音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第9回 羽岡 佳 Kei Haneoka

Profile

1977年生まれ 東京都出身
日本大学芸術学部音楽学科(作曲専攻)を卒業後、テレビ・ラジオ・CM・舞台などのインスト系作品の作曲を手掛ける。その後、ポップス系作品の作曲にも取り組むようになる。これまでに手掛けたサウンドトラックは、ドラマ・映画「チーム・バチスタシリーズ」、ドラマ「GTO」(2014年、2012年)、「悪貨」、「震える牛」、「刑事のまなざし」、「RESCUE 特別高度救助隊」、映画「リアル~完全なる首長竜の日~」、スーパー戦隊シリーズ「烈車戦隊トッキュウジャー」、アニメ「憑物語」、「ネギま!?」など多数。また、伊勢大貴、東方神起、タッキー&翼、井上芳雄、ZONE、椎名へきる他、ポップス作品も数多くのアーティストに提供している。
2003年4月からJASRACメンバー。

■Official web site
http://www.creekltd.com/haneoka.html

【取材協力】
有限会社クリーク

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で3名様に羽岡さんのサイン入りBlu-ray(特典CD付き)とサイン色紙をセットにしてプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

※羽岡 佳さんへのインタビュー取材の様子をニコニコ動画「JASRACちゃんねる」で公開中!

ニコニコ動画 JASRACちゃんねる

  1. Vol.1
  2. Vol.2
  3. Vol.3

Vol.1 音楽にかこまれていた幼少期

アニメやドラマ、CM音楽のほか、アーティストへの楽曲提供もされるなど、幅広くご活躍されている羽岡さんですが、まずは、音楽に興味を持たれたきっかけを教えてください。

羽岡:父が羽岡仁(JASRACメンバー)という音楽家でして、そのおかげで色々な音楽体験をしました。父は森進一さんや森昌子さん、テレサ・テンさんに楽曲を提供したり、CMの音楽をつくったり、アニメの曲を歌ったりしていました。物心ついた頃からそういう仕事の気配を感じていて、3歳くらいのときにラジカセをおもちゃ代わりにもらってからは、父が色々と教えてくれるようになりました。

具体的にはどんなことを教わったんですか?

羽岡:自宅には父の機材があったので、多重録音のやり方やスコアの書き方、ジャンルごとに書き分ける方法などを教わりました。生演奏を聴く機会もたくさんあって、どんな楽器があってどういう演奏をするのかとか、レコーディングの時に大きなスタジオにも連れて行ってもらいました。CMの曲で子どもの歌が必要となると、僕もスタジオで歌ったりしました。80年代に流れていた「学研のおばちゃん」というCMがあるんですけど、あれを歌っていたのは僕なんですよ(笑)。

そうだったんですか。それはすごいですね。ちなみに、多重録音はいつ頃から始められたんですか?

羽岡:小学校3、4年生の時に、父のお下がりの機材を使って始めました。中学校に入ってからは、父の仕事を手伝い始めたんです。僕が機材のセッティングをして、父が打ち込みの作業をして、打ち込み終わったデータを僕がまたシーケンサーで編集していました。歌録りやギター録りを手伝ったり、一緒にミックスダウンもしました。そんなことから、中学校2年生のときに自分も作曲をやりたいなと思って、ピアノを習い始めました。

小・中学校の頃は、どういうお子さんだったんですか?

羽岡:大人しい子でしたね。みんなで遊んだりしているときも、早く家に帰って音楽に触れたいと思っていました(笑)。レコードやCDを聴くことではなく、つくることにしか興味がなかったです。高校生の時には、作曲の仕事をしたいと思っていたので、流行歌や様々なジャンルの音楽を聴いていましたけど、あくまでも将来の仕事のためのヒントを探すような感じでした。

いつ頃から作曲をはじめたんですか?

羽岡:小学生の時、ピアノでコードを弾いてメロディをつくっていました。黒鍵を弾けなくて、一番簡単なキーでしか弾けませんでしたが、当時の録音テープを聞いたら、曲の骨格は今とそんなに変わらないんですよ。細かい所はステップアップしていますけど、メロディ自体はそんなに変わっていないんです。

今でも当時と根幹が変わっていないというのは興味深いですね。

羽岡:そうですね。たいして楽器も弾けなかったわりには音楽になっていました。

その後、日本大学芸術学部音楽学科へ進まれています。音大ではなく、なぜ日大だったのでしょうか?

羽岡:当時、父親の知り合いの音楽プロデューサーやアレンジャー、作曲家の方々に日大芸術学部の出身者がとても多かったんです。それで、自分も入りたいなと思いました。

周りの影響が大きかったんですね。

羽岡:日大芸術学部出身者には、クラシック音楽に限らず、様々なジャンルでご活躍されている方が多かったことも決め手になりました。

大学では具体的にどのようなことを学ばれたのでしょうか?

羽岡:基本的には現代音楽の作曲です。どういう理論でつくるのかを勉強して、実際に作曲をします。また、入学するまでに勉強した調性音楽の和声法や対位法もすごく役に立っていますね。

大学で学ばれたことや、入学する前に勉強されたことが今でも活きているんですね。

羽岡:今は勉強する時間がなかなか取れないので、その頃のインプットを応用、実践して身体に覚え込ませていくということを繰り返している感じですね。

大学での勉強を経て、プロでやっていける自信はつきましたか?

羽岡:大学2年生の頃から、知り合いの紹介で作曲をやらせてもらえるようになってきました。そんな中、当時とてもお世話になっていた音楽プロデューサーで、「ザ・カーナビーツ」でベースを弾いていた岡忠夫さんが僕を大抜擢してくれて、テレビ静岡の開局25周年記念ソングの仕事をやらせてもらったんです。でも、力が全然足りないなと実感して、やればやるほど自信がなくなっていきました。発注に応えるということが全然できないなと思いましたし、関係者の方々とのやりとりも全然できていないなと思いました。

その時点では、卒業してもプロでやっていけるのかなという不安があったんですね。

羽岡:不安はありましたが、スタジオの仕事は面白かったので、やりたいという気持ちはどんどん大きくなっていきました。フリーで作曲をやっていくなら、もっとたくさんの人に仕事をもらわないと話にならないなと思って、デモテープをレコード会社などに送りました。大学3、4年の時に、僕の楽曲を聴いた日音の当時の社長だった村上司さん(故人)とエグゼクティブプロデューサーが、「作曲をやりたいなら社会勉強も含めてアルバイトしてみる?」と連絡をくださったんです。アルバイトはテープのダビングや雑用がメインでしたが、とても勉強になりました。千住明さんの現場について行ったり、音楽プロデューサーのアシスタントのようなこともやらせてもらいました。同時に、歌もののコンペの話をもらえるようになり、大学を卒業して1年半くらいが経った頃、1曲採用されることになりました。それがガールズバンドZONEの「ボクの側に…」というアルバム曲で、これがオリコンの上位に入ったのを機に、アルバイトを辞めて作曲だけをしていくようになりました。そこからは1年のうちに363日くらいは作曲ばかりして、今日に至ります(笑)。

音人工房 -OTOBITO KOBO-

羽岡さんのプライベートスタジオ

  • New Mac Pro x2 / MOTU DP8.07
  • APOGEE Symphony I/O x2
  • KORG KRONOS / Roland INTEGRA-7
  • YAMAHA CP300,MSP7 STUDIO
  • SSL XLogic CHANNEL x2
  • AURORA AUDIO GTQ2,GTP8 x2
  • ACOUSTIC REVIVE RR-777
  • Acoustic Engineering Speaker Stands
  • UNIVERSAL AUDIO UAD-2 Satellite Thunderbolt OCTO
  • YAMAHAグランドピアノ「C2CP」

ピアノを弾きながら曲を作る場合もあります。
また、繊細な曲のピアノアレンジでは、実際にこのピアノを鳴らしながら書く場合もあります。ただ、生楽器を弾きながら作曲すると客観性を保つのが難しく、どんな曲でも良く聴こえてしまうという副作用もありますので、どうしても必要なときにしか使いません。

Present

こちらのアンケートにお答えいただいた方の中から抽選で3名様に羽岡さんのサイン入りBlu-ray(特典CD付き)とサイン色紙をセットにしてプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

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