音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第8回 ヒロイズム her0ism

Profile

1982年生まれ 東京都出身
幼少期をアメリカで過ごす。中島美嘉『LIFE』で作家デビューし、着うた®200万ダウンロードを記録。その後、Honey L Days『まなざし』、Ms.OOJA『Be…』を手掛け、共にミリオンダウンロードを記録し、『Be…』は2012年上半期レコチョクランキング4部門で1位を獲得。
JUJU、TOKIO、NEWS、Kis-My-Ft2、乃木坂46など多くのアーティストのヒット曲を手掛ける一方、海外においては現地の作家と楽曲を制作する“ライティング・セッション"(コライト)にも多数参加。ギリシャ、韓国、ドイツ、南アフリカのアーティストへの楽曲提供のほか、アメリカにおいても近日中に楽曲のリリースを予定。
2013年、音楽による国際交流の場として世界最大規模を誇る国際音楽産業見本市(MIDEM)にゲストスピーカーとして招待される。同年、作曲・編曲を手掛けた松田聖子&クリス・ハートの『夢がさめて』が第55回日本レコード大賞企画賞を受賞。
2007年2月からJASRACメンバー。

■Official web site
http://ever-y.com/her0ism/

【取材協力】
ever.y株式会社

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様にヒロイズムさんの
サイン入りの色紙とCDをセットにしてプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

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Vol.1 バンドで東京ドームに立つことはできないけど、自分の曲を東京ドームで聴く夢は見えた

国内外のアーティストに作品を提供しヒット作を生み出しているヒロイズムさんですが、まずは音楽との出会いについて教えてください。

ヒロイズム:アメリカにいたときに、祖母にもらった「トネリの家」という絵本があって、ページを開くと『ラヴ・ミー・テンダー』のオルゴールが流れたんです。魔法のような絵本で大好きでした。当時は2歳くらいなので、もちろんそれが『ラヴ・ミー・テンダー』だとは知らなかったし、誰の曲なのかも分かりませんでしたが、そのメロディが人生で初めて出会った音楽でしたね。

すごく印象的なメロディだったんですね。

ヒロイズム:オルゴールだからアレンジされていないし、色々な音が鳴っているわけでもないじゃないですか。そのための音楽なんだなって思うくらいストーリーに寄り添っていたんです。今思えば、一貫してメロディが良い曲が好きなのも、アメリカでの活動でメロディ勝負しているのも、そこが原点なんだと思います。もちろんそのときは将来音楽を仕事にするなんて思っていなかったですけどね(笑)。

スタジオには鍵盤がありますが、ピアノは習っていたんですか?

ヒロイズム:ピアノは幼稚園のときに、習い事の一つとしてやっていたというよりはやらされていました。それが嫌々で(笑)。サッカーをやりたかったんですが、母親から「サッカーをやりたいならピアノもやりなさい」と言われて。音楽の職業に就かせるためというわけではなく、習い事の一つとしてピアノぐらい弾けないとという感じだったんだと思います。小学校高学年でさすがに限界がきましたね。

ちなみに、当時はどんな子だったんですか?

ヒロイズム:サッカーと野球が好きで、アウトドア派でしたね。でも、家にこもって世界観を創る遊びも好きでした。今思うと恥ずかしいんですけど、幼少期はぬいぐるみをいっぱい持っていたので、それで弟と一緒に想像の世界を創って遊んだりしていました。

どんな想像の世界だったんですか?

ヒロイズム:例えば、砂漠に行って星を見るとか。そういうのが好きでしたね。簡単にはできないことでも想像の世界ではできるじゃないですか。今でもそのぬいぐるみは実家にあって、ついこの間、母親にどうするのか聞かれたときに、「頼むから捨てないで」とそんなやり取りをしました(笑)。

生まれて初めて創ったオリジナル作品はいつ頃ですか?

ヒロイズム:はっきりと形にしたのは中学のときかな。バンドが流行っている時代で、女の子にモテたくてバンドをやる世代だったんです。みんなが流行っている曲をカバーしている中で、自分は人と違うことをやりたくて。当時結構値段のしたアップルのパフォーマ5220を、貯金全部をはたいて買って、MIDI付きのCASIOのキーボードで初めて創ったのが最初でした。当時のバンドメンバーを中学校の音楽室に集めて、これやりたいからってその曲を渡して練習していましたね。

当時流行っていたのは、どんな曲だったんですか?

ヒロイズム:GLAYやMr.Childrenでしたね。洋楽だと、クラスに何人か洋楽フリークがいて、スマッシング・パンプキンズが流行っていたと思います。流行りのメロディに惹かれることはあっても、結局自分が一番欲しい曲は世の中にはないなっていうことに徐々に気付いていったんです。それで、なければ創ろうって思うようになって。高校でも、お昼を食べ終わってちょっと時間が空くと、体育館にあったピアノをひたすら弾いていました。やらされて育ったので、ピアノはどちらかというと嫌いだったんですけど、譜面を外した瞬間に指が動き出した感じがして。弾くたびに次々と違うものが出来たので、自由に弾くことがこれだけ楽しいのかと思いました。

大学でもバンド活動をされていたんですよね?

ヒロイズム:大学に入ってすぐにバンドを始めて、友人の紹介でHoney L DaysのKYOHEIと出会い活動をしていました。曲の基本的な部分を自分が創ってデモをスタジオに持って行き、セッションしながら音を創るという感じで進めていました。バラードから重い感じのロックもあり、今だったら当たり前ですけど、シーケンスやダンス曲を取り入れて、渋谷や目黒のライブハウスでミクスチャー的なライブをやっていました。

新しいことにチャレンジされていたんですね。

ヒロイズム:そうですね。誰もやっていないことをやって普遍的に聴こえるものを創るのは、その当時から変わっていないところだという気はしています。

バンド活動はその後どうなりましたか?

ヒロイズム:バンドは大学3年のときに、浜松のライブハウスでの演奏を最後に解散しました。自分がバンドに与えているものはあっても、自分が成長していく感じがあまりなくて。バンドを組んだその日にアジアや世界に出ようという話もしていたけど、バンドの限界っていうのを感じてしまって。でも、バンドで東京ドームに立つことはできないけど、自分の曲を東京ドームで聴く夢は見えたので、もうちょっとものづくりというものに集中したいと思ったんです。

音人工房 -OTOBITO KOBO-

ヒロイズムさんのプライベートスタジオ

【使用機材】

  • Mac Pro 12コア/Logic X/Pro tools 10
  • STUDIOLOGIC NUMA WHITE
  • FOSTEX NF-1A/PreSonus FADERPORT
  • Gibson SG Standard Min-ETune
  • MASCHINE MIKRO WHITE
  • UNIVERSAL AUDIO apollo/UNIVERSAL AUDIO 1176LN/UNIVERSAL AUDIO M610/t.c.electronic POWERCORE X8/VINTECH AUDIO DUAL72/FURMAN AR-1215J   etc…

Present

こちらのアンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様にヒロイズムさんのサイン入りCDとサイン色紙をセットにしてプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

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