=人のいいところが見つけられる素敵な仕事

数々のアーティストのプロデュースを手掛け、ヒット曲も生み出してきたジョルジョさんですが、プロデュース業はいつ頃からされているんですか?

ジョルジョ・カンチェーミ(以下G):
もうずっとやってましたよ。今やってることと、12、3年前にやってたことはあんまり変わらなくて。20歳ぐらいの時に「@LAS RECORDS」っていう自分のインディペンデントレーベルを作って、周りのラッパーとかシンガーをいろいろとシャッフルしてCDを出したりとか、とにかくいろいろやってて。一般的にメジャーなレコード会社とは桁が1つも2つも少ない予算で制作して、ビデオを作るのも「10万円で」っていう世界でやってました。プロデュースといっても、ずっと好きだったHIP HOPベースのものしかできることがなかったんで、だったらその中に多くの人が好むPOPSセンスを入れて、とは言いつつ、難しいことは考えずに音楽を作っていこうと思ってやりだしたんです。まぁ、音楽人生って言うほど、長いことやってないですけど、もう8割、9割ぐらいはプロデュース業ですね。

一方ではアーティストとして、TOKOさんとのユニットSo'FlyでMCを務めています。ご自身が表現者であることに関してはどのように感じていらっしゃいますか?

G:僕、ライブが大好きなんです。ステージに立って、お客さんとコミュニケーションを取るのが好きで。ある程度自分の中で納得できるライブができるまでは、アーティスト活動はやっていくと思います。きっと納得できるライブなんてできないですけど(笑)。プロデュース業をやってて、たくさんの人に聴いていただける音楽を仮に作れたとしても、実際に僕自身がライブをやって歌うわけじゃない。それが唯一プロデュース業のつまらないとこだなと思う。自分が作っている曲を誰かが歌って、たくさんの人が聴いてくれるというのはすごくうれしいことなんですけどね。

So'Flyの新作は約2年ぶりのリリースになりますね。前作をリリースして以降、多くのヒット曲のプロデュースをされましたが、周囲の環境が劇的に変わったんじゃないですか?

G:変わりましたね。「新しいところで、新しい人とやってみたい」という気持ちがあったんで、一旦So'Flyの活動は休止しようって決めたんです。そのときに偶然同じタイミングで2つのプロデュースのオファーがあって。それが、西野カナさんの『遠くても feat.WISE』っていう曲と、玉置成実さんの『in my life』っていう曲で。大して難しいこともせず、自分がいいと思う楽曲を提供させていただいたんですけど、それをきっかけに僕の楽曲が知れ渡って、いろいろな人と仕事をしたり、いろいろなメーカーの人の話を聞いたり、いいところ、悪いところ、いろいろなものを見て、経験することができました。で、これまで勉強と経験できたことを自分のグループに返したいなと思い始めて。So'Flyは解散したわけじゃないですし、きちっとしたすごくいいヴォーカルがいるし、世の中の人にもっと聴いてもらいたいという想いから、今回、事務所とレコード会社を移籍して、動き出していったという感じですね。

そういった環境の変化というのも、作品に表れているんでしょうか?

G:これまでと全然違うと思います。僕はいろいろとアイデアを出してもらえる周りのスタッフがすごい大事だなと思っていて。仮に僕が10曲作ったとしても、「これをリード曲にすればいい」「これはカップリング」って客観的に判断するのは、自分では難しいんですよ。僕はどの楽曲もリード曲だと思って作っているので。リード曲は、リスナーの方が最初に聴く曲で、リスナーの人と制作者の架け橋になる曲なんで、そこを客観的に「じゃ、この曲がいいんじゃないか」とか見抜けるスタッフがいるかいないか、っていうのが僕の中ですごく大事で。そういう意味では環境が変わって、そういうスタッフと出会えたりだとか、宣伝の人、制作の人、マネジメントの人と一緒になってやってるっていうのはすごい感じてます。それを活かして今後もがんばっていきたいなと思ってます。

スタッフの方との信頼感あってこその“チーム”ですね。

G:そうなんです。チームなんです。だから僕が干されないようにがんばらないといけない(笑)。とりあえず「こいつを代えよう。帽子とサングラス掛けとけばバレないから」ってならないように(笑)。

作詞者、作曲者、編曲者、プロデューサー、アーティストとさまざまな立場をお持ちですが、居心地がいいのはどのポジションですか?

G:いやーどれもつらいですからね(笑)。でも、一番おもしろいのはプロデュース業です。アーティスト業っていうのは、自分のいいところが見えていないときのほうが多くて。自分の悪いところ、ネガティブなところがたくさん見えちゃう。自分の荒い部分をどうカバーするかってことを考えちゃうんですよ。逆にプロデュース業は、僕自身が裏方に回るんで、人のいいところしか見えないんですよね。人の短所はどうでもよくて。歌い手の人に「ピッチが不安定」という短所があっても、「歌声がいいから、声をよく聴かせる楽曲にしよう」って、ネガティブな部分じゃなくてポジティブな部分を見れるんで、プロデューサーの仕事は楽しいんです。人のいい部分が見つけられるって素敵なことだなって思います。

逆にプロデューサーの立場で苦しいと感じるときもあると思うんですが。

G:そうですね。売らなくちゃいけないんで。もちろんそれはアーティストも同じなんですけど。プロデューサーはちょっと出しゃばるくらいのほうがいいなと僕は思ってます。例えば、あるアーティストがファーストからサードまで3枚のシングルを出すことになったときに、僕はセカンドシングルしか手掛けないとするじゃないですか。そこで、ファーストシングルはどういう楽曲をやっていて、今後サードシングルにつなげるために、じゃ、セカンドシングルをどう作るかって、プロデューサーはそこまで考えないといけないと思うんですよ。ただいい曲を作るだけじゃなくて、そのアーティストにとって大事な曲になるものを僕は作りたいんで、オファーを受けたら絶対2曲、3曲作るようにしてます。1曲だけ作って、「はい。これでいいです」ってそんな器用なこともできないし、そんなセンスもないんで。2曲、3曲作って、その中で一番いいものをピックアップして、いいって思ったものをそこからさらにブラッシュアップしていくっていう作業をするんです。プロデュース業は意外と地味な作業ですね。

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