交響組曲「ドラゴンクエストIV」コンサート・ライブ in2002
交響組曲「ドラゴンクエストIV」コンサート・ライブ in2002
品番:SVWC7107-7109
税込定価:\3,570
発売日:2002/12/18
発売:SME・ビジュアルワークス
(c)エニックス (c)スギヤマ工房



交響組曲「ドラゴンクエスト」ザ・ベスト2
交響組曲「ドラゴンクエスト」ザ・ベスト2
品番:SVWC7134-7135
税込定価:\3,045
発売日:2002/03/20
(c)エニックス (c)スギヤマ工房

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家族3人の合唱で譜面を覚え、同じレコードを何度も聴いて体に染み込ませた

僕の音楽のバックグラウンドは、クラシック音楽です。子供の頃に家族3人でシューマン「流浪の民」、滝廉太郎「花」などの歌を合唱で歌って楽しみながら、譜面を読むという音楽の基礎を覚えました。それから、戦後間もない頃に親が買ってくれたベートーベンの交響曲第6番(田園)、第7番、“クロイツェル・ソナタ” といった3曲のレコードを譜面を見ながら、繰り返し聴きましたね。子供の頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかったんです。当時は、手巻きの蓄音機だったからジャリジャリした雑音だらけで低音も出ないので、譜面をたよりにコントラバスのパートを自分で歌って補っていました(笑)。

中学3年になってからは、お小遣いを貯めて日響(現:NHK交響楽団)、東宝(現:東京交響楽団)の定期演奏会の会員になったので、オーケストラを生で聴く機会がありました。そこから、近代の作曲家、例えばストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッツ、プロコフィエフといった音楽に目覚めてレコードを必死で探しました。今では考えられないけど、戦後まもない頃、日本は著作権の国際的な保護関係が機能していなくて、外国から新しい音楽が入って来なかったんです。だから、ラヴェルやガーシュインの作品などは日本でレコードが発売されませんでした。

今でも覚えていますが、米軍が作っていた放送用レコードの放出品の中からプロコフィエフの交響曲第5番第4楽章の一部を収録したレコードを入手した時には感動で震えましたし、聴きまくりましたね。当時のレコードは78回転のSP盤で片面に5分程度しか録音できないんですよ。だから、クラシックだと1枚のレコードに交響曲の一部しか録音されていないんです(笑)。でも全部のレコードを集めるのは金銭的にも難しいので、たまたま入手できたパートをひたすら聞いて、体に染み込ませました。
今は欲しいものが何でも手に入るので、若い人も選別する力が衰えてきてるんじゃないかな。芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切だと思います。

放送局の現場でプロのアレンジャーの譜面から多くを学んだ

子供の時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした。僕らの若い頃は、家にピアノがあるのはごく限られた裕福な家庭だけだったという時代です。
大学を卒業して文化放送で働いた後、開局1年前のフジテレビに入社しました。当時の放送界は草創期のまさに戦国時代でした。放送局に入ったのは、「音楽学校に入ると高い授業料を払って勉強。でも、放送局に入れば現場で音楽を学びながらお給料が貰えるから、良い仕事だな」って思ったからなんです(笑)。音楽学校に入って学ぶのは理論や技術であって、音楽を創る上で一番大切な「感受性」は習って身につくものではないですね。ディレクターとして、「ザ・ヒットパレード」などの番組を手掛け、生オーケストラを使って番組を作る一方で、勉強のためにプロのアレンジャーの譜面をずいぶん借りまくりました。宮川泰さんの譜面もずいぶん借りたので、今でも彼に会うと「師匠!」って呼んでしまいます(笑)。

作曲やアレンジをする時に、ピアノやパソコンを使いますが、あくまでもそれはメロディやハーモニーを確認するための道具としてであって、アイディア自体が頭の中になければ優れた作品は作れません。一流の料理人は、新しい料理を作ろうとする時、すでにその味が頭の中にあると言われます。料理の修行で勉強するのは包丁さばきなどの技術であって、美味しい料理を作るためには自分の中で「感受性」を育んでいくしかないのです。音楽も同じで、最終的な完成形を頭の中でイメージしないでやみくもにキーボードをたたいても良い作品は生まれないと思います。

僕が手掛けたザ・タイガースの作品やドラゴンクエストのシリーズは「組曲」のような作り方をしていると言われますが、建築に例えていうと、小屋よりもビルのような大きな構造物を作る方が好きなんでしょうね。

ドラゴンクエストは初めて各分野のプロが集まって作ったゲーム

ドラゴンクエストは、エニックスが他のメーカーに先駆けて初めて、各分野のプロを集めて作ったゲームでした。それまでのコンピュータ・ゲームは、仲良しサークルの延長みたいな感じの作り方をしているケースが多かったんです。ドラクエでは原作の堀井雄二、キャラクターデザインの鳥山明、音楽のすぎやまこういち、ディレクターの中村光一、全てを束ねるプロデューサーの千田幸信といったプロが集まって作るので、それぞれの役割分担が明確で非常にやりやすかった。

プロ集団は、たとえスタッフ同士の仲が悪くてケンカをしていても最終的にそれぞれの役割をしっかりと果たせばいいんですよ。ただし、ドラクエのスタッフは仲良しですけどね(笑)。

音楽の場合で言うと、オーケストラも役割分担が明確じゃないとうまくいきません。それぞれの楽器(パート)がビジネスとしての責任をもつと同時に、「コミュニケーション」が必要です。オーケストラのコミュニケーションは、言葉じゃなくて音楽そのものでアンサンブルを生みだします。オーケストラが演奏する音楽は子供の時から好きだったし、ゲームも大好きだから、ドラクエの仕事はまさに「天職」だと思っています(笑)。



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プロフィール
1931年4月11日、東京生まれ。
成蹊学園高校、東京大学教育学部教育心理学科卒業。
高校在学中から作品を書き始める。大学卒業後、文化放送に入社。報道部、芸能部を経る。1958年、開局前のフジテレビに入社し、ディレクターとして「おとなの漫画」「ザ・ヒットパレード」等、多くの番組の演出を手がけ、同時にコマーシャル音楽の分野で作曲家としても活動をはじめ、その後レコード界にも進出、数多くのコマーシャル音楽、ポピュラーソング、クラシック音楽を手掛ける。近年はテレビゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズ他、ゲーム音楽を多く手掛けている。代表作は、恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)、亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)、僕のマリー、シーサイドバウンド、君だけに愛を、花の首飾り(ザ・タイガース)、学生街の喫茶店(ガロ)、東京競馬場・中山競馬場の発走ファンファーレとマーチ他多数。
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