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【第10回JASRAC音楽文化賞受賞】三河市民オペラ制作委員会 委員長 鈴木伊能勢さん「心を震わせたことだけが、生きてきた景色になる」

2023年11月17日、第10回JASRAC音楽文化賞の受賞者3者を発表しました。愛知県三河地区で市民オペラ制作を行う、三河市民オペラ制作委員会の鈴木伊能勢さんのインタビューをお届けします。

ふたたびの挑戦から「三河市民オペラ制作委員会」の誕生

鈴木 伊能勢さん

サントリーホールで聴いたエディタ・グルべローヴァの歌に「人の声はこんなにも美しいのか」と魂を奪われたのがオペラとの出逢いでした。

2004年に蒲郡市の市制50周年記念事業のオペラ「カルメン」を観に行ったのが、初めての市民オペラ体験でした。その舞台に合唱で参加した先輩から、豊橋でも市制100周年の記念イベントとしてオペラをやりたいので手伝ってほしいと声をかけられ、軽い気持ちで引き受けてしまいました。2006年12月、豊橋市民オペラ実行委員会としてはじめてのオペラ「魔笛」の上演です。

いつもチケットを買って客席で感動していたのに、観るのと作るのは別物でした。終わってから、自分が関わった舞台に感動していない自分が嫌だった。委員会も未熟で、キャストやスタッフとの双方向のコミュニケーションが取れないことに悩みました。「このままでは終われない」、このときの悔しさがその後の活動の原動力になりました。

その後2007年に開催された「第11回全国オペラフォーラム」に参加して衝撃を受けました。講師の方に質問を投げかけ、中山欽吾東京二期会常務理事(当時)と石田麻子昭和音大オペラ研究所専任講師(当時)の的確なアドバイスと知遇を得て、次に動くことができました。最初は「音楽の素人が総合芸術であるオペラなんかできるわけがない」などと揶揄されることもありましたが、私たちがオペラに出演するわけではない。私たちはそのお膳立てをして裏方に徹する。どうしたらお客様やみんなが感動して胸を熱くしてもらえるかを第一に考える。そうでないと音楽家ではない私たちがやる価値がありません。委員会を刷新し、「三河市民オペラ制作委員会」の誕生です。

その後3回の公演を成功させ、2023年5月、5回目となるオペラ「アンドレア・シェニエ」の上演に至りました。

上演の難しい「アンドレア・シェニエ」を選んだいきさつ

演出家の髙岸未朝さんは、三河市民オペラのことを私たち以上に理解してくれて、ふさわしい候補作品演目を提案してくれました。その中から選んだのはフランス革命で処刑された実在の詩人と伯爵令嬢の悲恋を描いた「アンドレア・シェニエ」。日本ではあまり上演されない演目です。時代考証に正確さが求められ、4幕分の舞台装置と衣装で制作費がかかります。要求される歌唱の難易度の高さと、主役以外にも主役級の歌唱力と演技力が求められる、難しい演目でした。髙岸さんからは「本当に大丈夫ですね」と何度も念を押されました。

演出家が演目選びで念頭に置いているのは、まず合唱が活躍できる演目、そして知名度ではなく、熱いドラマになり得る演目です。出演する三河市民オペラ合唱団は、地元のアマチュア合唱団ですが、共演する日本のトップのソリストが「この合唱団のパッションは凄い」と驚きます。プロの合唱団のレベルを超えていると高く評価され「プロとしてこの熱に負けられない。最善を尽くしたい」と言ってくれます。一緒に仕事をしている仲間という意識がないとこのコメントは生まれません。

上演まで、盛り上がりを醸成

ソリストは市民180人も参加する公開オーディションで決定します。その段階からもうオペラが始まっているのです。審査は指揮者と演出家の二人ですが、実際の公演では評価するのはお客様です。客席に座るはずの180人がどんな評価を与えるのか、審査の大きなカギでもあります。ここからオペラがスタートするので、180人はその後もずっと注目してくれました。

キャスト決定から上演までには2年近くかかりますが、その間を繋いでいくのが、演目をわかりやすく解説する「オペラセミナー」であったり、指揮者、演出家、キャスト、スタッフらが地元紙に思いを語る「リレーエッセイ」と「リレーインタビュー」、そして「ガラコンサート」などの企画です。例えば指揮者に、どういう想いでこのオペラに取り組んでいるかをセミナーで話してもらう。そうすると見えない部分が見えてきて、当日客席に座った時の期待感が違ってきます。

ソプラノの森谷真理さんには、豊橋市立豊城中学校での全校生徒に出前授業をお願いしました。大好評で、次世代育成にも繋がっていければとも思います。こうして徐々に盛り上がりを醸成していきます。

ソリストとスタッフ、合唱団と指揮者・演出家と制作委員会、お互いに刺激し合いながら創り上げていくのです。

三河市民オペラの特徴と目指すべきところ

制作にあたり、費用を削ろうとは考えませんでした。制作費をケチると幕を開けた瞬間に舞台から放つ熱がなくなってしまうのです。チケット収入だけでは完売しても当然赤字です。協賛広告と助成金と、後はこれまでのコンサート収益などの事業収入で賄います。制作委員会24名は、それぞれの企業で営業活動やマーケティングを行う、いわば経営のプロです。音楽のプロでなくとも自分の仕事のノウハウを使えばいいのです。お客様と舞台に関わる人たちみんなに満足してもらう方法を、さまざまに議論しながら進めます。 

舞台のキャスト、スタッフ、お客様、サポート体制を含め総勢4,000人近いカンパニーになります。協賛広告で300件、後援が42団体、助成が6団体。地元の桜丘高校の生徒たちが受付を手伝ってくれるなど、地域一丸での協力に本当に感謝しています。地域を巻き込み地域と一体で盛り上がっていくことは三河市民オペラの特徴の一つで、とても大切にしています。

上演は愛知県の地方都市ですが、この街の誇りにかけて日本のそして世界のどこにも負けない、熱い舞台と熱い客席を目指しています。

これから

制作委員会は「チケットの完売」ではなく「満員の客席」を目指しました。満員の客席が熱い舞台を生み出し、熱い客席を創り出すのです。オペラの上演は目的ではありません。制作を継続することも目的とはしていません。感動を生み出すことが目的です。継続は毎回の結果です。

カンパニーの活動を評価していただいたJASRAC音楽文化賞の受賞は、本当に嬉しく、今後の励みになります。みんなと、喜びを分かち合える幸せを噛みしめています。次回は未定ですが、「これからも頑張れ」と背中を押されている気がしています。

三河市民オペラ制作委員会 Profile

2005年、豊橋市の市制100周年を機に発足した豊橋市民オペラ実行委員会が母体。2006年「魔笛」上演。2008年、三河市民オペラ制作委員会と改組し、活動を三河地域全般に広げる。定期的にグランドオペラ、オペラコンサート、オペラセミナーを開催する等、オペラの楽しさを市民に浸透させるとともに、三河の音楽文化を全国に発信するための取り組みを行っている。2009年「カルメン」、2013年「トゥーランドット」、2017年「イル・トロヴァトーレ」、2023年「アンドレア・シェニエ」を上演した。2010年「第8回佐川吉男音楽賞・奨励賞」、2013年「豊橋市第58回市勢功労者」、2014年「第11回三菱UFJ信託音楽賞・奨励賞」、2018年「第26回三菱UFJ信託音楽賞」を受賞。




市民オペラがありえないことをやってしまった!

「アンドレア・シェニエ」演出
演出家 髙岸未朝さん



三河市民オペラの演出を担当したのは昨年の「アンドレア・シェニエ」で3回目となります。一般の市民オペラは上演されるベースに「楽しくやりましょう」という精神があるのですが、三河は「楽しく」だけでは駄目なんです。「関わる人全てに感動をもたらす!」という旗印のもと、地域の音楽文化の発展や、地域活性化にさえ貢献しようと盛り上げていく制作委員会のエネルギー...この莫大なエネルギーは他の市民オペラにはないものです。最初にお会いしたときにまず違いを感じましたね。本気度を試す意味で無理を承知で難題を提示しても、次に会ったときにはそれをすべてクリアしてくる。こちらもプロとして絶対恥ずかしいことはできないと身が引き締まる思いでした。

前回超えがマストのミッションの中、限られたオペラ作品の中からピンときたのが今回の演目でした。予算的なことも含めて上演までには相当な困難が予想されたのですが、それでも私の中には素晴らしいものができるという勝算がありました。ですから稽古場での妥協は一切なし。稽古場で熟成されたものが、本番で生まれる熱気やギリギリの緊張感と相まって客席に届くことで本番の感動が違ってくるのです。結果、全員が本番にピーキングして100%以上のパワーを出し切ってくれた。市民オペラがありえないことをやってしまったという感じです。いろいろな要素が一つでも欠けたらできなかったと思います。

制作委員会の皆さんはバリバリのビジネスパーソンなので、目標から逆算してタスクを設定していくのが得意。結果を求めるにはこのプロセスが必要ということですね。ところがゴールを設定しても、もっと先へ、もっと先へと、いつの間にかどんどんゴールが遠くへ移動していくんです! さらに高みを目指していこうという...これはアマチュアの域を超えていますね。私も相当刺激を受けました。私自身も時間をかけて「本物」を作り上げたいということが作品づくりの根幹にあるのですが、現実には制約があってなかなか難しい。それを実現できた稀有な団体でした。でも皆さん見えないところですごく苦労していたのはわかっていたので、終幕後に男泣きされている姿には心から感動しました。

今回の受賞では、目立たずとも着実に活動し、音楽文化に寄与していることをしっかり見ていただけたことをとても嬉しく思っています。本当に毎回ギリギリのところでやっているので次の上演があるかどうか分からないのですが、次があったら一体どうなるんだろう~という興味とともに、恐ろしい思いも抱いています(笑)。


髙岸未朝さん Profile
明治大学文学部演劇学専攻卒業。劇団俳優座研究所文芸演出部修了。演出作品「トゥーランドット」(2013年)、「ボッペアの戴冠」(2019年)で三菱UFJ信託音楽奨励賞を、「イル・トロヴァトーレ」(2018年)で三菱UFJ信託音楽賞大賞を受賞。東京藝術大学及び大学院、国立音楽大学及び大学院、相愛大学音楽学部、劇団俳優座演劇研究所各講師。劇団俳優座文芸演出部所属。




制作委員会のエネルギーが皆の勇気に

「アンドレア・シェニエ」マッダレーナ役(ソプラノ)
森谷真理さん



制作委員会の鈴木委員長と最初にお会いしたとき「チケットは売り切るのではなく、満席にすることを目指している」と、そして「チケットの販売はすべてこちらでやるので、舞台に専念してほしい」と熱弁されました。日本では出演者も含めて、皆で頑張ってチケットを売っていこうということが共通認識としてあると思うのですが、それをいい意味で覆されたということが最初の驚きでした。

オペラ歌手は身体が楽器です。東洋人向けのオペラもあれば、体格に勝る欧米人が得意とするオペラもある。特に「アンドレア・シェニエ」は日本人だけで歌手をそろえようとしたときに、配役が難しい演目です。主役の三役はよりドラマチックな声を求められることもあって、ダブルキャストで行うというところも凄く勇気がいる作品だと思います。そこをなんとか乗り越えていこうという心意気のもと企画されたオペラだと認識していました。

鈴木さんはしばしば「人を感動させたい」と口にされていましたが、それはきっとこのオペラに関わったすべての人に伝わっていたのではないでしょうか。どこをゴールにしているのかが明確で、ゴールに向かってすべての人が一丸となった熱気を稽古場でもひしと感じていました。

制作委員会の皆さんは、相当努力されていました。舞台装置や衣装をゼロから作り上げてかなりのレベルのものができました。しかも赤字を出していないのが凄いところ。そこは皆さん企業を率いる経営者の経済観念ではないでしょうか。例えば何かを商品として売る場合、赤字を出さずに顧客が喜ぶサービスを考えることはモノ作りの根幹ですよね。この制作委員会の運営は、私たちプロから見ても良きビジネスモデルとして、とても心強く思いました。

私たちが求めた「感動」にはお客さんの満足と喜びがありますが、そこに向かう純粋な気持ちが成功した秘訣だったのかなと思います。制作委員会が「カンパニー」全体に勇気をくださったと感じました。


森谷真理さん Profile
武蔵野音楽大学・同大学院卒業。マネス音楽院(ニューヨーク)修了。2006年メトロポリタン歌劇場「魔笛」夜の女王でデビュー。2019年の「天皇陛下ご即位を祝う国民祭典」で国歌独唱を務めた。三河市民オペラには「イル・トロヴァトーレ」(2017年)、「アンドレア・シェニエ」(2023年)に出演。名古屋音楽大学准教授、東京藝術大学講師、洗足学園音楽大学講師。
公式サイト https://marimoriya.com/




本物だけが人の心に伝わり、感動を生む

三河市民オペラ合唱団
団長 中内茂樹さん



プロのソリストは当然のこと、出演する市民がかなり熱くなって、かつある程度のクオリティも保って舞台に向かっているというのがこの市民オペラの大きな特徴ですね。そしてソリストが日本のトップクラスであること。日本にはプロが所属する団体が複数あって、別の団体の人たちが同じ公演に出るというのはなかなか難しい。オールスターキャストで集められるのは、この市民オペラならでは。そういう方々と同じ舞台に立てるのも我々のモチベーションになっています。

最近、時間を効果的に使おうと"タイパ"(タイム・パフォーマンス)を重視するという風潮がありますが、オペラの制作は真逆なんです。なぜ非常にタイパが悪いオペラに、いい大人が首っ引きになってやっているのかという理由は、端的に言うと演出もソリストも美術も、舞台を含めて本物だ、ということ。本物に到達するには時間がかかり、本物だけが人の心に伝わるということが、やっているうちにわかってくる。制作委員会の鈴木さんとも良く話すのですが、見てくださった方々に本物が持つオーラや迫力が伝わって、その客席からの反応が舞台にいる我々に伝わることで感動が生まれるのではないかと思うんですね。皆そこを目指して熱中する。効率的にやろうと思えばその分無駄を省かざるを得ない。だけど本物を作るには無駄を含めて全てが必要で、時間がかかるのです。

制作委員会も合唱団もおのおの仕事を持ちながら、よくやっているなとお互い思っているんじゃないかな。でもこういう本物に出会える縁って生きているうちに何度もあるわけではないので、合唱団のメンバーはすごく幸せだと感じています。

制作委員会は本当にクレイジーな団体です。これは褒め言葉ですから(笑)。クレイジーになれることに出会えたのは幸せだということです。

今回三河市民オペラがこの音楽文化賞の受賞により、たくさんの人に知られることは本当に喜ばしいこと。このようなモデルが日本全国に伝わって、他の市民オペラも活性化するというような、そういうサイクルに入ると素晴らしいなと思いますね。


中内茂樹さん Profile
豊橋技術科学大学大学院博士後期課程修了。現在、豊橋技術科学大学 副学長(国際担当)および情報・知能工学系教授。2017年より東フィンランド大学Docent (School of Computing)。質感認知や視聴覚選好など、ヒトの認知メカニズムに関する研究に従事。2011年文部科学大臣表彰、経済産業大臣賞受賞。工学(博士)。