技術で作曲
するのではない。
自然に浮かぶ
旋律を紡ぐんだ。

すぎやまこういち 作曲家

誰もが耳にしたことがあるポップスからCM音楽まで数千曲を作曲。ドラゴンクエストの音楽を担当していることでも有名

作り手がいて、素晴らしい音楽がある。

インタビューシリーズ vol.2

(2018年1月公開)

祖母、両親から受け継いだ音楽のDNA。

Q 先生と音楽との出会いについて教えてください
A 音楽に関する最も古い記憶は、祖母が賛美歌を子守唄がわりにして幼い私をあやしてくれたことですね。また父はマンドリンの一種のマンドラを、母は趣味でピアノやビオラを弾いていた音楽一家だったもので家族全員で合唱することもしばしばでした。
Q まさに早くから音楽に触れていたのですね
A そうですね。両親からは合唱を通じて譜面の読み方を教えてもらいました。幼い頃から譜面に親しんでいたのは、のちに作曲の仕事を始めるうえで大いに役に立ちました。
Q 何歳頃から作曲を始めたのでしょうか
A 正確には覚えていませんが、中学生の頃、国語の教科書に載っていた「山のあなた<カール・ブッセ/上田敏訳>」という詩に自分で曲をつけたことは記憶しています。二部合唱曲として作曲し、家族で合唱したのはいい思い出です。世の中に発表した最初の曲ということであれば、高校時代につくった子供のためのバレエ「迷子の青虫さん」ですね。当時、家の近所に住んでいらしたバレエ関係の方から「作曲料なしで」という条件で頼まれ、引き受けました。「迷子の青虫さん」は70年近く前につくったのですが、今も再演を繰り返しているんですよ。

音楽大学受験をあきらめ、「仕方なく」東大へ。

Q それほど音楽に傾倒していたのに進学したのは音楽大学ではありませんでしたね
A もちろん音大に進みたくてあらゆる音大から願書を取り寄せたのですが、どの学校にも試験科目に「ピアノの実技」があるのです。当時、家にはピアノがなかったので音楽大学受験のための練習ができませんでした。そこで音楽大学はあきらめて「仕方なく」東京大学に入学しました。東大に通っている間も出身高校の音楽部の活動に足繁く通い、音楽に没頭していましたね。
Q 大学卒業後は文化放送やフジテレビで活躍されます
A はい。文化放送では最初報道部に配属されたのですが、その後芸能部に移り、生の演奏を放送する「日立コンサート」という番組を担当しました。ここで音楽のプロの作曲・編曲方法を体験したことがその後の作曲人生にとても役立ちました。1958年にはフジテレビに転職し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」などの番組に携わりました。振り返れば、文化放送でもフジテレビでも常に音楽に関わってきた会社人生でしたね。

音楽が好き。その情熱が作曲のエネルギー。

Q 先生はこれまでにどのくらいの数の作品を作曲してきたのでしょう
A ざっと数千曲にはなるでしょうね。ポピュラーソングでいえば「花の首飾り(ザ・タイガース)」、「恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)」「亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)」、「学生街の喫茶店(ガロ)」などがヒットしました。CM音楽でよく知られているのは、以前西城秀樹さんが歌っていた「ハウスバーモントカレー」ですかね。
そうそう。競馬ファンの方ならご存じでしょうが、東京競馬場や中山競馬場のファンファーレも手がけたんですよ。最近の若い方には人気のゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽がもっとも有名でしょうか。
Q さまざまなジャンルの曲をつくる先生の創造の源や創作の秘訣を教えてください
A 創造のエネルギーとなっているのは、やはり「音楽が好き」という情熱でしょうね。また作曲する際に大切にしているのは「自然に浮かんだ曲を紡ぐ」ということです。締め切り間際になれば、これまでに培ってきた技術で曲をつくっていくこともありますが、できる限りメロディが自然に浮かんでくるのを待つようにしています。徳川家康の人柄を表す句として「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」というのがありますが、まさにその心境です。織田信長の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」や豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」といった、強引で力任せなやり方ではいい曲は生まれません。それに自然にできた曲の方が世の中から高く評価されることが多いのも事実です。たとえば、ドラゴンクエストシリーズの「序曲」「おおぞらをとぶ」や「亜麻色の髪の乙女」「学生街の喫茶店」などがそれにあたりますね。
Q とはいえ、どうしてもメロディが浮かばない時もあるかと思いますが
A そんな時は、デパートの地下街をうろうろすることにしています。いま私のお気に入りのデパ地下は東京日本橋の高島屋です。好きなゲームで遊んでリフレッシュすることもありますよ。

目に見えない著作権。
その背景には創作者の人生が。

Q 著作権についてはどのようなご意見をお持ちですか
A 先ほど自然に浮かんだ曲を紡ぐことがいい作品をつくる秘訣と申し上げましたが、曲が湧き上がってくるためには、「呼び水」のようなものが必要です。私の場合、その呼び水は幼き日の家族との合唱体験や、高校・大学時代の気の合う仲間との音楽活動、さらにラジオ局やテレビ局に勤めていた時に目の当たりにした音楽のプロたちの作曲・編曲方法なのです。つまり、私の曲はこれまで私が歩んできた人生や人格なくしては生まれてきません。これは私に限らず、どの作曲家の皆さんも同じだと思います。だから、著作権をないがしろにするのは、創作者の人生や人格をないがしろにするのと同じことなのです。どうか目に見えない著作権の背景にある創作者の生活や人生に思いを巡らせていただき、創作者の生活の糧となる著作権使用料の支払いにご協力いただきたいと思います。
Q 最後に先生のような作曲家を目指す子供たちへのメッセージをお願いします
A 音楽のプロを目指すのならば、まず基礎をしっかりと身につけて欲しいと思います。アマチュアとプロとの間の厳然とした差はそこにあります。また私がプロを目指す若い人によく言うのは、好きなジャンルの曲だけに触れるのではなく、あらゆるいい音楽に親しんでもらいたいということです。料理だってそうでしょう。フランス料理のフルコースも日本の懐石料理もそれぞれに素晴らしいところがある。分け隔てなくそれぞれの美味しさや優れた点を知ってこそ一流の料理人になれます。音楽も同じです。だから、もっともっと色々な音楽を好きになってください。
インタビューこぼれ話
『次のギネス認定も・・・』

2016年、すぎやまこういちさんは「世界最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家(84歳292日=2016年1月28日時点)」としてギネス世界記録に認定され、表彰を受けました。この先、到底破られそうもないこの記録についてご本人にお尋ねすると「その記録は、また私が更新しますよ」と笑顔に。少年のような86歳の音楽への愛と情熱が衰えることはありません。私たちはこれからもドラゴンクエストの音楽をはじめ、すぎやまこういちさんのつくる素敵な楽曲を楽しむことができそうです。