たかが一行。
されど一行。
探し求める
「一行」は、
迷い道の先にある。

いで はく 作詞家

「すきま風(唄:杉 良太郎)」「北国の春(唄:千 昌夫)」といった国民的ヒット曲を作詞。第51回日本レコード大賞作詩賞受賞

作り手がいて、素晴らしい音楽がある。

インタビューシリーズ vol.1

(2017年11月公開)

昭和の名作曲家、遠藤実先生との
出会いが人生を変えた。

Q 作詞家を目指したきっかけを教えてください
A 子供の頃から文章を書くのは好きだったのですが、本格的に作詞の勉強を始めたのは遠藤実先生と知り合ってからですね。
Q 遠藤実さんとはどのように知り合ったのでしょう
A 若い頃、英語教材のカセットテープをつくる会社を起業し経営していたのですが、録音で訪れたスタジオでばったり遠藤実先生にお会いしたのです。それが縁で先生の秘書になりました。
Q 遠藤実さんのもとで学んだこととは
A 遠藤先生のもとには一流の作詞家の先生たちの詩が揃っていました。それを読ませていただくことがいちばん勉強になりましたね。たくさんの詩を読むうちに「歌謡曲は短い物語であり、いい詩には人の気持ちを惹きつけるインパクトある一行がある」ということに気づきました。遠藤先生には「巨匠の詩を真似するのではだめだ。自分のオリジナル性を追求しなさい」と教えられました。
Q 作詞家としてやっていける、という手応えをつかんだのはいつ頃ですか
A 作詞を始めて5年ほどした頃、「すきま風(唄:杉良太郎)」がミリオンセラーになりました。続いて太川陽介のデビュー曲「陽だまりの中で」、「北国の春(唄:千昌夫)」がヒットしました。これでやっていけるという自信のようなものが生まれたのはその頃でしょうか。約5年でヒットに恵まれたのは早い方だと思います。下積み生活の長い作詞家さんはいくらでもいますから。

いろいろな課題が同時進行。
そこに創作の難しさがある。

Q 創作にはご苦労がつきものだと思うのですが
A そうですね。スラスラと書ける時もありますが、インパクトある一行、心に響く言葉がなかなか見つけられない時もしばしばです。詩の世界をつきつめるのはもちろんですが、どういう詩にすれば歌手がもっとも輝けるのか、どうすれば聴き手の心にシンクロするのかなど、さまざまなことを考えながら創作しますから、いくつもの課題を同時に解決していく感じです。探している言葉にどうしても出会えない時は、出口のない堂々巡りの迷い道に入ってしまった心境ですね。
Q どうしても詩が浮かばない時にはどうするのですか
A 思い切っていったん仕事から離れてしまいます。リフレッシュすることで頭と心をリセットするのです。そうそう。あてもなく山手線に乗りにいくこともありますね。列車の音とリズムにただただ身をゆだねていると言葉がスルスルと浮かんでくることもあるのです。
Q 作詞は、同時に何曲くらい進行するのですか
A 時によって違いますが、レコードの時代にはひとりの歌手についてA面B面用に最低2曲、その他の仕事も合わせれば平均して数曲は同時進行していましたね。それだけでなく、すでに曲がついた詩をメロディに合わせて手直ししたり、言葉を差し替えたりすることもあるので、頭の中は常にフル回転している状態です。

“無”から“有”を生み出す奇跡。
著作権料はその代価。

Q 著作権についてはどのようなお考えをお持ちですか
A 先ほど創作の苦労について話しましたが、“無”から“有”を生み出すというのは本当にたいへんなことなのです。一曲の歌は作詞家と作曲家がすべてを振り絞って生み出した奇跡といってもよいでしょう。私は作詞家であると同時にJASRACの会長という立場も兼ねているので、すべての創作者を代表して申し上げますが、こうした努力と苦労の“結晶”を自らの営利のために利用するのであれば、著作権料をお支払いいただくのが筋ではないでしょうか。受講生を募集して事業を営まれているカルチャーセンターでの音楽講座や歌謡教室など各種教室事業者の皆様にはすでにそのようにご理解いただいています。「公平性」という観点からも楽器教室事業者の方にも音楽著作権についての手続きを速やかに進めていただくことを願っています。
Q 著作権料は創作者に間違いなく分配されているのでしょうか
A もちろんです。著作権料は創作者の生活を支える大切な糧として、3ヵ月後から9ヵ月後くらいまでには確実に分配されています。もしも著作権料が入らなければ多くの作詞家や作曲家の生活が脅かされ、創作活動どころではなくなりますから。創作者が「どこでいつ自分の作品が利用されたか」を確認し、著作権料を徴収にいくのは不可能です。ですからJASRACという団体と著作権管理のシステムがあることを多くの創作者が歓迎してくれています。
Q もしも著作権料が支払われないとどうなってしまうのでしょう
A 著作権料が入らなければ、多くの作詞家や作曲家は貧窮してしまいます。そのような環境では新たな作品を生み出す意欲は湧いてきません。その結果、音楽文化の衰退を招くことは間違いないでしょう。 逆に創作者の生活が守られれば、作詞家、作曲家を目指す人が増え、創作のすそ野がひろがります。すそ野がひろがれば、より高い頂、つまりもっと素晴らしい音楽の誕生も期待できます。
Q 最後に、この先を担う子供たちに伝えたいことはありますか
A 私は小学生の頃「お富さん(唄:春日八郎)」を聴き、歌謡曲の詩の面白さを知りました。
学生時代にはポール・アンカやニール・セダカなどが歌う洋楽を熱心に聴いたものです。
こうした様々な歌や音楽との出会いが、作詞家としての私の下地をつくってくれたと思っています。だから今の子供たちも色々な音楽といい出会いをしてほしいと願っています。学校の音楽の時間に多様なジャンルの曲に触れる機会を増やすのもいいのではないでしょうか。そんな子供たちの中から、次代の作詞家や作曲家が生まれたらうれしいですね。その時に「作詞家や作曲家では生活できない。職業として選べない」という未来にならないようにすることが、私とJASRACに与えられた使命だと考えています。
インタビューこぼれ話
『ロングセラーの意外な理由』

1976年にリリースされた「すきま風(いではく作詞)」。この曲は当時ゴールデンタイムに放映されていたテレビ時代劇「遠山の金さん」のエンディングテーマに使われていました。発売からしばらくはオリコンチャートで50位以下にくすぶっていたのですが、1年後、「遠山の金さん」が夕方の時間帯に再放送されるようになると爆発的に売れ始めます。その理由は意外なものでした。夕方はクラブなどにお勤めの女性が自宅で化粧や身支度を整える時間帯。その時にテレビから流れてくる「すきま風」を耳にして気に入り、お店に来るお客様に勧めたそうです。これによりカラオケで歌いたいという男性客がこぞってレコードを買い求めたとのこと。最終的に「すきま風」はオリコンシングルチャート100位圏内に147週(約3年)もランキングされた超ロングセラーとなりました。