音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第4回 Jeff Miyahara

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  2. Vol.2
  3. Vol.3

Vol.2 アーティストとの“共作”に対するこだわり

音楽活動の場として日本を選んだ理由は?

Jeff:日本に対しては大学も含めて中途半端に終わらせてしまったという思いが強くて。あともう1つは、日本は世界的な音楽に近いというのをすごく感じていて、日本には何か可能性があるんじゃないかと思ったんです。それが99年~2000年ですね。でも、日本に来ても一人も知り合いがいない。どうアプローチすればいいのかもわからない。もうとにかく自分の感覚で行くしかないと思って、このクラブイベントには、このディレクターさんがいるかもしれないっていう噂だけでクラブに行ったりしてました。あとは、ずっとクラブで働きながら、その毎月のお給料を機材の購入費用に充てていたんですけど、自分が作った音楽をどうやって人に聴いてもらえるのかっていうのがわからなくて。とにかく洋楽、邦楽のCDとかを見て、各レコード会社のカラーとかを覚えて、直接ソニーミュージックさんやユニバーサルミュージックさんなど、いろんな人たちに電話をしていったんですよ。

自分を売り込んで行ったんですね。

Jeff:そうです。レコード会社の総合受付に「すみません。○○さんいらっしゃいますか?Jeffと申しますけど、是非」って言ってアポ取って、カセットテープとかMDを持って行って。「こっちはそんな暇じゃないんだよ。何しに来たんだ」って怒られることもありましたね。でも、僕の印象が強かったんでしょうね「君みたいにアプローチしてくる人はすごく少ないから、連絡は常に取り合おうね」って言ってくれた人もいて。そういう意味ではアメリカで育って怖いものなしというか、その瞬間のチャンスを握らないと、次のチャンスはなかなか巡ってくることが少なかったんですよね。それで、コツコツ自分一人で音楽を作りながら活動をしていたらコンペの情報とかがいろいろ入るようになって。

人と繋がることの大切さがわかりますね。

Jeff:日本に来て一番大きな出会いは、今は第2の親だと思ってるんですけど、湯川れい子先生との出会いですね。湯川先生の息子さんと僕は兄弟みたいに仲良くて。息子さんとは2002年にサッカーの日韓ワールドカップのチャリティソングになった『翼をください』(※1)という楽曲を制作したときに関わったんですよ。当時湯川先生からは「もしかしたらこれがあなたの人生で一番大きい、一番大事な仕事かもしれないよ。すぐにはわからないと思うけど、とりあえず今は勉強。最高の思い出だと思って、今の瞬間だけは忘れないようにしておいたほうがいいよ」って言われました。

Jeffさんの曲作りは昔から“共作”にこだわりがあったんですか?

Jeff:音楽の作り方はいろいろ変わってきました。2002年からいろいろなアーティストの方をプロデュースさせてもらえるようになったんですけど、「あ、オレってすごいんだ」って勘違いしていた時期もあったりして。普通、作品のクレジットを見てもいろいろな人の名前が書いてあったりするじゃないですか。でも、僕の場合はキーボード、アレンジ、マラカス、ケータリング、「オールプロデュースJeff Miyahara」っていう、自分で何でもやらないと気が済まなくて。2002年から2005、6年ぐらいまで、自分はすごいなって思いながらやってきたんですけど、どんどん仕事が減ってきて。コンペに曲を出しても採用されることもなくて、毎回心をボコボコにされるばかりだったんですよ。その頃は音楽の仕事を辞めようかなと思ったときもありました。アメリカに戻って、IT関係かゲーム関係の仕事でもしようかなと思ってて。

そこからどうやって立ち直ったんですか?

Jeff:その頃に出会ったのがHi-Timez(ハイタイムズ)っていうグループで、今はSpontania(スポンテニア)っていうグループなんですけど。彼らも帰国子女でアメリカに長い間いて。僕は以前からHi-Timezが好きだったんですが、あるとき一緒に音を作ろうっていうことになったんです。彼らは自分たちで音楽を作れたんで、僕はその中で何をやったらいいのかわからなかったんですけど。そこですごく磨きあげられたのが、みんなと一緒にいる中でこういうアイデアが来たら「じゃ、こういうのはどうですか?」って新たなアイデアを提案することだったんですね。自分が昔一緒にやったオーストラリアのプロデューサーの立場になれたんです。例えば、ちょっと帽子が大きめのTarantula(タランチュラ)っていうラッパーは、レゲエがすごく好きで「このマティスヤフのアルバムが好きだから、こういう曲がほしい」と言う。一方でMassattack(マサタック)っていう奴は「でも、オレは歌が好きだから、ちょっとミスチルっぽい曲がほしい」って言う。そういういろいろな意見を取り入れながら、みんなで一緒にいる限られた時間の中で作り上げて、形にしていくっていうのを学んで。そういう部分の筋トレというか仕事筋を鍛えさせてもらったなと思います。SpontaniaとJUJUさんはニューヨークでずっと仲良くしてきたこともあって、Spontania feat.JUJUで『君のすべてに』(※2)っていう曲が生まれて。あの曲もみんなで作ったんですよ。トラックがあって、みんなでメロディーを一緒に作って、みんなで仕上げて、それがヒットに繋がって。そしてその続編の『素直になれたら』(※3)をJUJU feat. Spontaniaで。『明日がくるなら』(※4、JUJU with JAY'ED)もみんなと一緒に作ってるんですよね。

みんなで作るというのはもともとのメロディーラインはJeffさんが作って、そこからいろいろなアイデアを取り入れて作品を作り上げていく感じですか?

Jeff:いえ、もう本当に最初からみんなで少しずつ作ってます。曲を作るときはまずどういう曲を作りたいかが基本ですよね。それで “作るべき”と“作りたい”っていうのは若干違うんですけど、作るべきものを聴かせて、作りたいものも聴かせて。どうやってこの2つのものを融合させるかを考えますね。やっぱりレーベル的にはこっちの方向性でいってほしいのに、アーティストがその反対のほうにいると、もう摩擦ばっかりで。それで「じゃ、わかりました。やりますよ」って納得しないままやってもいい結果にならず、両者の関係が悪くなってしまいます。その仲介役になるのが僕の役割でもあって。これもホテル専門学校に行っててよかったなと思うんですけど、アーティスト側と話すときは、気持ちだったり、エモーションだったりを考えたコミュニケーションの取り方をするんですけど、レーベルとか音楽出版社、マネジメント側と話すときは、いわゆるプロモーションやタイアップをどう戦略的にしていくかを意識してコミュニケーションを取るんです。これを皆さんにとって一番いい形でどう料理するかっていうことを毎回意識してます。それがたまたまいい形でヒットに繋げることができていて。

Jeffさんに相談すれば全てがまるく収まる感じですね。

Jeff:いえいえ。でも、結構そういうことがあったりします。「ちょっとアーティストと連絡取れないから、取ってもらっていい?」とか言われることもありますね(笑)。

音人アイテム -OTOBITO ITEM-

Jeffさんの創作活動に欠かせないアイテムをご紹介!!

「曲作りに書かせないアイテムだと必ずこの2点ですね。
多くのミュージシャンは曲作りの為に音楽機材などハードウェアには何万~何百万も投資しますが、なぜかシーケンサー、ソフトシンセ、サンプルライブラリーは違法サイトからダウンロードしてる方もいるみたいじゃないですか。我々の業界を支えてくれてるのはお金を払って、僕たちの著作物(デジタル&フィジカル音楽)を買ってくれてるオーディエンスです。同じく、音楽ソフト業界を支えてるのは我々です。どんな天才ドライバーでも、盗んだレーシングカーでグランプリに立たせてもらう事は無理です!
是非皆様と堂々とそのステージで輝きたいです!」

  1. ※1『翼をください』
    2002年、サッカーワールドカップ日韓共同開催チャリティソングとして、山本潤子、小田和正、長渕剛、藤井フミヤ、倖田來未などのアーティストが参加。サッカー日本代表の応援歌にもなった。
  2. ※2『君のすべてに』
    Spontaniaの4thシングルとして2008年8月リリースされ、音楽配信で350万以上のダウンロードを記録している。
  3. ※3『素直になれたら』
    JUJUの8thシングル。『君のすべてに』のアンサーソングとして、2008年11月にリリースされると、約1ヵ月で60万ダウンロードを記録した。
  4. ※4『明日がくるなら』
    JUJUの10thシングルとして2009年4月にリリース。映画「余命1ヶ月の花嫁」の主題歌にも起用された。Jeffさんはこの作品で「第51回 輝く!日本レコード大賞 作曲賞」のほか、「レコチョクアワード 着うた 年間 最優秀楽曲賞」など数々の音楽賞を受賞している。

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