音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第13回 杉山 勝彦 Katsuhiko Sugiyama

Profile

1982年生まれ 埼玉県出身
ピアノ教師である母親が弾く音楽を聴いて育ち、クラシック音楽がルーツのひとつとなる。大学ではインストゥルメンタルやアカペラの音楽サークルに所属。2008年に嵐「冬を抱きしめて」で作家デビュー。ソニー・ミュージック・パブリッシングの専属作曲家となる。2014年に上田和寛とのフォークデュオ「USAGI」のギタリストとしてユニバーサルミュージックからメジャーデビュー。2016年、株式会社コライトを立ち上げ独立。フォークデュオ名を「TANEBI」と改め、新たな歩みを始める。主な作品に、乃木坂46「君の名は希望」、「制服のマネキン」、「サヨナラの意味」、私立恵比寿中学「禁断のカルマ」、「まっすぐ」、中島美嘉「一番綺麗な私を」、「Dear」、倖田來未「好きで、好きで、好きで。」。オリコン2016年度年間ヒットランキング作曲家部門5位。2005年5月からJASRACメンバー。

■杉山勝彦 official web site
http://sugiyama-katsuhiko.com/

■TANEBI official web site
http://usagi-since2017.com/

■杉山勝彦 official Twitter
https://twitter.com/sugisansugisan

■TANEBI official Twitter
https://twitter.com/tanebiofficial_

【取材協力】株式会社コライト

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様に杉山さんのサイン入りCD「再勇記」(TANEBI)をプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

※杉山さんへのインタビュー取材の様子をニコニコ動画「JASRACちゃんねる」で公開中!

ニコニコ動画 JASRACちゃんねる

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Vol.1 家族の絆、人との出会いに支えられて

さまざまなアーティストに作品を提供しヒット作を生み出している杉山さんですが、まずは音楽との出会いについて教えてください。

杉山:母が自宅でピアノの先生をしていました。母のクラシックピアノの練習を聴いて育ったことが、自分のルーツだと思います。

どんなお子さんでしたか?本格的にピアノを習っていたのでしょうか?

杉山:子どもの頃は、とにかくテレビゲームに夢中になっていましたね。僕は3人の男兄弟の末っ子なんですけど、兄2人はちゃんとピアノの教育を受けていました。でも僕は楽譜に全然ついていけなくて(笑)。母に「楽譜が分からないから弾いてほしい。1回聴いたらだいたい覚えられるから」って頼んだら、「ちゃんと楽譜を読めるようにならないとダメ」と言われて嫌になり、結局1年ほどで辞めてしまいました。

音楽の魅力に目覚めたのはいつのことですか?

杉山:音楽を聴くことは、小さい頃からずっと好きでしたね。すぎやまこういちさんの『ドラゴンクエスト』など、ゲーム音楽も大好きでした。中学校の修学旅行の時に、バスの中でカラオケを歌ったんです。女の子にモテたくて積極的に歌っていただけなのに異様にウケた、という経験がありまして(笑)。それをきっかけに自宅で歌を練習し始めたんです。ある日、Mr.Childrenの曲を歌っていたら、次兄がギターを始めることを勧めてくれました。その辺りから本格的に音楽を好きになったように思います。

ギターの練習は楽しかったですか?

杉山:ギターを上手く弾きたいというよりは、カラオケを上手に歌いたい、と思っていましたね。高校に入学した頃、そんな僕を見かねた長兄が、近くに良いギターの先生がいるみたいだから冷やかしで見に行こう、って誘ってくれたんです。その時に、初めて上手なプロの人が良いギターとアンプでバーン!と大きな音で弾くのを聴きました。世界にはこんなにもカッコいいものがあるのか、と衝撃を受けましたね。

新しい音の世界との出会いがあったんですね。

杉山:レッスンに通い始めて1曲弾けるようになった頃には、調子に乗って「おれはもうギターで食べていくから」と(笑)。周りはおかしなことを言っていると思ったでしょうけど、僕の中では真剣だったんです。やっと夢中になるものに出会えたこともあり、もっと色々な音楽を吸収したいと思って、学校の吹奏楽部に入りました。コントラバスを担当して、部長まで務めたんですよ。野球部の応援のために甲子園で演奏したことも良い思い出です。

どんなジャンルの音楽を演奏していたんでしょうか?また、作曲を始めたきっかけを教えてください。

杉山:クラシックの編曲作品のほか、ビックバンドやポップス、とにかくさまざまなジャンルを演奏していましたね。管楽器をどこの音域でどう重ねると、どのように響くのかを自然に学ぶことができました。今の仕事の上で、「こうではない」「もっとこうしたい」など、ジャッジするための基準は当時の経験からできていると思います。またその頃、友達とバンドを組んでオリジナル曲をつくり始めました。転調を入れて凝ったつくりをしているものなんかもあって、今聴いてみても曲はなかなか良いな、と思いますよ。歌詞は何を言っているのかまったく分からないので、全然ダメですけど(笑)。

高校卒業後はどのような道へ進みましたか?

杉山:早稲田大学に進学し、インストゥルメンタル専門のサークルに入っていました。現在はスタジオミュージシャンの第一線で活躍しているようなレベルのメンバーが所属していて、プレイヤーとしての壁の高さを思い知りましたね。その後、ゴスペラーズを生んだアカペラのサークルにも入りました。

プロを目指すことになったきっかけを教えてください。

杉山:あるパーティーの余興でアカペラで歌い終わった後に、教育テレビ番組のスタッフの方から「本気で音楽やってるの?曲はつくれるの?」と話しかけていただいたんです。「つくれるに決まってるじゃないですか」と(笑)。デモテープを送ることになり、帰り道で慌てて貯金を下ろして録音機材を買いました。説明書を読みながら、リズムのループにアコースティックギターの音を重ねただけのシンプルな曲をつくって送りました。後日、ある番組で本当に流してくださったんですよ。数秒でしたが、テレビで流れたのがすごく嬉しかったです。
その後、それが縁となって帯番組の新しいテーマ曲のコンペに声を掛けてくれたんです。番組に媚びまくった歌詞を書いて、それを連呼するという、下心丸出しの曲をつくりました(笑)。そしたら、なんと採用になっちゃったんですよ。それをきっかけにJASRACと著作権信託契約を結びました(参考:著作権管理の方法について)。まだまだプロの作家とは言えませんでしたけど、ようやく仕事として歩み始めることができたな、と。

学業との両立は大変でしたか?

杉山:大学院に進学しましたが、結局辞めることにしました。母に辞めたことを伝えたら、笑顔で「あら、そう」と言われて。母も音楽をやっていましたから、僕の音楽に対する気持ちを理解してくれていたんだと思います。その代わり、「自分の責任は自分で持ちなさい。歯を食いしばって生きていきなさい」という気持ちだったのではないでしょうか。 その後、1年間と期間を決めてサラリーマンになりました。色々な人とコミュニケーションを取りながら少人数のチームで動く仕事を探した結果、予備校のスタッフとして働くことに。当時の経験は今でも本当に役に立っています。

デビューのきっかけを教えてください。

杉山:サラリーマン時代、早稲田祭(早稲田大学の学園祭)に遊びに行った時にラッツ&スターの佐藤善雄さんと出会いました。曲を聴いてもらえる機会があって、佐藤さんから「スーパースターになれるかどうかは分からないけど、スターくらいにはなれるかもよ」と言っていただいたことを、僕は本気にしてしまったわけですよ(笑)。サラリーマンを辞めた後、佐藤さんの紹介もあってソニー・ミュージック・パブリッシングの専属作家になりました。

音人アイテム -OTOyBITO ITEM-

杉山さんの創作活動に欠かせないアイテムをご紹介!

学生の頃から使っているヘッドホンです。イコライザーの設定はイージーリスニング向けのものです。ずっと使っているので、どこの部分がどのように補正されているかはすべて把握しています。現在、製造は中止されているので、オークションなどで購入して常にストックしています。長時間着けても痛くならないこともあり、色々な方に勧めていて、密かに周りで流行っています(笑)。

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