作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー 第十七回 特別企画 大瀧詠一vs船村徹
大瀧詠一 Profile EIICHI OHTAKI
1948(昭和23)年岩手県生まれ。

1969年、細野晴臣、松本隆、鈴木茂とロックバンド「はっぴいえんど」を結成しデビュー(結成当初は「ヴァレンタイン・ブルー」として活動)、1973年の解散後は、自身のレーベル“Niagara(ナイアガラ)”を創設、「シュガー・ベイブ」(山下達郎、大貫妙子ら)のアルバム『SONGS』を発売した1975年から活動をスタートさせる。

以降、シンガーソングライターとしてはもちろん、音楽プロデューサー、アレンジャー、ラジオDJ、レコーディングエンジニア、著述家など多才な活動を展開し、“ナイアガラフリーク”といわれるファンを獲得。
特に、1981年に発売された『A LONG VACATION』、翌82年の『NIAGARA TRIANGLE VOL.2』、84年の『EACH TIME』は、当時の若者文化、風俗を象徴する作品となり、音楽的にもジャパニーズ・ポップスの礎を築いたと言われている。

また、自身の作品以外にも多くのプロデュース、楽曲提供を行っており、代表的な作品は、松田聖子に提供した『風立ちぬ』(81年)、森進一の『冬のリヴィエラ』(82年)、小林旭『熱き心に』(85年)などがある。
1997年には自身13年ぶりのオリジナル作品『幸せな結末』、2003年には『恋するふたり』を発表。いずれの曲もTVドラマの主題歌となり、大ヒットした。最近では、1996年に「ラッツ&スター」がカバーしてヒットした『夢で逢えたら』(77年)を「キンモクセイ」がカバー、CM曲として使われている。


A LONG VACATION
A LONG VACATION
(SRCL-5000)
NIAGARA TRIANGLE VOL.2
NIAGARA TRIANGLE VOL.2
(SRCL-5001)
NIAGARA SONG BOOK
NIAGARA SONG BOOK
(CSCL-1663)
船村徹 Profile
1932(昭和7)年栃木県生まれ。

1949(昭和24)年に上京、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)ピアノ科で学びながら、盟友であった作詞家、高野公男とともに創作活動に入る。戦後の厳しい生活の中、進駐軍を慰問するバンドのバンドマスターなどをしながら作曲を続け、1955年に2人で発表した『別れの一本杉』が大ヒットとなる。

翌56年にはコロムビアレコードの専属作家として創作を開始したが、同年9月に高野が26歳の若さで他界。同年、高野が病床で船村に遺したメモをもとに『男の友情』を発表。1961年に発表した『王将』は、ロカビリーやツイストが全盛の時代の中で戦後初のミリオン・セラーとなり、レコード大賞特別賞を受賞した。

フリーの作曲家として活動を始めた1978年には、全国各地の公民館などを訪れて自作をギターで弾き語り、歌作りの原点を模索する“演歌巡礼”をスタートさせる。この巡礼の旅は今もなお続けられ、各地で“日本人の心゛を歌い続けている。

作曲活動は50年以上におよび、『兄弟船』(82年)、『矢切りの渡し』(83年)、『みだれ髪』(87年)など、数多くの名曲を生み出す一方、社団法人日本作曲家協会最高顧問、栃木県警察本部顧問、横綱審議委員会委員を務めるなど、その活躍は多方面にわたる。

1995年に紫綬褒章、2003年に旭日中綬章を受章。2004年10月よりJASRAC(日本音楽著作権協会)会長。


 
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