作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
奥 慶一 Keiichi Oku

プロフィール
1955年滋賀県生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高校作曲科を経て東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大学院修士課程中退。作曲を松本民之助氏、間宮芳生氏に師事。
在学中より演奏活動を始め、バックバンド等を経て、1979年ブラス・ロック・バンド「スペクトラム」のキーボード奏者としてデビュー(1981年解散)。
1981年、アルバム『Misty Morning』でソロデビュー。以降、スタジオミュージシャンとして活動するとともに、ポップスの作・編曲、テレビドラマやアニメーションの背景音楽の作曲、ミュージカルの制作など多方面で活躍。2005年4月より洗足学園音楽大学音楽学部音楽音響デザインコースの客員教授を務める。
1983年6月からJASRACメンバー。
2009年5月、『明日のナージャBGM』でJASRAC賞国際賞を受賞。
奥慶一さん公式サイト:
http://or-lab.com/

作品紹介
■バンド・ソロ活動
ソロ(アルバム)
『Misty Morning』(81)
『Good Bad Girl』(82)
スペクトラム
『PARADISE』(81)
■楽曲提供
小泉今日子『Kiss me Please』(83)
岩崎宏美『決心』『夢狩人』(85)
橋本潮『テレポーテーション−恋の未確認』(87)
亜波根綾乃『warmth』(98)
本田美奈子『ETOILE−星』(03)
■編曲
高橋真梨子『桃色吐息』(84)
松山千春『On the Radio』(84)
柏原芳恵『途中下車』(85)
徳永英明『夏のラジオ』(86)
石川さゆり『桜夜』(09)
T-SQUARE『Classics』(アルバム/92)
■テレビ番組-ドラマ
東海テレビ:
『華の嵐』(88)『夏の嵐』(89)
フジテレビ:
『放課後』(92)『チャンス!』(93)『17才』(94)
TBS:
松本清張スペシャルドラマ『波の塔』(06)
■テレビ番組-ニュース
フジテレビ:『報道2001』(97)
■アニメ
『夢戦士ウイングマン』(84)
『ママレード・ボーイ』(94)
『電磁戦隊メガレンジャー』(97)
『おジャ魔女どれみ』シリーズ(99〜02)
『明日のナージャ』(03)
『PEACE MAKER鐵』(04)
『デジモンセイバーズ』(06)
■ミュージカル
松本幸四郎主演『ZEAMI』(90〜91)
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オーケストラへの憧れは“芸高”合格で現実へ
最初に本格的な楽器に触れたのは幼稚園の時だったと思います。自らオルガンやピアノに興味を示し、近所の子供たちと一緒に町の音楽教室に通うようになりました。でも練習するより、好き勝手に弾くのが好きで、当時から何か曲らしきものを作っていました。小学3年生のとき、地元で音楽教室や高校のオーケストラの指導をされていた野田暁春先生に入門して、ピアノのほかにソルフェージュ(*1)や、作曲の基礎となる和声学(*2)と対位法(*3)を教えていただくようになりました。
好きだった曲は小学校低学年の頃はショパンのピアノ曲、4年生ぐらいからドビュッシー(*4)、ラヴェル(*5)が大好きになりました。
作曲家になりたいと思うようになったきっかけは、テレビで見た作曲家の山本直純さんとショスタコーヴィチの交響曲第5番でしょうか。子どもの頃よくテレビに出演されていた山本直純さんを見て、作曲家や指揮者に憧れるようになりました。“ショスタコの5番”は第四楽章の冒頭部分が関西ローカルのテレビドラマ『部長刑事』のテーマ曲だったんですが、N響の演奏をテレビで見て、脳髄に稲妻が走るような衝撃を受けました。
6年生の時ドビュッシーの『海』に影響されて、当時なぜか自宅にあった謄写印刷機で自分でガリ版を切り五線紙を作って、交響詩『トルヴィールの海』という曲を書こうとしました。残念ながら未完成に終わりましたが(笑)。

中学2年のとき東京藝術大学音楽学部附属高校(芸高)の存在を知ったのですが、少人数で実技のレベルが高い学校だとわかり、自分には無理だろうと思っていました。それで、だめだったら潔く音楽の道はあきらめようと「受験だけでいいからさせてほしい」と親に頼み込んで受験しました。すると野田先生の熱心な指導のおかげで1次、2次の実技試験も、最後の学科試験も通って合格してしまいました。すると今度は中学の担任や周りの人達が「是非行け」と言い始めました。野田先生が聴講生として師事された松本民之助先生も面会してくださり、最初は大反対だった父もついに折れ、上京して音楽の道に進むことになりました。
音楽の基礎を仕込まれた学生時代、「スペクトラム」との出会い
“Illumination pour orchestre”自筆スコア 芸高は全国から集まってきた全校で100人程度の生徒に早期才能教育を行っている国立の学校で、私も3年間厳しい音楽の訓練を受けました。私を指導して下さった松本民之助先生は非常に熱心かつあらゆることに厳格で、私はいつもピリピリしていました。「今日レッスンなのに課題ができていない」という夢を30歳ぐらいまで見ていたくらいです(笑)。でも音楽の基礎体力を養うことができたのは松本先生あってこそで、本当に感謝しています。

藝大の入試は芸高の生徒も他の人と平等に扱われますが、なんとか現役で合格することができました。しかしいざ進学してみると、大学の作曲科では私の好きなドビュッシーやラヴェルみたいな音では作品を書かせてもらえませんでした。提出作品は“無調(*6)”の曲でないと笑われるような雰囲気があったんです。
しかし、なんでも徹底してやる性格の私は、卒業作品として“黄金分割された時間を、左右2つに分かれた楽器群が時間軸を逆進行する”という、電子音楽の概念を取り入れた“Illumination pour orchestre”という管弦楽曲を提出しました。音を“クラスター(*7)”として扱い、当時はコンピューターが使えませんでしたので電卓と乱数表を活用しての手作業でした。これは大学では良い評価をいただき買い上げ作品にまでなったのですが、残念なことに一度も演奏されたことがありません。
学校では一等賞を頂いたその作品を「毎日音楽コンクール」に出品しましたが、あえなく落選してしまいました。そのことが現代音楽への熱意を失う原因となりました。

私の家庭は豊かではありませんでしたので、生活費を稼ぐため大学3年生ごろから、銀座や六本木のお店でシャンソンやラテン歌手の伴奏のアルバイトをしていました。卒業しても就職するあてもなく大学院に進んでからは、キャバレーの「箱バンド」のピアノをやったりソロ歌手の伴奏をしたりしていました。メジャーな世界への足がかりは郷ひろみさんのバンドでセカンド・キーボードを務めるようになったのがきっかけです。同じ頃に原田真二さんのバックバンドでキーボードを弾いていたのが、私と藝大同期でトロンボーン科だった吉田俊之さんで、あるときテレビ局の楽屋で「今度こんなバンドをやるんだけど、やってみない?」と誘われたのが、今日まで尾を引いている(笑)「スペクトラム」というブラス・ロック・バンドです。

*1 ソルフェージュ:初見視唱、聴音などを含む音楽の基礎教育。
*2 和声学:一般には18〜19世紀の音楽様式に基づく複数の声部進行の扱い方を学ぶもの。
*3 対位法:一般には15〜18世紀に確立された複数の声部を持つ楽曲の作曲法。
*4 Debussy:1862〜1918フランスの作曲家。後期ロマン派の技法を拡張進化させた作風は印象主義と呼ばれる。
*5 Ravel:1875〜1937フランスの作曲家。ドビュッシーと共に印象主義の作曲家と言われる。
*6 無調音楽:調性を持つ音楽に対する反語。シェーンベルクの十二音技法に代表される。調性感が希薄で不協和音を多用することが多い。
*7 クラスター:英語のclusterで、「房」を意味する。現代音楽においては音階上の隣接した音を隙間無く同時に鳴らす技法を意味する。微分音が使用されることもある。

参考文献
新訂 標準音楽辞典(発行・音楽之友社)

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