作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー

宇崎竜童 RYUDO UZAKI

作品紹介
主な提供楽曲
山口百恵
「横須賀ストーリー」「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」「絶体絶命」「美・サイレント」「さよならの向う側」
石川さゆり 「石畳」
五木ひろし 「江戸の手毬唄」
岩城滉一
「センチメンタル・ハーバー」
うつみ宮土理 「情事」
梅沢富美男 「恋曼荼羅」
℃-UTE 「江戸の手毬唄II」
研ナオコ 「愚図」
小林 旭 「みだれ雲」
郷ひろみ 「禁猟区」
坂本冬美 「乱」
ジェロ 「海雪」
杉山清貴 
「風を感じる街~YOKOSUKA」
瀬川瑛子 「笑いじわ」
高田みづえ 
「ドリーム・オン・ドリーム」
髙橋真梨子 
「目を見て語れ 恋人たちよ」
田原俊彦 「あッ」
TAMAO&KIYOSHI 「ラブリィ」
地井武男 「OH!散歩日和」
鳥羽一郎 「海よ海よ」
内藤やす子 「想い出ぼろぼろ」
夏川りみ 「ハグしちゃお」
NO PLAN 「志なかば」
水谷 豊 「故郷フィーリング」
薬師丸ひろ子 「紳士同盟」
渡辺典子 「晴れ、ときどき殺人」
和田アキ子 「もっと自由に」
YOYO’S 「大漁豊漁ぼやき船」
など多数

主な映画音楽
(数字は製作年)
「曽根崎心中」
(増村保造監督、1978)
「駅 STATION」
(降旗康男監督、1981)
「TATOO<刺青>あり」
(高橋伴明監督、1982)
「晴れ、ときどき殺人」
(井筒和幸監督、1984)
「海へ See You」
(蔵原惟繕監督、1988)
「社葬」
(舛田利雄監督、1989)
「新宿少年探偵団」
(淵井正文監督、1998)
「秘密」
(滝田洋二郎監督、1999)
「学校の怪談4」
(平山秀幸監督、1999)
「かあちゃん」
(市川昆監督、2001)
「嗤う伊右衛門」
(蜷川幸雄監督、2003)
「ニワトリはハダシだ」
(森崎東監督、2003)
「映画監督って何だ!」
(伊藤俊也監督、2006)
「TANNKA 短歌」
(阿木燿子監督、2006)
「禅 ZEN」
(高橋伴明監督、2008)
など多数

アンケート
こちらでアンケートを実施しています。
お答えいただいた方の中から抽選で5名様に、宇崎竜童さんオリジナルグッズ「BOOGIE WOOGIEタオル」をプレゼントいたします。ご応募をお待ちしております。

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イチローのように、間口を広く持っていたい
ジェロが歌った『海雪』は、演歌を作ってほしい、というオファーだったんです。でも自分は演歌の作曲家じゃないし、作詞の秋元康さんも演歌の作詞家というわけじゃない。そこに演歌を作ってくれ、しかも歌うのは外国人。これはオファー自体が何かを狙った変化球、フォークボールみたいなものです。それに対して、僕らはどんなボールを投げられても打ち返す、野球でいうイチローにならないといけないわけです。少し前には、「70年代の歌謡曲みたいな、ポップス」を作ってほしいという依頼もあったんですよ。こういう無理な注文は…大好きです(笑)。

もう10年以上、蜷川幸雄さん演出の舞台で音楽を担当していますが、舞台は曲数も多いし音楽も多種多様。たとえば、映画だとセリフを消さないように音を調整してもらえるけど、舞台ではそれがないので、セリフに勝たない音楽にしないといけない。曲数も50曲くらい書いて渡しても、演出が変われば全部書き直し。メロディーのない楽曲を書いてくれと言われたこともあります。どういうことかというと、音色のあるSE(効果音)がほしいと。いろいろな要求をされて、試されている感じがしますね。

今は、どんな依頼に対しても応えられるように、色々な分野のアレンジャー、ブレーンを100人はそろえています。この仕事ならこの人と組もうとか。もともと色々なジャンルの曲を書きたいと思っていたし、作曲家としての間口は広く持っていたいんです。今までロック、ポップス、演歌、フラメンコに映画や舞台、ありとあらゆるジャンルの楽曲依頼を受けてきて、作曲家としての間口は右から左まで、180度あると思っています。でもまだあと残り180度ある。還暦を迎えたとき、あと10年で残りの部分をカバーしていきたいと思いましたね。

たった1曲、赤道直下の子供に届く歌を
今後の目標は、百年後に見知らぬところの見知らぬ子供が、誰の歌か知らずに、楽しいときにふっと口ずさんでしまう親から聞いた曲、そういう曲を作ることです。
以前、アフリカの小さな村に行ったことがあるんです。自給自足で暮らしているような。そこに何の店かわからないけど商店があって、カセットテープが置いてある。大方はアフリカの民族音楽のカセットなんですが、そこにぽんと『スタンド・バイ・ミー』が置いてあったんです。「すげーな」って思った。『スタンド・バイ・ミー』ってここでも聴くやつがいて、歌うやつがいるってことですよ。僕は今までに、映画や舞台の曲を含めるとたぶん4千曲くらい作っているけど、何千曲作っても、赤道直下の村で歌われる歌は作ってないなって思うんです。赤道直下で「スタンバイミー」って歌う子供はベン・E・キングなんて知らない。それはすごいことだなって。あと何千作るよりも、たった1曲、赤道直下の子供が歌う歌を作りたい。それが究極の目標ですね。

演奏活動のほうは、充電しながら時折オファーに応えさせてもらっています。お話をいただけば、どんな年代向けのコンサートでも、行って歌います。でも自分のために楽曲作ってCD出してっていう方向には、今はちょっとない。歌を歌う仕事を30数年やってきて、自分のことをしながら隙間に人のことをやっていた。今は逆転していて、人のことをやるほうが楽しいんです。

たくさん書けるエネルギーと、客観性を持って
これから作曲を目指す人に言いたいのは、まず、たくさん書いてねってこと。今はCDだけじゃなくて音楽配信とか、曲を発表する形はいろいろある。だから昔よりも作曲デビューのハードルは低くなっているんじゃないかな。でも、レパートリーが少ないと、たとえばバンドデビューして最初のアルバムが売れても、3枚目ぐらいで息切れしちゃって解散、っていうのはよくある話なんです。それはストックがないのと、鍛えてないからだと思います。売れると忙しくなって、作る暇がなくなる。それこそ電車の中で書くぐらいのエネルギーがないと、次のアルバムに結びつかない。プロデビューするっていうことは、自分の中にそれだけのエネルギーがあるっていうことなんです。

それから、作った曲を録音してパソコンなどに入れて、自分で聴いて、客観性を持つことが大事。作りっぱなしじゃなく。やっぱり胸を張って世の中に発表しなきゃ、プロの作家にはなれない。僕らの時代は、「すいません僕の作った歌聴いてください」ってディレクターに無理やりアポイントを取って、毎日通って、会って、聴いてもらって「才能ないね」ってはっきり言われちゃったりしたんですよ。でもそれで発奮して、「いい曲作らなきゃ」って思った自分がいた。だから、僕のところに作曲家になりたいって言って来る人には、思ったことを言うようにしています。入口はいいけどサビがないよね、とか。僕は今ヒットしている楽曲にはあまり何かを感じられないけど、もしかしたら若い人はそれでいいのかもしれない。僕のアンテナが錆付いているのかもしれない。それでも、僕のところに来た人には、やっぱり、正直に思ったことをきちっと言ってあげたいと思っています。