音人工房

JASRAC 日本音楽著作権協会

第3回 中塚武

Profile

中塚武(シンガーソングライター・サウンドクリエイター)
2004年アルバム『JOY』でソロデビュー。ジャズ・ラテン・エレクトロニックを融合したサウンドが国内外の音楽・映像・広告業界で絶賛を浴び、自身のアーティスト活動とともにCM・映画・TV音楽と多方面で才能を発揮。2011年開設の新曲無料配信サービス『TAKESHI LAB』が話題を呼び、同年6月にリリースした「Black Screen」のミュージックビデオがiTunes Storeエレクトロニックチャート1位を獲得。2012年野宮真貴30周年記念アルバムリリースコンサートの音楽監督を務める。ニッポン放送「Suono Dolce TOKYO AFTER 6」木曜ナビゲーター。2006年10月からJASRACメンバー。

<Official web site>
http://www.nakatsukatakeshi.com/

アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様に中塚さんのサイン入りCD(『ROCK’N’ROLL CIRCUS』)をプレゼントいたします。

※応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました!

中塚さんへのインタビュー取材の様子をニコニコ動画「JASRACちゃんねる」で公開中!

ニコニコ動画 JASRACちゃんねる

  1. Vol.1
  2. Vol.2
  3. Vol.3

Vol.1 歌い始めた理由は人間主導の音楽を失わないため

まず中塚さんが音楽に興味を持ったきっかけを教えてください。

中塚:好きなゲームとかアニメの音楽をリコーダーで吹いていたのがきっかけですね。小学生の頃に、お母さんがピアノの先生をしているすごく音感のいい親友がいて。そいつと一緒にゲームやアニメの音楽を聴いて、「じゃ、お前が下のパートね」とか言いながら、リコーダーでハモりあってたんです。でも、当時は音楽というよりファミコンに夢中で、そのゲームの中の音楽が好きで聴いてるっていう感じでしたね。

どんなゲームの音楽が好きだったんですか?

中塚:「ドルアーガの塔」とか、「マッピー」とか、ナムコのゲームが大好きでしたね。大人になってナムコに入社することになるんですけど(笑)。当時のゲーム音楽って今聴いてもジャズなんですよね。どんどん転調したりするので、リコーダーで再現できなくなるんです(笑)。

中塚さんはライブでキーボードを演奏されていますが、親友のお母さんがピアノの先生だったことと鍵盤楽器を始めたことは何か関係があるんですか?

中塚:キーボードを始めたのは、中学生の頃にバンドブームがきて「モテるためにはここで一発バンドでもやっておかないと」って思って、さっきの親友を含めてパートを取り合っていったんです。僕はリコーダーしかできなかったけど、「リコーダーの親玉はサックスだ」と思って10万円ぐらい貯金して。で、お店に買いに行ったら10万じゃサックスを買えないんですよ(笑)。安くても20万ぐらいするんですね。仕方ないからお店の人に「10万で買えるものって何がありますか?」って聞いたら、「カシオトーンがあります」って言われて。それを買って、親友に弾き方とかを訊きながら始めましたね。

独学で勉強していったんですか?

中塚:そうなんです。親友の家に行けばお母さんが教えてくれるのかと思ったら、あんまり教えてくれないんですよ。やっぱり月謝を払わないと(笑)。でも、そのお母さんに「始めたんだって?じゃ、ちょっと来てごらん」って言われて、ずっと「ラ」のところを叩かされて、「まだ力が入ってる。力が抜けないと曲は弾いちゃ駄目」って言われて。それしかさせてくれないから、だんだん行くのが面倒臭くなって(笑)。今考えると脱力の練習だったんですよね。「これがきちんとできないと腱鞘(けんしょう)炎になるよ」って言われて、それはすごく教えてもらいました。だから僕、今でも腱鞘炎にならないんですよ。

先ほどゲーム会社に入られたというお話がありましたけど、プロのミュージシャンとしてやっていきたいという気持ちはずっとあったんですか?

中塚:もちろん。ゲーム会社は企画(プランナー)として入ったんですよね。ゲーム音楽を創る気はなかったんです。なぜかというと、音楽だけじゃゲームの世界を創れないから。音楽はゲームの一部じゃないですか。僕は全体を隅から隅まで見渡したいし、隅まで自分の色を付けたかったんですね。全体を自分の色で染めることが好きなんです。

実際にゲームを作っていたんですね。

中塚:バンド活動が忙しくなっちゃって、結局会社を3年で辞めざるを得なくなったんですけど、その間に2つの作品に携わって特許も取ったんですよ。だから今でも毎年特許料が少しだけ入ってくるんです(笑)。

ホームページのプロフィールに「1998年、自ら主宰するバンドで海外デビュー」とありましたが、デビューは日本ではなく海外が先だったんですか?

中塚:そうですね。日本でクラブ系のバンドをずっとやってたんですけど。あるとき、たしか六本木だったと思うんですけど、イベントで共演したオランダから来たDJが僕らのライブをすごく気に入ってくれて。その人がオランダに帰った後、ドイツだったり、ニューヨークだったり、いろんなDJに僕らの音源を聴かせてくれたらしいんですね。それでドイツのDJチームから「今度日本のコンピレーションを作るから、そこに曲を入れさせてくれ」っていう内容の長い契約書がFAXでヴォーカルの子の家に届いて、みんなで抱き合って喜んで。

すごい繋がりですね。

中塚:そうなんです。そうしたら日本でも「いいと思ってたんだよね!」っていう人が続出しはじめたんですよね(笑)。

中塚さんは幅広いジャンルの音楽を創られていますが、やはり昔からいろいろな音楽を聴いていたんですか?

中塚:そうですね。ちょうど僕がデビューした頃って、みんなでレアなレコードとかアナログレコードをどんどん探していくことが一つの楽しみだったりもしたんですよね。そのときに周りに“音楽通”みたいな先輩がいっぱいいて、僕がちょっと知らないだけで「お前こんなのも知らないの?」っていう感じになっちゃうんですよ。そのときは好きか嫌いか関係なく、あらゆるジャンルの音楽を自分の頭の中で体系立てて一生懸命聴きましたね。でもそれは、後ですごい財産になるんです。ああいうスノッブな音楽の聴き方はブームで終わらせない方が良いという気もします。確かに、自分が創る音楽では「通」すぎないように誰が聴いても心地いい部分を目指して創っているので、「知識がないと聴いて楽しめない」っていうのはあまり好きじゃないんです。ただ、ある一定の知識を知ってると、実はこの曲の裏側の部分がわかるっていう二重構造、三重構造にはしているつもりです。知識があると楽しめるっていうのは、料理とかもそうじゃないですか。「美味しい」っていう意味では味覚だけで十分なんですけど、「食材と調味料の産地によって微妙に味が違うんだ」っていうこととか、また一歩踏み込んで深く知るっていうのも面白いなと思って。音楽の聴き方も、そういうのがどんどんあっていいなって思ってるんですよね。

苦手なジャンルもあるんですか?

中塚:ないですね。CM音楽の仕事もずっとやらせていただいてきたので、普通だったら一生使わないような楽器とか、いろいろと試しましたし。CM音楽は、僕の中ではデッサンなんですよ。クライアントさんからのオーダーだったり、提示された意匠をいかに忠実かつ+αで良さを出せるかっていう意味で、ある程度の正解が決まっているところが、デッサンっぽいなといつも思ってます。

中塚さんはシンガーソングライターという一面もお持ちですよね。

中塚:歌うことを始めたのは最近ですよ。ここ5、6年ですね。今は、いわゆる打ち込みの音楽っていうのが完全に主流になって、どこのスタジオに行ってもミックスもすべてPro Toolsを使ってパソコンでやっていて。なんでもパソコンでできるようになっちゃったんですよね。誰でもある程度の域まですぐに創れるようになってしまって。もちろん、それはすごく便利で、ミュージシャンの裾野を広げるという意味でもいいと思うんですけど、自分の音楽なのか、機械の音楽なのかが、だんだんわからなくなってしまうことがあるんですね。他人の音楽を聴いてても「たぶんあれとあれを使ってるんだろうな」ってわかるし。こういう状況になって、音楽が本来持っている人間主導のアナログな部分を失ってしまうと、音楽家としての本質的なところさえ削がれちゃうかもしれないなと思っていて。そういう気持ちから、「自分の楽曲を、自分の歌詞で、自分の肉声で、残していくっていうことを始めよう」って思ったのが5年ぐらい前で。人間の歌声は一つの楽器。どんな楽器でも熟練の域まで達するには最低でも10年はかかるから、10年計画ぐらいで始めようという感じだったんです。音の一つ一つがすべて自分から発せられる音楽を残すことが、音楽家として最も大切なことだと思っています。

ページ上部へ

  1. 1
  2. 2
  3. 3

トップに戻る

  1. Vol.1
  2. Vol.2
  3. Vol.3