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【第10回JASRAC音楽文化賞受賞】パリ祭実行委員会 委員長 窪田 豊さん「シャンソンは人生を歌う」

2023年11月17日、第10回JASRAC音楽文化賞の受賞者3者を発表しました。昨年61回目を開催したシャンソンの祭典「パリ祭」を主催する、パリ祭実行委員会の窪田豊さんのインタビューをお届けします。


パリ祭の誕生から

窪田 豊さん

「パリ祭」は日本のシャンソン界を半世紀にわたりけん引し続けた石井好子さん(1922~2010)が始めたイベントです。石井さんが音楽事務所を立ち上げた1961年に、会員を集めてシャンソン友の会を作りました。それが今のシャンソン協会に繋がっているのですが、そこから所属タレント全員でコンサートを、というところから企画されたと聞いています。フランス革命記念日の7月14日に行う祭典として1963年にスタートしました。昭和30年代はシャンソンの全盛期で、紅白歌合戦にも多くのシャンソン歌手が出場していました。

私は第10回から関わったのですが、シャンソンといってもテレビで「あんみつ姫」をやっていた中原美紗緒さんや、芦野宏さんが歌っているのを聞いて知っていた程度。世代としてはビートルズと舟木一夫とザ・タイガースですから。学生時代に友人から誘われて、石井事務所でアルバイトをしており、卒業と同時にそこに就職したのです。石井事務所でのアルバイトはホテルオークラ座付きのバンドボーイで、音響のセッティングだとか照明とかステージの基本的なことが分かっていたため、それを請われたのかもしれません。入った翌年からいきなりパリ祭の演出を任されたんです。そこからなんとか毎年続けることができ、97年からは実行委員会を組織して、今年(2023年)第61回目を開催することができました。

初期のパリ祭

実は私が関わり始めた昭和40年代後半、シャンソンは一時の勢いを失い、低迷期に入っていました。日本の音楽界も多様化してきて、特に若者はフォークやロックに傾倒していったので、なかなか新しいファンが根付いていかなかったんでしょうね。そうは言ってもコアなファンは健在です。当時は日比谷公園大音楽堂(野音)で開催していたのですが、前日に公会堂でコンクールをやって優勝者を決めたりと、前夜祭も開催していましたね。当日は会場に入れずに木に登って観ている人もいました。野音も今と違って木の長椅子が整然と置かれて、一応座席番号はあるんですがあってないようなもの。一部のご婦人方から「私がこんなところに座るの?」などと言われたものです。その辺はやはりロックコンサートとは客層が違うというか、ブームの頃は芸大や音大の卒業生が歌うことが多くて、ちょっと高貴なイメージがあったようです。

石井好子さんのこと

石井好子さん(2009年撮影)

石井さんがご健在の頃は現場の緊張感が今とは全然違いましたね。石井さんが会場入りすると歌手もスタッフももうピリッと、本当に空気が変わるんです。他の人とは違うオーラを持っていらっしゃいました。パリ祭を続けているのは、その石井さんの遺言なんです。パリ祭は当初、プロ歌手の育成も目的としていましたが、徐々に歌手のアピールの場としての要素が強くなってきました。石井さんはそれでもシャンソン界にとって悪いことではないと「どんなパリ祭になってもいいから、とにかく続けてほしい」と常日頃私に言っていたのです。だから私が途切れさせるわけにはいかないという思いでやってきました。

石井さんの遺志は多くの出演歌手にも伝わっていますね。この祭典がなくなったら日本のシャンソンは消えるという危機感を皆さん持ってくれています。コロナ禍でも途切れることなく続けられたのも、クラウドファンディングや募金活動で歌手やスタッフ、お客様の協力でピンチを救っていただけたからです。本当に感謝しかありません。

これからのシャンソンを支えていくために

シャンソンが低迷しながらも生きながらえてきたのは、出演している歌手たちが、地方を含めてカルチャーセンターで教室を開いていることも大きな要因です。ただし生徒さんは高齢者が多い。下手をすると先生よりも高齢という場合も多いようです。これからもシャンソンが残っていくためには、若い世代をいかに開拓していくかが課題です。カルチャーセンターの生徒さんたちがパリ祭のお客さんとして、子や孫を連れてくる。家族を通じて若い世代がシャンソンに触れることで、自分も歌ってみたいと思うようになればいいと思っています。シャンソンの曲はコマーシャルを通じて耳にすることも多いですし、大物アーティストが節目で歌うことも少なくないです。どこかで聞いたことのある曲というのが重要で、すそ野を広げる意味でもまだまだ希望はありますね。

我々実行委員会でも毎年違ったテーマを決めて、マンネリ化しないような趣向を凝らした内容を考えています。10年先までアイデアのストックはあるんですよ。歌手が高齢化して、段々歌って踊れる方が少なくなっている悩みもありますが、後進も育ってきており、若くて歌って踊れる歌手が出番を待っているような状況です。

人生賛歌であるシャンソン

シャンソンの歌詞は奥が深い。曲よりも歌詞の方が重要な要素が強いんです。シャンソンは人生賛歌です。悲しい歌や残酷な歌もあれば、勇気の出る歌や愛の歌もあります。作詞家の実体験からくる歌が多いんですね。例えば、"末の娘を嫁に出し、明日からはあなたと二人で生きていくのね"という意味の歌がありますが、実際に娘を嫁に出したお母さんは、パリ祭でこの曲を聞くと自分の歌だと思う。「娘は嫁に行った。明日からはあなたと二人で生きていく。嫌だけど仕方ない」と。嫌なことや落ち込むことがあっても、年に1回パリ祭で男女の恋や人生の哀歓を歌った曲を聞いて共感して、そしてリフレッシュして帰っていただきたい。シャンソンを少しでも明日からの生活の糧にしてもらえれば、こんなにうれしいことはありません。

パリ祭実行委員会 Profile
日本のシャンソン界の草分け、石井好子氏が中心となり、1963年のパリ祭の日(フランス革命記念日の7月14日)に日比谷野外音楽堂で第1回が開催された。その後、会場を変えながら毎年開催され、日本を代表する歌手や海外のスターが多く出演、シャンソンを心から楽しむフェスティバルとして認知されている。1997年の第35回から現在の実行委員会方式として企画・運営が引き継がれ、すべてのジャンルの歌手が集う祭典となった。60年の節目を迎えた2023年、第61回が東京ドームシティホールで開催された。