作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
秋元 康
JASRAC
秋元流〜虎ノ門編
「秋元流〜虎ノ門編」
 2002 PONY CANYON Inc.

「秋元流〜市ヶ谷編」
 2002 Sony Music House Inc.


プロフィール

1956年5月2日、東京都生まれ。作詞家。
高校時代から放送作家として頭角を現し、「ザ・ベストテン」など数々の番組構成を手がける。83年以降、作詞家として、美空ひばり『川の流れのように』をはじめ小泉今日子『なんてったってアイドル』、藤谷美和子『愛が生まれた日』、
中島美嘉『STARS』など幅広く作品を生み出す。
作詞活動20周年を記念して特別企画CD『秋元流』をリリース。
ヒットチャートのベスト10入りした作品は127曲(うち1位は43曲)
[2002年8月5日付現在、オリコン(株)調べ]
テレビ番組『おしゃれカンケイ』『とんねるずのみなさんのおかげでした』
『うたばん』『千枚CD』などの企画・構成。
91年には松坂慶子主演『グッバイ・ママ』で映画監督としてもデビュー。
2000年には森光子主演『川の流れのように』を撮る。
現在、ラジオトーク番組『秋元康・自分の時間』(ニッポン放送)で
パーソナリティーもつとめる。
『毎日小学生新聞』で子供向けファンタジー「タメニ」を連載中。
『スポーツニッポン』『dancyu』『SAY』等にも連載中。
著書に『一生を託せる「価値ある男」の見極め方』(講談社)、
『人生には好きなことしかやる時間がない』(青春出版)、食の記憶をつづったエッセイ『世の中にこんな旨いものがあったのか?』(扶桑社)好評発売中。



プレゼント
こちらで実施しているアンケートにお答えいただいた方の中から、抽選で3名様に秋元さんのサイン入りエッセイ本
『世の中にこんな旨いものがあったのか?』をプレゼントします。
応募締切日:2002年9月30日
(プレゼントの応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございます。)
 
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僕は「詩」ではなく「詞」を作る流行歌の書き手

 僕は作詞家になる前に、大学受験の時に聴いていたニッポン放送のラジオ番組に台本を送ったことがきっかけで放送作家の仕事をしていました。作詞の仕事を始めるようになったのは、21才の時に当時ニッポン放送でお世話になっていた高崎一郎さんに「作詞をやってみないか」と誘われたことがきっかけです。
 それまで、洋楽は聞いていましたが、歌謡曲は詳しくなかったのでニッポン放送のレコード室にこもって1日中聴いていましたね。特に阿久悠さん、なかにし礼さん、星野哲郎さんの詞が好きでした。例えば、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」は「よくできてるなあ」と、かつての名曲を勉強とか仕事ではなく、趣味として自分なりに分析していました。


 僕は「詩」ではなく「詞」をつくる流行歌の書き手ですから、タイトルを含めたコンセプト作りに重点を置きます。いわゆるアーティストではないので、「どういう料理を作れば、みなさんに食べていただけるか」を考えるんです。アーティストの方は、「自分はこの料理が作りたい」と信じて作って、皆さんに食べていただけるかどうかですけど、僕は、皆さんのお腹のすき具合やどういうものを食べたがっているか、またその時の時代性を考え、「じゃあ、こういう料理を作ったら皆さんに食べていただけるかな」と考えます、それがコンセプトを作るということだと思います。料理でいうと、時代やその時の発注によって中華、イタリアン、フレンチ、和食と味付けを変えていくんです。

  例えば、美空ひばりさん、稲垣潤一さん、小泉今日子さん、いろんな方々の詞を書きますが、「この人が歌った時、何が一番みなさんに食べていただけるか」を考えます。歌手の方を「あわび」に例えると、生のままがよいのか、煮物の方がよいのかと考えますが、歌手の方が今まで出した料理(作品)にはこだわらないようにしています。すでに、あわびの刺身が出ていたら、僕が同じ料理を作っても一般の人は面白がらないかもしれない。ピザの上にのせたり、あわびのおにぎりを作ったり、今の時代にどう合わせるかですよね。
 あわびをデザートに出したら、どうでしょうか?話題にはなるけど、継続はしないかもしれません。奇をてらう部分と王道の部分のバランスも重要です。



時代は変わらない、むしろ繰返している

 「時代」というのは、僕らが生まれてから死ぬまでくらいのサイクルだと、あまりにも緩やかな曲線だと思います。例えば、テレビの新番組が始まっても、一般の方はほとんど気づかない、人間は、普通それくらい変化に疎いものなんです。CDにしても、新曲が出てもほとんどの人は気づかない。そう考えると時代はすごく緩やかに変化していくものだと思います。よく激動の時代といいますが、長いサイクルで少しずつ変わっているんですよね。だから、僕は「時代は変わらない=繰返している」と思うんです。

 音楽でも、せつないメロディで、サビは口ずさめる方が良い、これが王道です。王道のメロディでアレンジは時代に合ったもの、例えば打ち込みでループをかけるとかそういうことを考えます。

 自分が手掛けた作品で気に入ってるのは、「子供達を責めないで」(伊武雅刀)、「ドラマティック・レイン」(稲垣潤一)、「川の流れのように」(美空ひばり)などです。それぞれ、ジャンルに脈絡がなくていいと思っているんです。あとは、「なんてったってアイドル」。これは、ある種のアンチテーゼがうまくいったと思います。「川の流れのように」は、自分の作品がスタンダードになった初めての経験でしたね。



「制約がある仕事をうまくまとめるのが快感」by日本一聞き分けの良いクリエイター

 テレビやラジオの企画や構成を考える放送作家の仕事が僕のスタートですから、作詞でも発注者が納得いくものを作ることが大前提です。僕は、自分のことを「日本一聞き分けの良いクリエイター」だと思っています。テレビコマーシャルの仕事も好きですが、スポンサーからの制約があって、プロダクションの意向があって、たくさんの船頭の意見を作品に取り入れるのが快感なんです。その作業が苦しければ苦しいほど、「どうだ!」と思えますから。

 17歳から番組の企画会議に参加していますが、当時は最年少でしたから、言いたいことを言って既存のものを否定したりしてゲリラ的な試みができました。ところが、今は自分が最高責任者になることが多くなってきています。自分の判断で決めるばかりだと、だんだん「裸の王様」になっていく気がして、誰かの指示を仰ぎたくなるんですよ。


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 例えば、昨年ヒットした中島美嘉さんの「STARS」の時には、一作詞家として制作に参加しましたが、若いスタッフの指示で何度も書き直した経験が、新鮮で刺激的でしたね。年代を重ねてベテランになると自分の考えをおしつけたがる人もいますが、自分の才能では最大限でも100しかない。それだったら、他の若い才能が100加わったほうが良いものが生まれる気がします。


「ひまわり」が売れている時に「タンポポ」の種をまく勇気

 最近は、宇多田ヒカルさん、MISIAさんに代表されるR&Bが人気で、花に例えると「ひまわり」だとします。今、「ひまわり」が人気があるからといって、ひまわりの種ばかりまくと、1年後に花屋はひまわりだらけになって、値段が下がってしまいます。「ひまわり」が全盛の時に、うまく反動をつかまえて「タンポポ」を植える勇気のある人が勝つんですよね。

 僕は、逆説的なやり方の方が可能性があると思っているんです。みんなが行く野原に野イチゴはもうありませんから。「なんてったってアイドル」も、周りのアイドルがみんなロックっぽいことをやりだした中で反動としてのインパクトがあったのかもしれません。最近でいうと、島谷ひとみさんの「亜麻色の髪の乙女」がヒットしたのもR&Bへの反動といえるかもしれません。

 お笑いにしても同じことがいえると思います。「とんねるず」の二人が出てきた時には、背が高いのがとても新鮮でした。それまでのお笑いの人はどちらかというとあまり背が高くなくて媚びた笑いが多かった気がするんです。そんな中で、石橋君も木梨君も体育会系で背が高くて「笑え!このヤロー」というノリが新鮮でしたね。

 時代が変わっても、人間の気持ちは変わらないもので、ツール(手段)が変わるだけだと思います。昔は、好きな人に手紙を書いて、返事を待っていましたが、それが電話→ポケベル→FAX→メールとツールは変わっても、「好きな人からの連絡を持っている」というのは変わりませんよね。



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