作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
佐藤直紀 Naoki Sato

プロフィール
1970年5月生まれ。千葉県出身。1989年東京音楽大学作曲科映画・放送音楽コースに入学し、1993年同大学を卒業後、映画、ドラマ、CM、イベント等、様々な音楽分野で幅広く活躍する。2006年「ALWAYS 三丁目の夕日」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。2008年「ALWAYS続・三丁目の夕日」で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。
2001年11月からJASRACメンバー。
 
<主な作品>
【映画音楽】

「永遠の0(ゼロ)」「ツナグ」「るろうに剣心」「海猿」シリーズ、「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズ、「岳-ガク-」「SPACE BATTLESHIP ヤマト」「BALLAD 名もなき恋のうた」「隠し砦の三悪人」「チーム・バチスタの栄光」「Little DJ 小さな恋の物語」「キサラギ」「手紙」他多数
【ドラマ音楽】
「PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!」連続テレビ小説「カーネーション」「コード・ブルー」シリーズ、NHK大河ドラマ「龍馬伝」「陽炎の辻」シリーズ、「空飛ぶタイヤ」「はだしのゲン」「ハゲタカ」「ウォーターボーイズ」シリーズ、「オレンジデイズ」「GOOD LUCK!!」他多数
【アニメ音楽】
「プリキュア」シリーズ、「もやしもん」「交響詩篇エウレカセブン」「出撃!マシンロボレスキュー」「X」他多数
【CM音楽】
「資生堂マキアージュ」「JRA」「花王VeryVery」「ハーゲンダッツ」他多数
インタビューの一部をニコニコ動画で公開中!
ニコニコ動画 JASRACちゃんねる
プレゼント
アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で、佐藤直紀さんの作品が収録された
直筆サイン入り「永遠の0(ゼロ)」ブルーレイディスク(豪華版初回生産限定仕様)色紙をセットで3名様に差し上げます。
※アンケートは終了しました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
作家で聴く音楽バックナンバーはこちら
ピアノを自由に弾いているうちに、作曲家を志す
僕が子どもの頃は、ちょうど歌謡曲の番組が流行っていたので、よく見ていましたね。伴奏しているビックバンドの演奏に興味をもち、輪ゴムやダンボールでギターを作ったりしていました。小学4年生の時に吹奏楽部でホルンを始めたのですが、長調と短調も分からず、結局楽譜は最後まで読めませんでした。中学生になるとバンドが流行って、みんなギターを弾くんですけど、僕はうまく弾けなかったので、キーボードに回されました。でもやっぱり弾けないんですよね。弾けないし、譜面も読めないので、最終的にピアノを習いに行くことしました。それがこの世界に入るきっかけになったかもしれないですね。すごく柔軟な教え方をされる先生で、クラシックだけでなくポップスも弾かせてくれましたし、「弾きたい曲を持っておいで。譜面どおりでなく自由に変えて弾いてもいいんだよ」と教わって。だんだん自由にやるのが楽しくなって、自分でちょっと手を加えてみたらこうなるのかなとか、そんなことをいろいろとやっているうちに、先生に「作曲の方が向いているんじゃないか」と言われました。でも、「曲なんて書けないです」と言ったら、「決まりなんかないから自由に好きに書けばいいんだよ」と僕を後押ししてくれました。そこで、中学3年生くらいの時、どういう人が作曲家になっているのかなと興味をもって、当時インターネットもなかったので、いろいろと本で調べてみると、音大を出ていることや、音大に作曲科があることが分かり、音大に行ってみようかなと思ったんです。
音大を目指して猛勉強を開始
高校に入ると同時に、ピアノも作曲も音大の先生について、ピアノと作曲が週1回、ソルフェージュが週3回と音大受験のための勉強を本格的に始めました。作曲の基本となる和声学やバロック時代の音楽理論の対位法などを教わるかたわら、ピアノも得意ではなかったので、必死にやっていました。音楽の勉強は、嫌いではなく楽しかったですね。ただ、たくさんルールがあるんですよ。ドレミファソラシの「シ」は導音なので「ド」に上がらなきゃいけませんよ、下がっちゃいけないんですよとか。そういうルールがいっぱいあるなかでずっと勉強していたので、パズルゲームをたくさんやった後みたいに、夢の中でもこの音は和声的にはまるなとか、頭のなかを巡ってしまって大変でした(笑)
当時学んだ和声学や対位法に関しては、もちろん作曲に役立ってはいるけれど、こういう音はこうしなきゃいけない、これはやっちゃいけないというルールに自由な発想を邪魔されることもありますね。特に若いときはルールにがんじがらめになって邪魔されていました。今はだいぶ自由に書けるようになりましたけど。
クラシックではなく、映画・放送音楽コースへ
映像に合わせる音楽や、人から頼まれて曲を書くという、仕事としての作曲を目指すようになったのは、大学に入ってからですね。映画やドラマを観ることは好きでしたが、その当時は自分がその音楽を書くとは全く思っていませんでした。むしろ、その頃はクラシックや現代音楽のコンサートへよく行っていたので、演奏後に作曲家が紹介されて、人前で拍手されるのを見てかっこいいなと思っていました。でも、高校3年生くらいの時、作曲の先生に「君にはクラシックの作曲は向いていないから、早く諦めて一般の大学へ行きなさい」と何度も言われました。それでも、どうしても作曲家になることを諦めきれずにいたところで、東京音楽大学作曲科に映画・放送音楽コースが新設されることを知りました。もともと、「パパはニュースキャスター」とか「金曜日の妻たちへ」とか、音楽がきれいだなと思って観ていましたし、ドラマの音楽にはすごく興味がありました。「どうしても音大を目指すならこのコースに行きなさい」との先生の助言もあって進路を決めました。
授業では、サンバ、ジャズ、ビックバンド、ロックから演歌まで、どんなジャンルでも書けるようにと様々な課題がでました。実際に演奏して、サンバっていうのはこんなリズムだよとか、演歌はこうだよとか、ざっくりと教えてもらい、あとはCDをひたすら聴いて学びました。楽曲はシンセサイザーで創っていました。作曲家になりたいと思って大学に入ったので、大学4年生の後半には、レコード会社などの音楽制作会社やCM制作会社に片っ端から売り込みを始めていましたね。

TOP123 NEXT

Copyright (c) 2014 JASRAC All Rights Reserved.