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気負いなく、生涯にわたって一緒に音楽を楽しむために。

気仙沼ジュニアジャズオーケストラ
「スウィング ドルフィンズ」
会長 菅野敏夫さん

(2022年9月公開)

朝ドラに出演したドルフィンズ

2016年、第3回JASRAC音楽文化賞贈呈式での
菅野敏夫さん

2011年4月24日、避難所での演奏

 2021(令和3)年に放映されたNHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」に、スウィング ドルフィンズのメンバー6人がエキストラ出演しました。ドラマでは、ヒロインが気仙沼市出身で、中学時代、吹奏楽部に所属していたという設定です。この企画には前年から、NHKと気仙沼市役所の担当者から当バンドがモデルになっていることを聞かされ、バンドの協力体制を話し合っていました。演奏シーンを含む出演の場面が何度も放映されたことから地元で話題になりました。なかには『まだ続いていたのね?』と。

 この番組のおかげで、やっと気仙沼の隅々にまでドルフィンズの存在が浸透した感じがします。結成当初から連続出演している「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」は、地元の気仙沼ではなく仙台市で行われているイベントですし、コロナの件もあり、市民の間近で演奏する機会が減っていたことも事実です。振り返れば、2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災の翌月の4月24日、地元を音楽で励ますことができたらと避難所の施設内で演奏して以来、不特定多数の気仙沼市民にドルフィンズを思い出すきっかけになったことと感じています。

ゆとり教育の受け皿を先取りしたドルフィンズ

1993年、結成当時

 スウィング ドルフィンズは、1993(平成5)年、気仙沼市内で働きながらバンド活動していた仲間たちと創設した、手作りのビッグバンドです。

 バンド結成のきっかけは、バンド創立の発起人である、須藤丈市(スウィング ドルフィンズの二代目会長)が職務中に大怪我を負ったことにあります。ちょうど1992(平成4)年、新しい教育指導要領、いわゆる「ゆとり教育」が始まり、導入された「週休二日制」を家庭や地域がどうフォローできるか議論していた時期でした。自由に演奏することが叶わなくなった須藤が、入院中に自身の半生を振り返る中で音楽から受けてきた恩恵に気付き、音楽を通じた地域貢献で何らかの還元を果たせないかと考えたのです。須藤の呼びかけに市内の音楽仲間が賛同し、気仙沼の子どもたちをメンバーとするビッグバンド結成が実現しました。音楽を通じて協調性や主体性を養い、気仙沼を愛する頼もしい青少年を育てようというのが私たちの目標です。くしくもゆとり教育の受け皿を先取りする形になりました。

気負いなく生涯にわたって音楽を楽しむ

 『生涯にわたって音楽を楽しもう』ということがドルフィンズの大事なコンセプトです。このため、子どもたちに演奏をアドバイスする仲間を「指導者」でなく「運営委員」と名付けています。私たちは子どもたちから愛称で呼ばれたり、『おんちゃん』(地元での「おじさん」の呼称)と声をかけられたりしています。

 そもそもドルフィンズの運営委員は“素人集団”です。ビッグバンドについて本格的な指導を受けた面々ではありません。プロの講師、音大出身者などの指導者に恵まれているバンドと演奏の技術を競えば、敵わないと思っています。ただ私たちは故郷の気仙沼で活動していることに意味があると思っており、子どもたちと一緒になって、気負うことなく純粋に音楽を楽しむことができればと考えています。

 バンド結成当時は、子どもたちのJAZZバンドをつくったことで「子どもにJAZZをやらせるなんて」と批判もありましたが、現在ではジュニアバンドが全国各地に結成され、いろいろなイベントも開催されています。そもそも学校で取り扱う音楽が全てではありません。子どもたちにいろんなジャンルの音楽と出会える喜びを授けたいと思っています。例えば、JAZZがそれです。スタンダード曲を練習する場合、CMに使われていることに気付いてもらったりしています。カウント・ベイシーやスタン・ケントンらの名前を知らなくても、彼らの作品が身近にあること、また作品が作られた背景や歌詞などにも関心をもってもらうよう努めています。

感謝の気持ちを忘れない

2013年、ニューオーリンズでの演奏

 東日本大震災から2年が経った2013(平成25)年、子どもたちが官民の支援を受けて渡米し、JAZZの発祥の地とも呼ばれるニューオーリンズ市で歓迎を受けました。

 同市は、2005(平成17)年、大型ハリケーン「カトリーナ」に襲われ、地域の8割が水没する大被害を受けています。現地の人々は、その際に日本の音楽関係者らが多額の寄付金と楽器を贈ってくれたことへの感謝の気持ちを忘れていませんでした。その6年後、東日本大震災が起きたとき、彼らは関係者を通じて、練習場所と楽器を失ったスウィング ドルフィンズの存在を知り、すぐさま楽器の寄贈を決断してくれたのです。震災のわずか翌月に、傷ついた市民に向けて演奏できたのは、そのおかげでした。

 現地で巡演した子どもたちの満面の笑みは、何ごとにも代えがたい経験をした証でした。初代会長の佐藤正俊(故人)や須藤ら仲間たちと、手探りでゆとり教育の一端を担った大きな成果を感じ取った瞬間でもあります。

 また同時に、結成して以降、ドルフィンズがいかに多くの人々の支援を国内外で受けてきたか、また表に出ないものの陰で支えてきてくれた人々のことを忘れてはいけないと考えました。この点は今後も、子どもたちとしっかり共有していきます。

活動を続けることの意味

2015年、定禅寺ストリートジャズ
フェスティバルでの演奏

 震災以降、気仙沼市は人口流失の加速に伴い、少子化が進んでいます。当然のことながらバンドメンバーの数が減っています。手伝ってくれるOB、OGを除くと、現在11人です。当初は小中学生が対象でしたが、せっかく上手くなったのに高校で辞めるなんてもったいないと思われたり、大学生になってもドルフィンズの活動に関心を持ってくれたりして、二十歳前後のOB、OGの手を借りて何とかバンドの形態を維持しています。

 運営委員をどう確保していくかも課題です。創設時のメンバーは手探りで、家族をないがしろにして指導に取り組んできました。後進に同じ道を歩ませるわけにはいきません。一方で運営が厳しいからと休止するのは簡単ですが、気仙沼で一度休止してしまうと再び立ち上がるのが困難な気がします。

 そのような中、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」で、聴衆の一人である年配のご婦人から、ドルフィンズの演奏を『ずっと聴いてきたわよ』『いつも楽しみなの』と声をかけられたときのことを思い出します。子どもたちにとって観客に『Yeah!』と言ってもらえる機会はなかなかないのではないでしょうか。そういう心が躍る経験をドルフィンズの活動で得られるのなら、バンドを存続できる“仕組み”を作っていかなければと考えています。

 私が30代前半で仲間とスウィング ドルフィンズの結成に立ち会ってから、あっという間の30年でした。若き日の私はグレン・ミラー、メイナード・ファーガソン、バディ・リッチ、そしてカウント・ベイシーらに憧れてビッグバンドに取り組んだのです。その時の気持ちは今もなお、ドルフィンズと共に続いています。

Profile
1958(昭和33)年生まれ。1983(昭和58)年、千葉県中学校教諭に採用。1985(昭和60)年、宮城県中学校教諭に採用と同時に気仙沼市内の中学校に赴任。1993(平成5)年、スウィング ドルフィンズの結成に参画し、現在3代目の会長を務める。2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災で気仙沼市一帯が被災した中、わずか翌月に、国内外の関係者の支援を受けて避難所施設内で同バンドによる演奏会を実施。また2013(平成25)年、同バンドが楽器の寄贈元である米国ニューオーリンズ市で返礼の演奏を行い話題となる。同バンドは、音楽の力を復興と交流に生かした実績で、2016(平成28)年、第3回JASRAC音楽文化賞を受賞。

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