作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
井上 ヨシマサ Yoshimasa Inoue

プロフィール
1966年7月生まれ。1979年、中学生でバンド「コスミック・インベンション」のキーボード奏者としてデビュー(1982年解散)。高校卒業後、小泉今日子のアルバム『Flapper』に楽曲提供し作曲家デビュー。1987年、ソロアルバム『JAZZ』を発表。以降、80年〜90年代アイドルを中心に楽曲提供し、荻野目洋子『スターダスト・ドリーム』、光GENJI『Diamondハリケーン』でオリコンチャート1位を獲得するなどヒット曲多数。CMやテレビ番組の音楽なども手掛ける。AKB48のデビュー当初から楽曲制作に携わり、『Everyday、カチューシャ』『Beginner』など40曲以上を作曲(2013年1月現在)、『真夏のSounds good!』で第54回(2012年)日本レコード大賞を受賞した。近年は、GoogleのSNSサイト「Google+」でも楽曲を発表。同サイトで人気の曲『前ノリ』が2012年11月30日にCD発売された。
1986年12月よりJASRACメンバー。
2012年、『Beginner』でJASRAC賞銅賞を受賞。
「Beginner」/キングレコード

主な作品
AKB48
「大声ダイヤモンド」「10年桜」「RIVER」「Beginner」「Eveyday、カチューシャ」「真夏のSounds good!」「UZA」
SKE48「片想いFinally」
ノースリーブス「Lie」
安倍麻美「情熱セツナ」
Angelina「Sounds of Love〜しあわせについて」
イ・ビョンホン「いつか」
小川範子「夏色の天使」
荻野目洋子「スターダスト・ドリーム」
貴島サリオ「IN SALAH−赤い砂−」
久宝留理子「Perfect Circle」
CHEMISTRY「最期の川」
小泉今日子「Smile Again」
郷ひろみ「きみに、ありがとう」
少年隊「EXCUSE」
タッキー&翼「シーサイドロマンス」
田原俊彦「KID」
TOKIO「Oh! Heaven」
Brandnew Biscuits「partner”s”」
中山美穂「Rosa」「Mellow」
西村知美「Blueberry Jam」
光GENJI「Diamondハリケーン」
森川美穂「ブルーウォーター」(NHK「ふしぎの海のナディア」主題歌)
森口博子「Puzzle」
■CM、テレビ
「それぞれの夢」
(「レオパレス21」CMソング)
「ヘビがだめ」
(「インテル」CMソング)
「高速戦隊ターボレンジャー」
(テレビ朝日系)
「ぽっかぽか のーびのび」「わんだーらんどでワンダホー」
(Eテレ「いないいないばあっ!」)
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プレゼント
アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で、“よすす”(井上さんのGoogle+上のニックネーム)のシングルCD『前ノリ』(サイン入り)と、“よすす”のライブで販売されたTシャツをセットで6名様に差し上げます。
SWR-2/スウェアー/¥1,000
ライブTシャツ(Lサイズのみ)
※アンケートは終了しました。
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ピアノ、ジャズ、バンドから作曲へ
音楽好きの母の方針で、6歳からピアノでクラシックを習っていました。最初は「男がピアノを弾く」っていうのが嫌で、友達にも隠してたんですが、作曲家の伝記を読んだり、クラシック以外の音楽を積極的に知ることで、ピアノは男が弾いても恥ずかしくないし、クラシックもいろんな音楽をやるための基礎として習うならいいかなと思うようになりました。小学校4年の時に、学校のビッグバンドに入ったんですが、「スウィングガールズ」の元祖みたいなうまいバンドで。クラシックをやりつつ、毎日3〜4時間バンドの練習をしてジャズの基礎を学びました。コードと元のメロディに自分なりのメロディを加えていくアドリブも覚えました。

中学生になって、「コスミック・インベンション」というシンセサイザーのバンドに誘われて入りました。ジャズもできるし、4〜5人でビッグバンドの音が出せるっていうんで面白いなと思って。最初はデパートの屋上でジャズを弾いたりしてたんですが、だんだん歌モノが入ってきて、とうとうビクターからデビューすることになったんですよ。「なんかちょっと違うなー、でもこれはこれでいいや」くらいに思ってた割には結構忙しくて。中学2年のときには「レッツゴーヤング」(1974〜86年にNHKで放送されていた人気音楽番組)に出させてもらいました。テレビに出ても、どちらかというとバックで演奏している裏方の人たちに興味があって、アイドルに対しては斜に構えているところがあったんですが、一方でアイドルにもすごいパワーやプロ意識を感じたし、スタッフも音楽的な知識を当たり前に持っているのがわかってきて。それまでもバンドの曲を書いたことはあったんですが、仕事として作曲を面白いな、大事なんだなと思うようになりました。バンド解散後、ディレクターに自分の曲のデモテープを持っていったら認めてくれて、バイトしながら作曲して、原信夫とシャープス&フラッツの演奏で僕が歌ってアルバムを1枚出しました。それをいろんなディレクターに聴いてもらううちに作曲の依頼が来るようになって、作曲の方が忙しくなったっていう感じです。
失恋したときは失恋した気持ちで曲を書く
小泉今日子さんのアルバムに曲を書いたのは、バンド時代のディレクターがキョンキョンも担当していたのが縁です。最初、アイドルっぽい曲を持っていったら、「いいよそんなの、自分らしいものでやらないと僕が担当している意味がないじゃない」って言われて。アイドルでも自分なりにかっこいいと思うものを書いてもいいんだとわかって、ちょっとアイドルに対する距離感が縮まりましたね。最初の作品を出す時にそう言ってもらえたのは自分にとって幸いでした。

もちろんディレクターもそういう人ばかりじゃないので、最初の頃は勉強のつもりで言われるままに直したりしていたんですが、そのうちだんだん自分はこうしたいのにとか、わがままも出てくる。じゃあ自分が納得するものはなんだろうと思って、25歳ぐらいの時に、よりリアリティのあるものを求めてインディーズで活動を始めました。そうすると、失恋してもいないのに失恋の歌を歌わせる、みたいな世界が嫌になってしまって、結構仕事でもめたりもしましたね。でも、やっぱり失恋した人は失恋した歌を歌うべきでしょう、「最後は大丈夫になっちゃったことにしようよ」じゃなくて。歌う人がその時の本当の気持ちで歌えれば、本人にとっても聴く人にとっても一番いい。で、そのタイミングを逃すと売れないと思うんですよ。僕は失恋したときは失恋した気持ちで、子供が生まれたらその喜びの気持ちで、みたいにリアルな気持ちで曲を書いておいて、プロデューサーが歌手のタイミングと合う時にピックアップしてくれる、そんなスタンスになっていきましたね。
4分の中に、表現のスペースはいっぱいある
作曲をするときに、自分が発信したい気持ちがあいまいだと、パワーのないものになっちゃう。歌として出るまでにはそれがだいぶ薄まって、CMのタイアップがついたりして派手にはなりますけど、コアなものはなくならないように、とは考えています。最初はそのコアなものが100%残っていないと嘘じゃないかって思って嫌だったんですけど、100%努力したら25%くらいは残るものなんです。それで良しとさせられるようになってからは、作曲へのいろんなオーダーも客観的に聞けるようになりました。
それに、不思議なことに音楽にはたくさんの“隙間”があって、誰にも気づかれずに、自分の“魂を入れる”ことができるんです。それは一番目立つ部分じゃなくていい。80年代なんかは、スネア(ドラム)の音を「ダーン!」ってやるのにスタジオで4時間ぐらいかけて作っていて、一番目立つ音だからみんな意見を言うんですよ。でもその後ろでチッチッチって鳴ってるハイハット(シンバル)とか、いろんな目立たない音があるじゃないですか。そんなところに作ってる人のアーティスト性はいくらでも表現できる。自分のイニシアティブが大事なんじゃなくて、みんなで集まって「こういう気持ちを届けられたらいいんじゃないか」と考えていくと、4分の曲の中にも、自分が表現できるスペースはいっぱいあります。

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