僕は信州中野の出身です。信州中野は、作曲家の中山晋平さんや、作詞家としても知られる国文学者・高野辰之さんなどを輩出した土地なのですが、音楽教育が特に熱心な土地というわけではないと思います。僕の場合、たまたま「鈴木慎一バイオリン教室」が近くにあったので通い始めたんです。4歳の頃でしたから詳しいことは憶えていませんが、おそらく自分から言い出したんだと思います。
音楽をやっていこうというのは、その頃から思っていましたね。考えるというよりも、それが当然だと。ただ、中学生くらいになって、具体的に音楽でどの道に進もうかと考えたときに、自分は演奏に興味があるほうではなかった。トランペットは結構上手かったんですけどね(笑)。でも、トランペットを演奏して誉められるよりも、下手なアレンジでも一生懸命譜面を書いて、それをみんなに聴かせるときのほうがずっと楽しかった。それで、中学2年生くらいのとき、作曲家になろうと思ったんです。
上京して東京の音大に進んでからは現代音楽にのめり込み、武満徹さんやクセナキス、シュトックハウゼンなど様々な作家の作品を聴きあさりました。また、自分の曲を発表する場をつくるため、5、6人の作曲家の新作展みたいなものを自分でプロデュースして開いたりもしていましたね。学生とはいえ、発表会程度で済ませるのは絶対に嫌でした。ちゃんとしたホールで、一流の演奏でコンサートを開きたいと思って、有名な作曲家に作品を依頼したり、すごく安い謝礼でNHK交響楽団の人たちに演奏をお願いしたりしていました。大学の先生が売り込みに来たこともありましたよ。「次は僕の曲をやってほしい」とか(笑)。まあ、そんなやり方をしていたから学校では目立っていたし、傍から見たら尖った学生だったと思いますね。
大学在学中に、現代音楽の新しいジャンル、ミニマル・ミュージックに出会いました。ミニマル・ミュージックとは、非常に短いフレーズをわずかに変化させながら繰り返すことで、微細な変化がとても重大な変化に感じられるようになる、いわゆる前衛音楽です。僕はこの音楽に魅せられ、20代の大半はミニマルの作曲家として活動していました。小規模の映画やテレビの仕事のほか、レコードのアレンジなどはしていましたが、メインは現代音楽でしたね。30代前半くらいからはポップスの領域にもフィールドを広げて今に至るわけですが、僕のベーシックな部分は、驚くほど当時と変わっていません。映画音楽などを手がけるようになったことで、作品にメロディという要素が加わりましたが、基本的に自分は現代音楽の作曲家だと思っています。知的な興奮のない音楽には興味がないんですね。ですからクラシックに凝り固まるのも好きではないし、単にポップスっぽいものにも何だかあまり興味がない。自分のスタイルを模索していく中で、表現したい音楽に近い方法を選んできたということです。