JASRAC
鈴木博文 岡田徹
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作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー
Profile
岡田 徹
1949年4月生まれ。ムーンライダーズでは主にキーボードを担当。ソロでの活動のほか、PSY・S、パール兄弟、野田幹子などのプロデュース、CM音楽(NTTドコモ「ドコモダケ」シリーズ、日本テレビ「日テレちん」など)や、ya-To-i、Yottoなどのユニットでの活動など、ムーンライダーズ以外での活躍も多彩。2005年9月からJASRACメンバーに。
鈴木博文
1954年5月生まれ。ムーンライダーズでは主にベース、ギターを担当。直枝政太郎との「政風会」、美尾洋乃との「Mio Fou」、かしぶち哲郎、白井良明との「アートポート」、実兄の鈴木慶一との「THE SUZUKI」などユニットでの活動も幅広い。自身のレーベル「メトロトロン・レコーズ」ではプロデュースやソロ活動も行っている。2006年6月からJASRACメンバーに。
ムーンライダーズ(moonriders)
日本語による独自のロックを開拓し、アルバム『センチメンタル通り』1枚を発表し解散した「はちみつぱい」を母体として1975年に結成。1976年1月には「鈴木慶一とムーンライダーズ」名義でファースト・アルバム『火の玉ボーイ』を発表。いち早くシンセサイザーを導入するなど、高い先見性を持つ。現在のメンバーは鈴木慶一、岡田徹、武川雅寛、白井良明、かしぶち哲郎、鈴木博文の6人で、メンバー全員が優れたアーティストであると同時にプロデューサーでもある稀有なバンド。一貫して時代をとらえたオリジナリティ溢れる作品を発表し、日本の音楽シーンに強い影響を与え続けている。
moonriders.net
http://www.moonriders.net/
こちらで実施しているアンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様に、ムーンライダーズの最新アルバム「MOON OVER the ROSEBUD」をプレゼントいたします。
応募締切日:2007年2月28日
(応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。)
MOON OVER the ROSEBUD
















火の玉ボーイ
火の玉ボーイ
1976年1月に発表されたデビューアルバム。バックバンドとしての活動の合間を縫って、半年以上をかけてレコーディングされた。元々は鈴木慶一のソロアルバムとして制作されたものだが、「鈴木慶一とムーンライダース」名義での発表となった。








DON’T TRUST OVER THIRTY
DON’T TRUST OVER THIRTY
10年間の活動の集大成として発表した力作。6人の個性が爆発し、ポップさと実験性が複雑に絡み合った作品に仕上がっている。活動休止前の1986年リリース。


最後の晩餐
最後の晩餐
5年間の活動休止を経て、1991年に待望の復活を果たした作品。「いい曲をやろう」との掛け声の下、コンセプトをあまり考えず、60曲近くの中から選りすぐった12曲を収録。
MOON OVER the ROSEBUD
MOON OVER the ROSEBUD
形式的には「火の玉ボーイ」に立ち返ったという最新作。生音とテクノロジーを融合させ、バンドサウンドを追求した骨太な仕上がり。2006年発表。
岡田 : 人からは「30年ってすごい」って言われるけど、バンドを休止していた期間を除けばコンスタントにアルバムを1年に1作リリースしてきているから、そんなに長かったという意識はないよね。
鈴木 : そうだね。先のことは全然考えてなかった。明日のことを考えてやってきたら30年たった感じ。
岡田 : ただ、30周年を迎えて、今までのアルバムのリイシューとか、デビュー作「火の玉ボーイ」から一つ前のアルバム「P.W Babies Paperback」までのベストを作ろうって気運が盛り上がったりとか、ドキュメンタリー映画を制作していたりとか、やっぱり今までの節目とは違いを感じる部分はある。
鈴木 : 20周年の時はそういうことはなかったね。ある意味ここでいろんなことを整理“させられてる”感じ(笑)。今までの活動を整理して、もう一回「つぼみ」から新たな一歩を始めるきっかけになるかもしれない。
岡田 : いずれにしても、デビューして2、3年でヒットが生まれていたら、30年も持たなかったかもしれないね。そこで一つの完成形やステータスができちゃうと、守りに入ったりしがちなので。幸か不幸かヒットがなかったっていうのが良かった(笑)。
鈴木 : 毎回が挑戦だったから。固まらなかった。流動体みたいに。
岡田 : 小さく完成せず、大きな未完成のまま30年間やって来たのかもしれないね。それと、これはメンバーみんなそうだと思うけど、10周年くらいの頃から、プロデューサーやアレンジャー、作家、物書きといった個々の活動が日常で、ライダ−ズは非日常になってきたんだよね。ある意味クラブ活動とか風物詩みたいな。ライブやって、1年に1作は出していこうぜって。そういう風にできる環境を保ち続けられたってことで、30年やってこられた部分はある。あとはメンバーとスタッフの皆さんの人柄のおかげじゃないですか(笑)。
「火の玉ボーイ」ができるまで
岡田 : 「はちみつぱい」(ムーンライダーズの前身とも言えるバンド)時代は、バンドのメンバーはいつでもいっしょにいたね。
鈴木 : 朝までいっしょだった。ビリヤードしたり、休みがあればみんなで島に行ったり。
岡田 : 渋谷の百軒店によく行くお店があって、そこ行けば大体誰かいて。フーちゃん(鈴木博文)なんて当時高校生だったけど、みんなと来ていたもんね。
鈴木 : 金魚のフンみたいにね。
岡田 : 僕は酒を飲まないから、お兄ちゃんの慶一(鈴木慶一)に「岡田君、博文を送っていってよ」って頼まれてね。よく送っていった。当時はみんな貧乏でね。自分たちの活動をするためにも経済的な部分を安定させようってことで、アグネス・チャンさんとか、堀内孝雄さんとか、水谷豊さんとか、いろんな人のバックバンドをやったね。
鈴木 : 10年くらい、いろいろやったんじゃない?
岡田 : これは大変だった。今の子達はできないかもしれないよね。
鈴木 : 堀内孝雄さんの曲のベースは今も目をつぶってでも弾けるもん。
岡田 : 水谷豊さんのバックバンドのときはみんなで踊ったよね。誰かが振り付けをしなきゃいけないっていうんで、当時 「サタデー・ナイト・フィーバー」が流行ってたから、映画を観たっていう良明(白井良明)が振り付けをしてね(笑)。
鈴木 : 某宅配便業者みたいな縞のTシャツを揃いで着てね。
岡田 : アグネスのときはショーだから寸劇もあった。背が高いからっていう理由で、くじら(武川雅寛)と椎名くん(椎名和夫・初期のメンバー)が、アグネスに絡む暴走族の役とかやってね。演奏が終わると芝居に出て、1日3回公演とかあったから、俺たちは休めるんだけど、彼らは出ずっぱり(笑)。そういうことをしながら1stアルバム「火の玉ボーイ」を作った。
鈴木 : そう考えると、バンドをしながら別の何かをするっていうのが、バンド誕生の頃からあるんだね。バックバンド業から始まって、プロデュース業とか、作家業とか。バンドとして最初からそういう構造を持ってたんだね。
活動休止から再開へ
岡田 : 10周年を迎えた頃に、ムーンライダーズとしての活動を休止したんだけど、理由としては、ソロアルバムを制作したいって人が増えたこともあったし、肉体的な問題もあった。
鈴木 : 休止前に出したアルバム「DON’T TRUST OVER THIRTY」は、自分たちの中で“イっちゃった感”があったよね。
岡田 : うん。音楽もイっちゃってたんだけど、3時間とか4時間かけて全レパートリーを演奏するライブハウス巡りもやったから、身体の方もイっちゃってね。あの若さでもメンバー4人くらい病気になっちゃった。あのライブは客も「もう勘弁してくれ」みたいな感じだったから(笑)。すごいよ、アンコールとかないんだもんね(笑)。
鈴木 : 5年たって戻ってきた時には、その間にメンバーがどんな音楽を聴いてたのか全然知らないから、お互いに探りを入れたりしてたね。「最近何を聴いてるの?」とか。
岡田 : それで、復活第一弾のアルバムは「とりあえずいい曲をやろう」みたいになった。それまでどのアルバムも割とコンセプチュアルにやっていたのが、このときはコンセプトの前に“いい曲ありき”って考えて作ったんだよね。
鈴木 : ただ、“いい曲”っていうのはメンバーによっても違うし、レコード会社のディレクターサイドが思う“いい曲”も違う。それを巡って何度も話し合って試行錯誤した結果、「最後の晩餐」というアルバムができたんだ。
ムーンライダーズ流音づくり法
岡田 : アルバムに関しては、その都度何かルールを作ってる。その方が面白いからね。今回のアルバム「MOON OVER the ROSEBUD」のルールは「鈴木慶一の発注・注文でみんなが動いていく」というもの。だから、曲が全部揃わない状態でスタートしたんだよね。揃えたつもりだったけど、「もっといい曲が出るはずだ」とか言って、レコーディングが始まってからもズルズルやりながら曲決めて。曲はサーバーにアップされてるから、それを聴いて「来週この曲やろう」って感じでね。
鈴木 : 曲が8割くらいできてくると、詞も2割くらいはなんとなくついてくる。それでも歌入れは詞が全部できてからだから、いつも最後まで歌が残っちゃう。
岡田 : 1曲のトラックダウンに10時間くらいかかることもある。作業していると、かしぶちさん(かしぶち哲郎)から「アコーディオン入れといてください」とか急にメールで注文が来たりしてね。そういうのを楽しみながら毎回やってる。
鈴木 : アルバムの作り方はいつもそんな感じだよね。基本は変わらない。ただ、今回はなるべく鈴木慶一がリードヴォーカルを取るようにした。リードヴォーカルは楽曲の世界観をつくるということもあるし、鈴木慶一の声にフォーカスさせようという目論見もある。だから、形式的にはある意味「火の玉ボーイ」だよね。
岡田 :- 慶一さんの声がね、年をとって倍音ばいおんが豊かになってる。若いエンジニアなんかはびっくりしてたよね。「スゲーいい声だ」って。質感、艶、芯、ざらざらした感じ…。昔は艶の方が目立ってたけど、新たないい味が出てきてる。他のメンバーでは出ない倍音なんだよね。
※倍音…基本になる音(基音)の周波数の倍の周波数を持っている音。聴感上は“ふくよかに”もしくは“厚みを感じさせる音”に聴こえるかどうかの要素の一つとも言える。
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