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僕がモノ作りに興味を持ちはじめたのは、子供の頃にウルトラQやゴジラなどの特撮モノやアニメを見て、日常の世界を離れた「空想」の世界に想像力をかき立てられたのが原点だと思います。中学の頃からは映画もよく見ていて、バート・バカラックやミッシェル・ルグランの作る映画音楽も好きでしたし、「イージー・ライダー」のようなアメリカン・ニューシネマのサントラで使われるロックも聞き始めました。僕は、昭和32年生まれでアニメや特撮モノで育った世代なので、今でも音楽以外のアニメなど映像関係の仕事には興味を持っています。
学生時代は、スポーツに熱中していましたが、日本のシンガー・ソングライターのはしりだった加山雄三さんの若大将シリーズの影響で、スポーツ万能&ギターが弾けて歌える「ヒーロー」に憧れましたね(笑)。自分でバンドを組んで音楽をやるようになったのは、井上陽水さんや吉田拓郎さんのようなシンガー・ソングライターによる「フォーク・ムーブメント」がきっかけで、拓郎さんのモノマネというか、身近な恋の話をテーマにした歌を作り始めました。
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僕は、アマチュア時代にヤマハが主催する「ポプコン」にバンドとしてエントリーした後、チャンスをいただいて、1981年にCHAGE&ASKAの「熱風」で作詞家デビューしました。CHAGE&ASKAのお二人とは同世代なので、「どういうものを作っていくか」についていろんな話をしながら、詞作りを進めていきましたね。当時は、まだ職業作詞家というより、「バンドの一員」的な感覚が強かったんですよ。
デビュー間もない頃は、ニューミュージック系のアーティストと仕事をすると、「雇われ作詞家がオイシイところだけ持っていくんだろ?」みたいな見方をされることもありましたが(笑)、何回か話をするうちに、「何を考え、どんなものを作ろうとしているか」を理解していただいてコミュニケーションをとれるようになりました。
作詞家にとって、アーティストとのコミュニケーションは、とても大切ですが、あまり親しくなり過ぎると、肝心な時に「NO!」と言えないですから、距離感が重要だと思いますね。僕なんかは、皆さんが思われるほどアーティストと親しい付き合いをしている訳ではなくて、ライブやレコーディングの合間に会って打ち合わせをする位です。モノ作りをしている人間同士って、時間の感覚が早いから、5年振り位に会っても、全く違和感がないんですよ。お互い「感受性」を磨かなければいけない環境にいるから、どこかで「つながっている」感覚があるのかもしれません。
一方、アイドル系の歌手の方に詞を書く時には、プロダクション・レコード会社の方針や会社のカラーがあってケース・バイ・ケースですけど、どちらかと言うと制作をコントロールするプロデューサーの発注通りに作ることが多いですね。1990年前後は、アイドルの「アーティスト化」というか工藤静香さんや中山美穂さんのようなアイドルの方が、自分で詞を書き始めるケースが増えてきていたので、ニューミュージック系のアーティストと同じように「何をつくって発信したいのか」について話をしながら詞を作っていきました。
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僕は、詞を書く時に世代や男女の違いについてあまり気にしない方だと思います。今は、「女らしさ」、「男らしさ」の垣根が崩壊していて、女性の方がオトコみたいな言葉遣いをしたりするじゃないですか(笑)。子供向けアニメの主題歌を書く時には難しい言葉をなるべく使わないようにしますが、世界観という意味では、家族や友達と普段接しているような感覚で書くようにしています。
見ているものや感じ方は人それぞれ、年齢や性別などで微妙に違うのでしょうが、下手に子供や若い女性の視線に合わせようとすると失敗するケースが多いと思うんです。細かい部分は、発注サイドの意向やアーティストのカラーによって変わってきますが、大切なのは、年齢・性別の違いを超えた「俯瞰」の視点です。個人的には、技術的にコドモっぽい、オンナっぽい詞を書こうとしている人の作品よりも、銀色夏生さんのように中性的な感性を持った作家の作品に感動することが多いですね。
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過去に手掛けた約2000作品の中で今の自分を作ったエポック・メイキング的な作品と言えば、「熱風」(CHAGE&ASKA)、「悲しみにさよなら」(安全地帯)、NHKアニメ・忍たま乱太郎の主題歌「勇気100%」(光GENJI)だと思います。
「熱風」でデビューに至るまでは、ディレクターに自分の詞を見せたり、コンペに応募したりしていました。それまでは、テクニック的にキレイな詞を書こうとしていましたが、初めて形になった作品は、自分の個性を生かした作品だったので、プロとしてやっていく上で大きな「勇気」を与えられましたね。アマチュアでバンド活動を始めた頃から、自分の名前が入ったレコードが欲しかったので、レコードの裏ジャケットに自分の名前がクレジットされているのを見た時には感激しました。
「悲しみにさよなら」は、作詞を歌の言葉として考えるターニング・ポイントとなりました。安全地帯がブレイクするきっかけになったのは、井上陽水さんの三部作(「恋の予感」、「ワインレッドの心」、「真夜中すぎの恋」)なんですが、同世代の力で何とかしたいということで僕にチャンスを与えてくれたんですよ。
でも、高校出の新人ピッチャーがメジャーリーガー級の陽水さんとコンペで対決するみたいなもので(笑)、結果的に僕の作品が採用されない時期が続いたんですよ。それまでの僕の詞は、読んで意味が分かるような紙の上での情景描写っぽい詞が多かったんですが、「悲しみにさよなら」は、玉置さんの声と曲の持つ力を信じて、シンプルな言葉で書いてみた作品なんです。この作品が成功したことで、歌の言葉としての「詞」の存在を自分の中で考える大きなきっかけになりました。
「勇気100%」(光GENJI)は、10年位続いているアニメ「忍たま乱太郎」の主題歌なんですが、放送が始まった時にはここまで続くとは思いませんでした。新しい試みや流行を意識することも大切だと思いますが、古くなることを恐れない、普遍的なテーマが大切だと思わせてくれる作品になりました。
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