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和太鼓がふるさとと自分を繋いでくれた。

山木屋太鼓
会長 遠藤元気さん

(2022年9月公開)

震災で気づいたこと

 私が山木屋太鼓の活動を牽引しているのも、また、本業としてソロの太鼓奏者になったのも、2011(平成23)年の東日本大震災がきっかけでした。

 ここ福島県川俣町の山木屋地区は、町内でも原発事故で唯一避難指示が出された地区です。当時、私はまだ山木屋太鼓の会長ではなかったのですが、避難する中、「どうしたら山木屋太鼓を続けられるだろうか」と考えていました。先の見えない混乱した状態の中、これからどうやって生活していくかよりも、仲間と演奏を続けられなくなることに大きな不安を感じていたのです。ふるさとを離れて実感できたのは、幼いころから慣れ親しんできた山木屋の太鼓の音が、私にとって生きる支えになっていた、ということです。色々な選択肢があった中、私は迷わず帰郷しました。和太鼓が故郷と自分とを繋いでくれたと思っています。

 太鼓をやっていなかったとしたら、ここまで故郷を思うことはなかった。被災して姿を変えた故郷で、変わらない故郷の姿を取り戻すには山木屋に伝わる太鼓の音を仲間と再現する、ということが私にとって自然な流れだったのです。大切なことに気づかせてくれた故郷、山木屋、そして「福島」がこれからも私たちの活動の拠点です。

創作について〜山木屋太鼓の特徴

オリジナル創作曲「星祭り」

 山木屋地区に伝承する太鼓と甚句と踊りを再現していた「山木屋やぐら会」の親子組織として2001(平成13)年に山木屋太鼓クラブが結成されました。2008(平成20)年に山木屋太鼓と改名し、現在に至ります。当初は太鼓の数も少なく竹や車のタイヤで練習していましたが、宝くじ助成事業で和太鼓が相当数確保できたことから、現在のしっかりとしたチーム編成に移行していきました。

 私たちが創作した曲については、譜面ではなく口伝(くでん)、口唱歌(くちしょうが)でメンバーに指導します。対面して動きを見せ、出音を覚えてもらうコミュニケーションの仕方を大事にしています。

 和太鼓は“ザ・シンプル”の楽器です。バチを振ることができれば、子どもでも初心者でも音を出せる。でも奥が深く、さまざまな可能性を秘めている魅力的な楽器です。打楽器ですからメロディーを奏でることはできませんが、山木屋太鼓のレパートリーは自由度が高い創作太鼓で、どんな和太鼓も自由に使え、それをうまく組み合わせてメロディーのように演奏したり、担いで振りを付けて演奏したり、横笛を入れたりとアレンジしています。打ち手によって音は変わります。男性と女性では音色が違う。各々が集まれば一度に色々な音を出すことができ、打ち手の人数によっても変化します。その特徴を生かし、メンバーの魅力を引き出し発展させていくスタイルです。

 ただテーマは一貫して「故郷の自然」。そこで生まれ育ったからこそ表現できる「故郷の自然」というのが曲のイメージの根本にあり、そこを大事にしているところが私たちの魅力、強みになっているのかと思います。

2015年から自主公演を開催。海外で演奏も

自主公演(2021年)

 2015(平成27)年から年に1回自主公演を開催しています。2022(令和4)年の今年も5月に福島市で開催しました。山木屋太鼓を継続できるのはいろんな人の応援や支えのおかげであることを震災が気づかせてくれました。自主公演の目的は恩返しをしたいという思いです。地元にもホールはありますが、交通の便の良い福島市で催せば、お世話になった方々に来てもらいやすいというメリットがあります。演奏を見ていただくことで、今の自分たちを伝えていくことができればとも思っています。

 震災翌年の2012(平成24)年には米国・ワシントンDCで公演することができました。山木屋地区に赴任していた英語の米国人教諭の働きかけで、官民による復興支援プログラム「TOMODACHIイニシアチブ」の助成を受け、現地の「桜祭り」に招聘されたのです。震災間もない頃は、地元で練習するにも太鼓の響きで地震の地鳴りを思い出されたりしないか、練習に汗を流すよりも復興作業に時間を割いた方が良いのではないかなど、ネガティブな気持ちや迷いが生じていた時期でした。しかし現地で演奏に感動してくれている人の姿を見たとき、自分たちは間違っていなかったんだと気持ちを前に向けることができました。また和太鼓というのはこんなにも魅力のある楽器だったんだと改めて気付かされました。

 2016(平成28)年の同じ米国・ミシガン州での公演は、米国在住の日本人映像作家の女性による取材がきっかけでした。彼女は、「福島」について海外でいろんな情報が行き交っている、正確な情報はどれなのか、実際に被災地を訪れて、そこで生きる人たちを取材したいと考え、その活動の中で山木屋太鼓に出会ったのです。取材を終えて帰国した彼女と連絡を取り合う中、ミシガン州デトロイトは治安が悪い、工業地帯で暗いなどの誤解を持たれていると聴き、福島が放射能で人が住めない、住んでいる人たちは皆危ないと思われている誤解と似ていることに気付きました。音楽の力でデトロイトのイメージを変えようとしている人々の活動と、地元を鼓舞していきたい私たちの活動が重なることから、彼女の熱心な招待を受けることにしました。クラウドファンディングに賛同してくださった方々のおかげで渡航費用の一部を工面でき、現地でもさまざまな協力を得られ、ふるさとを思う人々に向けた熱い演奏をすることができました。海外での演奏で、音楽を媒介とする交流により手ごたえを感じることができました。

震災から活動再開まで

自主公演(2022年)

 最も多いときで会員は50人ほどおり、そのほとんどが子どもでした。現在は子どもと大人を合わせて18人。震災以降、生活環境の変化などの理由からメンバーが年々減っていったのです。徐々に山木屋地区の子どもの数が減り、それに伴い山木屋太鼓に入会する子供たちもいなくなりました。地域と共に歩んできた私たちにとって、子どもの存在はとても大きなものがあります。地域全体の和が広がるのです。

 ソロの和太鼓奏者として生きることを決意した私には、幸いにして時間ができました。そこで川俣町の教育委員会に相談して、町内の幼稚園・保育園に出向き、園児に太鼓の実演を体験させられないかと提案しました。子供たちが和太鼓に触れる機会があまりないためです。体験活動を地道に3、4年続けると、一人二人と山木屋太鼓の活動に入会したいという希望者が増えてきました。太鼓の楽しさを感じてくれた子、また続けてみたいと思ってくれた子が、町外からも門を叩いてくれています。今はコロナ禍で、公に演奏する機会が減りましたが、この子たちが演奏するのを見た子が参加したいと思ってくれればと、今それを楽しみにしています。

 私も太鼓を始めたきっかけは、太鼓への一目惚れでした。子どもたちに「太鼓は楽しい」ということが伝わるよう、山木屋太鼓の活動を間近に見てもらえればと思っています。

これから

 和太鼓に出会ったこと、和太鼓で経験してきたこと全てに感謝しています。和太鼓を通してこれからの山木屋地区、故郷を自分がどう表現していくか。時代に合わせて変えていくところは変えていくけれど、「故郷の自然」をテーマとするところはぶれずにやっていきたい。活動を通じてまた新たな出会いがあって交流が生まれる。そういうことをこの先も続けていけたら素敵だなと思っています。

Profile
1988(昭和63)年生まれ。10歳から太鼓を始める。2013(平成25)年、福島県川俣町で2001(平成13)年に旗揚げした「山木屋太鼓」の会長に就任。和太鼓の伝統継承と地域に根ざした若者育成の活動を続けている。地元が福島第一原発の事故に伴う避難地区に指定された際は、避難所暮らしをしながら練習を重ね、国内外での公演に取り組んだ。山木屋太鼓は復興に向けた力強い意志を表現してきたと称えられ、2016(平成28)年、第3回JASRAC音楽文化賞を受賞。

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